Threshold, budget and deadline: beyond the discourse of climate scarcity and control
(気候変動のコミュニケーションにおける欠乏とコントロールの言説を超えて)

朝山慎一郎
2021.8.23

論文情報

Threshold, budget and deadline: beyond the discourse of climate scarcity and control
(気候変動のコミュニケーションにおける欠乏とコントロールの言説を超えて)

著者:朝山慎一郎
年:2021
掲載誌: Climatic Change, volume 167, Article number: 33

キーワード

気温閾値、炭素予算、気候の締切、欠乏、ポスト政治、解放

概要

国連の「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」は、その設立以来、常に気候変動に関する国際的な議論の中心に位置してきました。IPCCの評価報告書は、科学的な信頼性と権威性を持つことで、気候変動について一般の人々が理解を深めるための重要な情報源となっています。IPCCは、その組織的なミッションである「政策的に中立な助言者」という立場を堅く守る一方で、実際には、影響力のある科学的な概念を提示することを通じて、政策的な議論をある一定の方向に導くことのできる政治的な権力を持った主体として存在し、行為していると捉えることができます。

科学、政策、アドボカシーの間の垣根を越えて広く社会に流布するIPCCの象徴的な科学メタファーとして「気温閾値(temperature threshold)」、「炭素予算(carbon budget)」、「気候の締切(climate deadline)」の3つが挙げられます。これら3つの科学的なメタファーは、気候変動のリスクを空間的また時間的な観点からどのように言説的に表象するのかという点では違いがある一方で、気候変動問題を物理的な欠乏(scarcity)の課題に還元するという点においては共通しています。すなわち、これらのメタファーは、危機的な気候変動の悪影響を回避するためには、ある一定の物理的な上限があり、その限界値を超えないようにするために私たちに残された空間的または時間的な余裕はほとんどないといった認知の仕方(本稿ではそれを「欠乏」の言説と呼びます)を私たちの思考に植えつけるのです。

この物理的な欠乏という言説は、気候変動に関するコミュニケーションにおいて、非常に重要な政治的および心理的な含意を持ちます。政治的な意味でいえば、欠乏の言説は、地球全体の気候システムを管理、コントロールするための技術者による専制といったようなポスト政治的な傾向(「政治の欠乏」)を強めるおそれがあります。しかし、より大きな心理的な影響の懸念があります。つまり、欠乏の言説は、私たちの注意、関心をいかに物理的な欠乏を管理するのかという点にのみ収斂させることで、気候変動の問題に対処する中で人間の生のあり方を想像する力を私たちから奪ってしまうような「欠乏の認知」の危険をはらむのです。物理的な欠乏に囚われた偏狭な考え方の下では、地球の気候の未来は、それを越えたら世界の終わりを暗示するような「後戻りできない地点(ポイント・オブ・ノー・リターン)」で閉ざされ、その先の未来を描くことができなくなってしまいます。これが気候変動を物理的な欠乏の観点から捉えることの大きな問題なのです。

私たちがこの物理的な欠乏に囚われた思考回路から抜け出すためには、欠乏のコミュニケーションに取って代わる、新たな「解放(emancipation)」の言葉と思考を育んでいかなければなりません。解放のコミュニケーションでは、気候変動は「人類共通の行き先」ではなく、人間の生のあり方そのものを再構築していくための「人間的な苦境」として捉え直すことができます。こうした解放の物語を紡ぐことによって、私たちは自らの想像力を広げ、気候変動によって不可避に生じる社会的な喪失を受け入れながらも、より力強く政治的な行動を起こしていくことができるのです。