森林の窒素飽和
人里離れた山奥の森に流れる水はきれいでおいしい、と連想させる映像は、テレビコマーシャルなどでよく使われます。山の湧き水を水筒に汲んで持ち帰り、お茶やコーヒーを淹れて楽しむ方も多いようです。たしかに、人家や工場などの排水が流れ込む川と比べれば、山奥の水はきれいだと言えます。しかし、山奥の森林にも人間の影響は及んでおり、遠い街で人間が大気に排出した物質が、雨や塵として降っています。大気経由で山地森林に運ばれる物質には、重金属や有機化合物など様々なものがありますが、私達は窒素化合物に注目した研究を行っています。
通常の森林では、窒素は養分として植物や微生物に吸収されるため、土壌から渓流水へ流出する窒素化合物の量は僅かです。しかし、植物や微生物の吸収量を超える窒素化合物が降ると、生態系で蓄えきれなくなった窒素が硝酸イオンとして渓流水に流出します。渓流水の硝酸イオンが増加すると、飲用に適さなくなる、あるいは下流の湖沼・内湾が富栄養化する、などの問題が起こります。このように、水源となる森林が窒素過剰な状態に陥り、渓流水への硝酸イオンの流出量が増加する問題を、窒素飽和と呼びます。より正確に言うと、窒素飽和とは、植物や微生物が必要な量を超える窒素化合物が存在する状態を定義した言葉です。そして、過剰な窒素負荷が継続した場合に時間の経過とともに森林生態系に起きる変化を、(1)植物の成長を促進する段階、(2)生態系自身に悪影響は現れないが、生態系外に放出する硝酸イオンや亜酸化窒素ガスが増加する段階(すなわち窒素飽和な状態)、(3)森林が衰退する段階、の3つの段階に分けて描写したのが、エイバー(Aber)が1989年に提唱した窒素飽和仮説です。この3段階の仮説は見通しの良い考え方ではありますが、過剰な窒素に対する森林生態系の実際の応答は、気候・植生・地形などに応じて様々であるため、現在でも個別の生態系に関する事例研究を積み重ねて検証されています。
欧米では、1980年代半ばから森林の窒素飽和が起こっていることが指摘されてきました。日本でも、関東地域などの大都市周辺での森林域では、渓流水の硝酸イオン濃度が高いことが確認されており、窒素飽和が顕在化しています。欧米における窒素飽和対策の研究では、原因となる大気汚染物質の排出源とその寄与を明らかにして、どの排出源をどれだけ削減すれば効果が大きいといった提言が行われてきましたが、私達は、少し視点を変えて、森林管理によって窒素飽和状態を緩和する可能性に注目した研究を行っています。
詳細については記事本文をご覧ください。読者の皆様にとって本号が有益な情報となることを願っております。
執筆者プロフィール
今回の特集で取り上げた通称”窒素飽和プロジェクト”のメンバーとして、窒素に伴って流出するカルシウムの研究に取り組んできましたが、ニュース編集委員として巻頭記事を書くことになり、大気・森林・水の窒素循環について改めて勉強しました。
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