
広島県福山市出身。京都大学大学院工学研究科修了。工学博士。1977年に国立公害研究所(現国立環境研究所)入所。温暖化対策評価研究室長などを経て、2018年から名誉研究員。2014年から公益財団法人地球環境戦略研究機関の研究顧問を務める。2022年に統合評価モデリングコンソーシアムの「生涯功労賞」を受賞。
地球温暖化問題を統合的に評価するための「アジア太平洋統合評価モデル(AIM)」を故森田恒幸さん(国立環境研究所元領域長)、松岡譲さん(京都大学名誉教授)、原澤英夫さん(国立環境研究所元理事)らとともに開発し、AIMのネットワークに支えられながら、47年間の研究者人生を歩んできました。
1990年、国立環境研究所に「温暖化影響・対策研究チーム」が発足しました。アジア太平洋地域では、経済の発展とともに温室効果ガスの排出量が急増しつつあり、アジアにおける排出量を抑えるためにはデータに基づいた政策提言が必要だということで、そのためのモデル開発を始めようということになりました。
AIMは、社会、経済活動から排出される温室効果ガスを予測し、気温上昇など環境の変化や気候変動による影響を分析するためのコンピュータシミュレーションモデルの総称です。モデルは、現実の社会から分析対象となる要素を取り出し、理論に関連付けて構築されます。さまざまな前提に基づいてシミュレーションによる将来予測を行うことで、対策や政策を評価します。
当時、モデル研究は今ほど盛んではなく、地球温暖化研究のモデルもそれほど多くありませんでした。チームでモデルの勉強会を何度も重ね、まず、AIMの技術選択モデルを開発しました。私は鉄鋼のモデル開発を担当しました。3年ほどで日本モデルができると、森田さんたちは、中国、インド、インドネシアなどに、パートナー探しの旅に出掛けました。その後多くのアジア各国の研究機関がAIMのネットワークに加わり、これらの研究機関と共に歩みながら、AIMを用いた研究を行ってきました。現在では各国の研究者が、それぞれの国での「1.5℃目標※」達成のための道筋を示すようになっています。
※1.5℃目標 2015年に採択された「パリ協定」では、気候変動による悪影響を最小限に抑えるため、産業革命前からの世界の気温上昇を「2.0℃より十分低く保つとともに、1.5℃に抑える努力を追求すること(1.5℃目標)」という目標を掲げている。
私は1990年以来ずっと、AIMを用いた地球温暖化の予測研究に携わってきました。アジアの温室効果ガス排出削減シナリオの構築や、環境保全と経済発展、温暖化政策の評価研究などに取り組んだほか、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第4次および第5次評価報告書、1.5℃特別報告書の主執筆者を務めました。
2024年5月には、「パリ協定の長期目標を2℃から1.5℃に強化する知見を広めた」として、世界で地球環境の保全に多大な貢献をした人をたたえる「KYOTO地球環境の殿堂」の第15回殿堂入り者に選ばれました。アジア各国のAIMメンバーが作ったシナリオがIPCCの特別報告書でも引用されており、今回の決定は、私個人というよりもAIMの業績が評価されたようで、とても嬉しかったです。
技術選択モデルの開発から始まったAIMですが、今は経済活動を評価する経済モデルをはじめ、社会の課題に合わせたさまざまなモデルを開発して各種政策の評価や将来予測を行い、環境政策の検討に必要な情報を提供しています。国レベルの政策検討だけではなく、世界および地域の排出シナリオおよび地域における影響評価を行うために使用されるなど、さまざまなレベルにおける気候変動対策にかかる政策検討に用いられるようになりました。
子どもの頃から研究者を志していたわけではありません。両親も教育熱心ではなかったのですが、たまたま家から歩いて10分の距離に中高一貫校があったので、中学受験をして通うことになり、高校の同級生が皆、大学に行くというので私も進学しました。工学を専門に選んだのは、文章を書くのが苦手だったからという消極的な理由です。
学部では学生1000人のうち女性はたった2人。男女雇用機会均等法もない時代で、女性の就職先は限られていました。就職が決まらずに大学院に進むと、500人中の1人になりました。就職をあきらめかけた頃、京大の情報工学教室での実験助手の仕事を紹介してもらいました。2年後、高校の同級生だった森田さん経由で、国立環境研究所(当時の国立公害研究所)で女性の研究者を募集していることを知り、はるばるつくばまでやって来ました。1977年のことでした。
私と国立環境研究所をつないでくださった森田さんは、地球温暖化の影響評価と対策効果の研究の第一人者として世界で活躍されましたが、2003年に逝去されました。
AIM開発の中心になるとともに、ネットワークを築いてきたのは森田さんです。思い出すのは、「定年退職したらシンクタンクの会社を作ろう」と森田さんが言っていたことです。外回りの能力が高い森田さんが営業で、「甲斐沼さんは社長にしてあげる」と。約束は果たされませんでしたが、私はAIMチームでも「何でも屋」として動いてきました。文章をまとめ、予算案を作り、人の話を聞いて調整し、ワークショップを開催し、森田さん亡き後は研究プロジェクトのまとめ役として働いてきました。
森田さんが亡くなって、昨年で20年が経ちました。AIMの開発を始めてから、森田さんがいたのは最初の13年間だけで、その後は森田さんなしで進んできたわけです。実感はなく、むしろずっと、森田さんに背中を押されて動いてきたように感じています。2003年にAIMの詳細を書籍「Climate Policy Assessment: Asia-Pacific Integrated Modeling」 にまとめてSpringer Japan社から出版したのですが、これには森田さんとの思い出が詰まっています。
森田さんが作り始めていたシナリオ・データベースも引き継ぎました。他の人のデータを集めても新規性はないのではないかなどと言われましたが、どうしても森田データベースとして残したかったんです。残念ながら名前は残せませんでしたが、データベースは現在、国際応用システム分析研究所(IIASA)のデータベースとして活用されています。2007年にIPCCの要請で統合評価モデリングコンソーシアム(IAMC)を立ち上げたのですが、IAMCのメンバーによってIIASAデータベースが充実していくのを見ると嬉しいですね。
仕事で女性だから大変だと感じたことはそこまでなく、逆にIAMCの創設者の一人になれたのも、数少ないアジアの女性研究者だったからかもしれないと思っています。とはいえ、子育ては大変でした。夫は東京で仕事をしており、両親も広島県にいて頼れませんでした。当時は学童保育がなく、近所を歩いていると「もう子どもが小学生だから仕事を辞めないと」なんて言われて。近所の人の預かってくださるという言葉に甘えたり、そろばん教室の先生に仕事が終わるまで教室にいさせてもらえるようにお願いしたり、周りの人に助けてもらってばかりの日々でした。
研究所に来れば、目の前の仕事を片付けるのに必死でした。2011年に定年を迎える時に、すっぱり研究職を離れて指圧師になろうと思い、その後国家資格を取ったのですが、西岡秀三さん(地球環境戦略研究機関参与・国立環境研究所元理事)に地球環境戦略研究機関にお誘いいただき、研究の世界に留まりました。今は、続けてきて良かったと思っています。
地球温暖化問題は、日々深刻さを増しています。今すぐではないですが、人類が滅亡するような未来も予測されています。それが100年後なのか、はたまた100万年後なのかは分かりません。IPCCの第6次評価報告書では、最悪のシナリオでは2100年までに3.3~5.7℃、産業革命前と比較して世界平均気温が上昇すると予測されました。気温が 4〜5℃上がれば、人間が住めない地域が多くなると言われています。
1990年に研究を始めた頃は、温暖化の影響で、早くて2050年にはスキー場に雪がなくなるのではないのかと予測していました。現在、2050年を待たずに雪がなくなってきています。もう少し先に起こると思っていた影響が、既にいろいろなところに現れてきています。フランスでは2022年、記録的な干ばつで川の水位が下がり、水力発電が十分にできなくなりました。熱波で水温が高くなった川への影響を抑えるため、出力を大幅に抑えた原子力発電所もありました。
二酸化炭素排出量を今すぐ実質ゼロにしなければ、炭素の負債は増え続けるだけです。私たち研究者が訴えてきたことは少しずつ取り入れられてきていますが、まだまだ道半ばです。若い研究者には力を付けて、さらに頑張ってほしいですね。
脱炭素社会の実現のためには、社会システムの転換が必要だと言われます。今のシステムを改善するだけでは、抜本的改革にはなりません。具体的にどんな道筋があるのかは、私にもまだ見えていませんが、シナリオを描くだけで終わらずに、描いたシナリオをどう具体化していけるのか、若い世代には考えていってほしいと思います。目先のことだけではなく、いろいろな側面から物事を見ることができる研究者が育っていってほしいと思います。
そんなことを最近、若い研究者の方とお話しました。今はいろいろな方とお話しすることが良い気分転換になっています。ほぼ毎日、研究所に出勤しているのですが、煮詰まると廊下を歩いて、お会いした方とお話しています。いろんな考え方を持ってらっしゃる方がいて、人と話すのは本当に楽しいですね。
私自身はと言うと、今は研究よりも研究ネットワークのサポートに力を入れています。ヨーロッパの温暖化対策は比較的進んでいます。ヨーロッパには、広い歩道や自転車道がもともとありましたが、今はさらに充実しています。フランスでは部門ごとに5年間に排出可能な温室効果ガスの量を2033年まで設定しています。「気候中立社会実現のための戦略研究ネットワーク(LCS-RNet)」の事務局長としてインタビューを行い、ヨーロッパ各国の先進的な脱炭素の取り組みを紹介する記事を書いています。
2024年1月には、このネットワークの年次会合の内容をジャーナルの特集号としてまとめて発行しました。4年後にも同じような特集号を出したいと考えています。テーマの案としては「地域の脱炭素行動から学んだこと」が挙がっています。脱炭素政策をどのように進めていったら良いか。特集号で具体的な道筋や事例を示し、次世代に託していければと思っています。
(聞き手:菊地 奈保子 社会システム領域)
(撮影:成田 正司 企画部広報室)