くぼた・いずみ
埼玉県北本市出身。学習院大学大学院法学研究科修了。博士(法学)。2002年にアシスタントフェロー(現在の准特別研究員)として国立環境研究所に入所、研究員等を経て2021年から現職。社会対話・協働推進室兼務。国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第6次評価報告書の主執筆者を務めた。
くぼた・いずみ
埼玉県北本市出身。学習院大学大学院法学研究科修了。博士(法学)。2002年にアシスタントフェロー(現在の准特別研究員)として国立環境研究所に入所、研究員等を経て2021年から現職。社会対話・協働推進室兼務。国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第6次評価報告書の主執筆者を務めた。
法学部では、「法が変わらないこと(法的安定性)」が重要なことの一つであると教えられます。それは、法の内容や適用を安定させることが、法に対する人々の信頼を守ることにつながると考えられているからです。ですが、私は、世の中を良くするためには積極的に法律を変えるべき場合があると思いますし、変えることによって世の中を良くしていきたくて、国際環境法の専門家になりました。
もともとは報道の世界に身を置きたいと考えていました。両親の実家がどちらも書店を営んでいて、幼い頃から本が身近にあったことが影響していると思います。祖父が古本屋を閉めて、残った本を実家に持ち込んだこともあって、まさに売るほどの量の本が家中に溢れていました。洗面所の裏や車庫にも本が置いてあって、人の過ごす場所より本が占める場所の方が広くて。そんな家で育ったせいか、ジャンルを問わず片っ端から本を読む習慣が身に付きました。世の中のことをもっと知りたいという思いから、大学は法学部政治学科に進みました。当時は、法律はつまらないものだと思っていたので、法学科に進むことは考えませんでした。
大学3年の時の行政法の授業で、瀬戸内海に浮かぶ
このとき、初めて法律に興味を持ちました。誰がどう見てもゴミでしかないものを、ゴミではないとできるのが法律なのであれば、本来ゴミとして扱われるべきものをゴミとできるのも法律ではないかと考えたのです。法律はルール、仕組みです。ルールや仕組みさえ変えれば、ゴミはゴミとして扱われるようになるし、ゴミとして扱われれば適切に処理されるようになり、環境に問題を起こす要素がひとつ減り、世の中が変わります。同じ頃、国際法模擬裁判形式での大学対抗のディベート大会に出場し、個人弁論の部で1位に選ばれたことも後押しになり、法律の勉強にのめり込みました。世の中を知りたいという思いが、世の中を変えたいという思いに変わった瞬間でした。これをきっかけに、大学院で環境法を勉強してみようと思いました。
修士課程には進みましたが、2年遅れても就職には支障がないのではないかと考えていただけで、研究者になろうと思っていたわけではありませんでした。ですが、世の中の仕組みを変えるためにもう少しだけ学びたくて博士課程にも進学したところ、将来の展望が描けずに焦るようになりました。たまたま国立環境研究所(国環研)で地球温暖化の国際交渉の分析を行う若手研究者を募集していることを知りました。温暖化研究の業績はあまりありませんでしたが、機会を逃すものかと応募したところ採用され、研究を続けられることになりました。
国環研には社会科学系の研究者は少なく、今も法学の専門家は私1人だけです。入所した当時は同僚に、真顔で「法学は、環境を守ったり良くしたりするために、何の役に立つの?」などと質問されたこともありました。国環研に来るまでは、法学研究者とそれを志す人ばかりの中にいて、皆当然、法学が社会の役に立つ学問だと信じて研究していたわけですから、別世界ですよね。国環研に来てみると、モデル研究に携わっている研究チームのメンバーは日々打ち合わせをして楽しそうに研究しているように見えた一方、法学は基本一人で研究するので、スタイルの違いにも悩みました。これは、今でも悩みの一つです。また、資料の面でも不利な部分が多く、法学分野の雑誌は、ネット上で入手できるものも増えましたが、入所した頃は母校の図書館に行って読むしかありませんでした。
国環研で温暖化研究に携わることになって、ありがたいなと思ったのは、「温暖化研究の総合商社」と言ってもいいくらい、国際的に活躍している、多様な専門分野の温暖化研究者が国環研にはそろっていたことです。国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の評価報告書の執筆者に選出されている方も複数いますし、引用された論文の著者は多数います。打ち合わせやセミナーはもちろんのこと、普段の何気ない会話からもさまざまな仕事のヒントをもらえました。このような環境は、世界でも他にほとんど例がないと思います。
国環研に入った2002年から2007年までは、環境省の交渉担当者の補佐役として国連気候変動枠組条約締約国会議(COP)の日本政府代表団に入れてもらい、国際交渉のお手伝いをしました。その後も、オブザーバーとして気候変動交渉をフォローし続けています。計16回現地参加しました。日本政府代表団のメンバーだった頃は、気候変動にかかわる国際制度の中に適応支援をどう組み込んでいくかについての議論をしており、途上国の中には、「具体的なプロジェクトを支援をする段階だ」と主張する国もありましたが、帰国して同室の研究者にこのことを話してみると、「それはデータの観点から可能なの?」とか、「途上国での影響評価の研究自体がまだあまりないから難しいと思う」などと指摘されて。大学やシンクタンクで働いていたら、こんな機会はなかったと思います。
2015年のCOPで、気温上昇を産業革命前と比べて「2℃より十分低く保ち、1.5℃に抑える」ことを目指す「パリ協定」が採択されました。パリ協定の制度設計において重要だったことの一つが、途上国も含めて、すべての国が温室効果ガスの排出削減に取り組む国際制度にするために、気候変動への適応支援を盛り込むことと、資金支援を充実させることでした。このため、2013年、京都議定書下の「適応基金」と、「気候変動影響への対応力強化のためのパイロット・プログラム(PPCR)」の運用状況を、対象国とプロジェクトの選定に着目して比較検討し、適応関連資金の配分の優先順位付けについて考えた結果を論文としてまとめました。
適応基金は、温暖化の被害に対応する経済力などが乏しい島国などを支援するためのもので、途上国と先進国が共同で排出削減した場合のクレジットの一部を徴収して主な資金源とし、適応関連のプロジェクトを申請した国の中から支援先を選ぶ仕組みです。一方、PPCRでは専門家集団が複数の指標を用いて、地域ごとに気候変動に脆弱な国のリストのようなものを作り、それらの国を試験的に支援するというプロジェクトでした。両者の支援先を比べてみると、適応資金の支援先は、PPCRで脆弱国リストに入っていない国が多いことが分かりました。
この結果から、専門家が脆弱だとは判断しなかった国に資金支援することを否定したかったわけではありません。資金支援を申請するには、政府や担当者の能力が必要です。支援する国の立場からは、納税者への説明責任を考え、支援先として象徴的なところを選びたいという気持ちになるのも当然だと思います。ですが、それらが積み重なり、調整もなされないままだと、資金支援に偏りが出てしまいます。資金には限りがありますから、気候変動影響に脆弱なのに支援対象外になってしまう国が出てくるおそれがあります。多国間支援では、支援が届きにくいところにお金を届け、さまざまな仕組みを使って資金支援することが重要だと考えています。
パリ協定が採択される直前の2013年から発効された2016年まで、気候変動に関する新たな国際的枠組みができることになった経緯と、パリ協定とはどのような制度かについて、日本各地で講演活動も行っていました。私自身が世の中のことをもっと知りたいという人間ですから、知ってもらいたいという気持ちが強くあるんです。環境問題に限った話ではありませんが、知らなければ当然何も言えません。ですが、知っていれば何か言えることがあるかもしれないんです。2021年からは国環研の社会対話・協働推進室にも所属し、SNSでの情報発信やコラム記事の執筆などにも取り組んでいます。
最近では、気候変動問題の解決に裁判を通じて働き掛けようとする「気候変動訴訟」についてコラム記事にまとめました。パリ協定で掲げる「1.5℃」目標の達成を目指すには、スピード感をもって社会を変えていく必要があります。日本では議員への陳情や政府へのパブリックコメントの提出などが政策を変える方法として一般的に挙げられますが、これではとても間に合いません。このような事情から、日本でも石炭火力発電所の稼働をめぐって、裁判が起こされています。
気候変動訴訟について学ぶことを通じて、日本の司法制度の問題点も見えてきました。環境NGOなどの団体が、被害を受けている人に代わって裁判を起こすことができる国は多いのですが、日本は被害を受けた人でないと提訴することができません。そもそも政策として問題がある場合は国民みんなに関わっているはずなのに、被害者以外は訴えを起こせないというのは、やはり少しおかしいと思います。
地球温暖化や生物多様性などの環境問題は、私たちが原因の一端を担っている問題で、私たちが世の中に働きかけて解決し、解決することで社会を良くしていくことができます。気候変動訴訟でも、日本では今は被害者しか訴えを起こせませんが、政策に問題があると考える人も提訴できるようなシステムに変えられたならば、それは、一つ、社会をより良くできたということではないでしょうか。良くない社会が、突然、良い社会に移行することはないですし、一つ一つ問題を解決していくことでしか、より良い社会は実現できません。私もその「ひとかけら」を担いたいと思います。
COPでは、研究者と環境省の人をつなげるような仕事をしてきました。国環研でも、政策系の研究者と自然科学・工学系の研究者をつなげるような役割を果たしてきたと自負しています。2019年の女子サッカーワールドカップで優勝したアメリカ代表のミーガン・ラピノー選手が、「私たち一人一人にはこの世界をより良くする責任がある」と言っていました。私は環境問題に関する制度に詳しいので、環境問題やそれを良くするには何が必要なのかについて知ってもらえるように努めることで、社会をより良くしていく責任を果たしたいと考えています。今後は、環境に関心のある一般の方と、研究者もしくは研究をつなげるような仕事にもさらに力を入れていくつもりです。
趣味は多いですが、最近は料理が楽しいです。コロナ禍で家でも美味しい料理を食べたいと思うようになり、レパートリーを広げるために料理教室にも通うようになりました。料理そのものよりも先生の考え方に触れたくて、教室には行っているかもしれません。料理を教わるというより取材ですね。もちろん料理も食べることも大好きなのですが、興味があることは、とことん探求したくなってしまう性格なんです。
環境問題をめぐって世の中はものすごいスピードで変化していますが、論文や新聞記事などを読んで、世界が変わっているのを知ることも好きです。パリ協定採択の瞬間は、会議場にいて、COPで夜遅くまで議論していた内容がパリ協定につながったんだと思い、興奮しました。好奇心に引っ張られるままに、これまで生きてきたし、これからも生きていくんだと思います。
(聞き手:菊地 奈保子 社会システム領域)
(インタビュー撮影:成田 正司 企画部広報室)