ボルネオ島熱帯林は膨大な種数の生物を擁する、世界でも有数の生物多様性のホットスポットである一方で、1950年代以降の土地利用変化に伴い、熱帯林および泥炭湿地林が減少し、産業植林地や大規模農地の拡大が進んでいます。これらの開発では湿地の排水を伴うために、排水された泥炭林では泥炭が空気にさらされて有機物の分解が進むだけでなく、地下水面が低下した泥炭は発火性が高く、野焼き等の延焼で森林火災が発生すると、その強度と頻度を増大させる燃料にもなってしまいます。ボルネオ島の降水量は年々変動し、エルニーニョ現象発生時には降水量が極端に低下することで干ばつが起こり、森林火災の頻度が高まります。また、ボルネオ島では気候変動による干ばつと森林火災の発生頻度が今後更に高まることが予測されています。これらの環境ストレスはボルネオ島の生態系機能を劣化させ、植物の健全な生育と生産性に深刻な影響を及ぼすものと危惧されています。生態系劣化の影響評価やその改善策の必要性はかつて無いほど高まっており、生態系健全性を監視するための基盤システムの構築が強く求められています。
地球観測衛星を用いたリモートセンシング、例えば正規化植生指標(NDVI:normalized difference vegetation index)や拡張植生指標(EVI:enhanced vegetation index)iは広範な植物生産性の変化を監視するための有効な手段として活用されてきました。最近の10年ほどは、光合成活動の指標として太陽光励起クロロフィル蛍光(SIF:solar-induced chlorophyll fluorescence)への注目が高まっています。光エネルギーを吸収し、自由エネルギーへと変換する機能を持つクロロフィルは葉緑体のチラコイド膜に存在しており、葉緑素とも呼ばれます。クロロフィルによって吸収された光エネルギーの大部分は光合成における光化学反応に利用されますが、一部は熱放散、更に一部はクロロフィル蛍光(吸収した光エネルギーによって一時的に不安定で高いエネルギー状態(励起状態)となったクロロフィルが、安定で低いエネルギー状態(基底状態)に戻る際に放出する光)となって放出されます。クロロフィル蛍光は微弱な光であるため、かつては実験室においてフラッシュを当てることで測定されていましたが、近年の人工衛星センサーの波長分解能の高度化に伴い、太陽光の下で放出されたSIFを地球観測衛星から検出出来るようになりました。クロロフィル蛍光の環境応答からは光合成に関する様々な情報を得られるために、衛星SIFデータを陸域生態系の光合成の総量である総一次生産量 (GPP) の季節変化や極端現象下での植物のストレス状態を評価するために利用しようとする研究も行われています。
しかしながら、既存の衛星SIFデータは温室効果ガス等の大気観測を主目的に開発された衛星観測から副次的に導出したデータであるために、ローカルスケールでの環境ストレスに対する植物活動の応答を検出するようには最適化されておらず、生態系健全性の監視システムとして活用する上では更なる検証・評価が求められています。そこで本研究では、近年で最大規模のエルニーニョ現象となった2015年に注目し、この年にボルネオ島で発生した干ばつと森林火災が衛星SIFデータにどのような変化を及ぼしたかについて詳細に解析を行うとともに、ローカルスケールでの植物活動の変化を監視する上での衛星SIFデータの適用について検討しました。
研究手法
3つの衛星: GOSAT (Greenhouse gases Observing SATellite)、GOME-2 (Global Ozone Monitoring Experiment-2)、OCO-2 (Orbiting Carbon Observatory-2)の分光放射輝度から導出した衛星SIFデータを解析に用いました。GOSATは主要な温室効果ガスである二酸化炭素(CO2)とメタン濃度を宇宙から観測することを主目的として、2009年に日本が世界に先駆けて打ち上げた温室効果ガス観測衛星です。GOME-2は正確には欧州宇宙機関によって打ち上げられた極軌道気象観測衛星MetOpシリーズに搭載されたセンサー名であり、オゾンの濃度観測を主目的にしています。本研究では2006年に打ち上げられたMetOp-Aに搭載されたGOME-2データを使用しました。OCO-2はアメリカ航空宇宙局がCO2観測をするために2014年に打ち上げた衛星です。解析期間は2007年から2018年。気象・森林火災データとして地表面温度データにはCRU TS (Climate Research Unit gridded Time Series) 、降水量データにはGPCP (Global Precipitation Climatology Project)、森林火災発生頻度データにはMOD12A2 (Terra/Moderate Resolution Imaging Spectroradiometer (MODIS) Thermal Anomalies and Fire 8-Day)を使用しました。
研究結果と考察
2015年のボルネオ島の気温は平年に比べて0.3~0.5℃の上昇が見られたこと、乾季(6月~10月)の降水量はボルネオ島北域で34% (241.1 mmから158.7 mm)、南域では51%(193.0 mmから94.1 mm)も低下し、エルニーニョ現象が深刻な干ばつを引き起こしたことを示しています。また、衛星画像で火災が観測された地点の数を森林火災発生回数として数えた場合(図1)、ボルネオ島全域および南域において平年では9,675回および6,100回の森林火災発生が確認された一方で、2015年はそれぞれ43,253回および37,000回と大幅に増大し、特にボルネオ島南域では森林火災発生回数が6倍以上増大したことがわかりました。
図1 ボルネオ島における年間森林火災発生回数分布図。0.5度格子毎に発生回数を数えている。2015年を除く2007年から2018年の平均値(左)と2015年(右)の分布。
図2にボルネオ島全域、北域、南域の月平均SIF変動(mW m-2 sr-1 nm-1)をそれぞれ衛星ごとに示します。平年時のSIF変動については、GOSATおよびGOME-2はボルネオ島南域において乾季後半の9月に最小になり、その後SIFが増加する傾向を示す一方で、OCO-2は比較的季節変動が少ないことがわかります。これは各衛星の観測パターンが異なること、また、GOSATが示す大きな変動は他の衛星の観測センサーとは分光法が異なり、有効データ数が30分の1程度と少ないことに起因しています。一方、2015年については干ばつおよび森林火災の影響が甚大であったボルネオ島南域において、乾季終盤の10月にGOSAT、GOME-2、OCO-2の月平均SIFがそれぞれ0.78、0.85、0.70 mW m-2 sr-1 nm-1まで低下しました。この値は平年の1.32、1.18、1.07 mW m-2 sr-1 nm-1と比べて統計的に有意な差となっています。他衛星で独立に観測された植生指標のデータ、更には機械学習を用いた光合成総量のシミュレーション結果の解析も併せて行ったところ、これらのデータも2015年の乾季に特異な低下を示しており、衛星SIFデータ解析をサポートする結果が得られました。
2015年乾季のSIF低下の要因を調べるために、降水量と森林火災発生回数に対するSIFの応答について解析を行いました。その結果、月降水量が100 mmを超え、森林火災の月発生回数が300回を下回る環境下では3衛星ともにSIFは高い値を示す一方で、森林火災が500~1000回を超過する環境においては森林火災の増加と降水量の低下に応答してSIFが低下する傾向が見られました。水ストレスは光合成などの代謝機能を低下させる主要因であるために、SIFが降水量の変化に応答することは予想できますが、本研究の結果は、ボルネオ島の植物の光合成活動や生産性は森林火災に対しても敏感に応答することを示唆しています。そこで、2015年乾季において、衛星SIFデータが存在し、かつ、森林火災が発生した領域だけを抽出して詳しく解析したところ、森林火災の発生頻度が高くなるほど、また、森林火災面積が大きくなるほど衛星SIFデータの値が低くなることがわかりました。この結果は、2015年の干ばつが引き起こした甚大な森林火災により森林等が消失・破壊され、生態系機能が著しく劣化したことが顕著なSIFの低下に繋がったと解釈することが出来ます。
図2 GOSAT(上段)、GOME-2(中段)およびOCO-2(下段)によるボルネオ島全域(左)、北域(中央)、南域(右)における月平均SIF変動(mW m-2 sr-1 nm-1)。黒線が2015年を除く平年値、灰色の影が平年値の標準偏差、灰色線が各年、および色付き線が2015年の月平均SIFを示す。
今後の展望
本研究では、近年注目が集まる衛星SIFデータの応用として、2015年のエルニーニョ現象下のボルネオ島に注目し、森林の光合成量や生態系機能の変化を中心に研究を進めました。これまでも全球や亜大陸スケールという広範な対象領域での衛星SIFデータの利用研究はありましたが、本研究ではボルネオ島というより狭い領域で、かつ、衛星観測の障害となる雲が常に存在する熱帯域であっても、環境ストレスに対する植物活動の応答を検出する上で衛星SIFデータは有用な情報を提供しうることを示したと考えています。今後は利用可能な現地調査結果等も活用することで、干ばつや森林火災の影響評価を更に精緻化していくことが望まれます。また、衛星SIFデータを導出可能な衛星プロジェクトは今後も複数計画されていることから、様々なセンサー仕様、様々な衛星観測体制のもとで取得された衛星SIFデータを複合的に組み合わせることで、生態系の健全性を監視することのできる強力な基盤情報へと高めることが期待されます。
論文情報
Murakami K., Saito M., Noda M.H., Oshio H., Yoshida Y., Ichii K., and Matsunaga T.: 『Journal of Agricultural Meteorology』「Impact of the 2015 El Niño event on Borneo: Detection of drought damage using solar‑induced chlorophyll fluorescence」 80, 3, 69-78 (2024)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/agrmet/80/3/80_D-24-00012/_article
注釈
i NDVI(normalized difference vegetation index)は可視域と近赤外域の反射率を用いた植生指標であり、植生密度が高いほど値が大きくなる。EVI (enhanced vegetation index)はNDVIと類似の植生指標であるが、近赤外域に加え、青色および赤色域の反射率を用いることで、大気中のエアロゾルや土壌の影響を除去した植生指標である。