前編では、高橋さんが地球温暖化影響研究をするようになった経緯について紹介します。ある勘違いが影響研究の世界に関わる入口になったそうですが、それはどんなものだったのでしょうか。

これ、何を話したんでしたっけ。もともと航空工学へ行きたかったっていう話はしてました?
飲み会の話のネタとしてはいいんですけど笑。
はい、そんな気がします。(インタビュー記事にも)書いてもらって大丈夫かなと思います笑
そうですね。卒論の研究テーマとして選びました。指導教官がいくつか研究テーマの選択肢を提示してくれたのですが、その中から全球規模の温暖化の影響の予測を選んだのでした。ただ、予測評価の対象を何にするのかということは、研究開始の時点でははっきりと決めていませんでした。人間健康への影響か、生態系への影響か、あるいは農業への影響か。半年間、卒論のための準備や勉強をする中で、その時に集めることができたデータとか、時間をかけて読んだ文献とかでだんだんとテーマが絞られて行って、最終的には農業分野、作物の生産性への影響の予測を行うことになりました。そうしたら、その卒論の研究結果である作物生産性の変化の予測地図が、次の4月か5月ぐらいに全国紙の一面にカラーで出たんです。同じころ、環境庁の環境白書にも結果の表と地図を掲載してもらいました。卒論研究を指導してくださった松岡譲先生(現京都大学名誉教授)、森田恒幸さん(2003年逝去・元国環研社会環境システム研究領域領域長)、甲斐沼美紀子さん(現地球環境戦略研究機関研究顧問)がAIM(アジア太平洋統合評価モデル)の開発プロジェクトを立ち上げて数年目の頃で、私の研究もその研究プロジェクトの中に位置付けられていました。それで社会的な発信力があったのだと思います。
卒論ですので、本来は最初から最後まで自力で研究を進めないといけないのですが、あまり出来のいい学生でなかったので、いま思えば、研究の構想、評価方法の準備など、多くの部分を指導教官に頼り切りでした。新聞や白書でも、クレジットは「国立環境研究所・京都大学の共同研究による」という形で、自身の名前は出ていないのですが、自分が中心的に関与して作り出した研究の成果が全国メディアの新聞や白書に掲載されたことには、驚きと喜びを感じ、それが修士課程で研究に没頭するきっかけとなりました。
気候予測のデータを受け取って、それがいろいろな部門にどんな意味を持つのか、を解釈することを研究の対象としてきました。環境研に入った後は、農業との関連で、水資源への影響を研究していました。
そうですね。人間健康に取り組んだのは、温暖化影響研究を始めてから10年ぐらいたってからのところになりますが。
国内の?役所のやつですか。
例えば、日本政府が海外と排出削減の目標に関する交渉とかしますよね。あるいは温暖化の適応に関しても、どのように途上国の適応策を支援していくかについての協力関係の検討とかありますね。そのときに、科学の立場から、今分かっているのは一体どういうことなのか助言するのが基本的な役割です。行政の方々が、前提となる科学的知識を携えて国際交渉の場に臨めるように、最新の研究知見の概要をインプットするわけです。私の場合だと、温暖化の全球規模での影響研究の最新知見などを説明することになります。
国内に関しては、国として適応計画を作るプロセスの中で、何も対策を取らなかったら、あるいはうまく対策を取れたら、温暖化の影響はどのようになると予測されているのか、といったことをお話します。それは国内で、適応策の優先順位をどのようにつけるべきか、といった議論に活用されるわけです。
委員会の場で大勢が集まって議論すると、相反する見解も示されたりします。その時に、最新の研究結果に照らしたら、どの見解の妥当性が大きいか、といった評価・判断を行うときもあります。単に知っていることを伝えるだけでなく、それを他の人が知っていることと突合せて、政策検討に役に立つ情報としてまとめるわけです。
あとは、省庁の施策として観測や予測を行う場合に、どのような仕様で行うのが、例えば影響予測研究の立場からはありがたいか、といったことを提言したりすることもあります。