人間活動を気象モデルに取り込み ヒートアイランド現象を分析

Vol.16 一ノ瀬 俊明 (社会システム領域 主幹研究員)
2023.10.4

いちのせ・としあき
長野県辰野町出身。東京大学大学院工学研究科修了。博士(工学)。農林水産省林野庁、東京大学助手を経て、1996年から国立環境研究所に勤務。名古屋大学大学院の連携大学院教授、華東師範大学(中国・上海)の顧問教授も務める。英語、中国語、ドイツ語が堪能。

将来は「人類生存をかけた最前線」に立ちたい

 小学校の卒業文集に書いた将来の夢は、天文学者か政治家。テレビアニメの影響があったと思います。氷河期の到来や砂漠化の進行などの影響で、人類の生存環境が徐々に損なわれていくのではないか、今のままではいられないのではないかという恐怖感を子どもながらに感じており、将来は「人類生存をかけた最前線に立ちたい」と考えていました。

 その延長線上に、持続可能性の議論があると思っています。私たちが生きている地球が、人間の住めない場所にならないようにするにはどうしたらいいのか。人間の生存にとって不利な場所で、どのように適応して生きていけばいいのか。ある意味では、人類の生存可能性を広げていくために研究活動に取り組んできました。

都市工学の視点から人間活動による排熱と気温の変化に着目

 専門は都市環境システム。郊外に比べて都市部の気温が高くなるヒートアイランド現象などを研究しています。東大の助手時代、季節や時間によって東京という都市の排熱量がどう変化し、気温がどう変わるのかを調べたのが始まりでした。ある月のある時間にはどういった燃料を、どのような目的で使っているのか。平均的な家庭、あるいはオフィスではどうか。エネルギー統計のデータと、詳細なデジタル地理的土地(建物)利用データを地図上に積み上げていって、人工排熱が1日で、また1年でどう変化するのかが一目で分かるアニメーションを大学のスパコンで作成しました。

東京23区における都市人工排熱の時空間分布。 (a)午前1時、(b)午前7時、(c)午後1時、(d)午後7時
出典:Ichinose, T. : (1997) Distribution of Urban Anthropogenic Heat in Tokyo Based on Very Precise Digital Land Use Data, CGER-D019(CD)-'97(CD-ROM)

 当時は、エネルギーを消費して残った熱を外に向かって捨てるという行為が気温を上げているなんて、局所的であっても誰も考えていませんでした。信じる信じないの前に、考えていなかったんです。でも私は都市工学を学んでいましたので、都市は人の生活する場所であるという考えを持っていました。病院があって、学校があって、中心市街地があって住宅地があって、人が生活をして都市があるので、人の生活が都市環境に何らかの影響を及ぼしていてもおかしくないと考えていたということです。そこで、人間活動による排熱と気温の変化に着目しました。パイオニア的な研究だったと思います。

 東京都心の人間活動による排熱量は、冬の昼間で1平方メートルあたり400 W を超え、新宿の高層街区の一角では、最大値で1平方メートルあたり1590 Wにも上ることが分かりました。郊外の家庭からの排熱量は、夜間に1平方メートルあたり約30 Wに達しました。気象モデルにこれらのデータを入力してみましたが、冬は東京湾からの海風が弱いために熱が取り除かれず、夜間にヒートアイランドが顕著に現れ、午後8時には大手町、新宿、池袋などの人が集まる地域に高温のピークが現れました。

自分も東大を目指せるのではないか

 将来の夢は天文学者でしたから、もともとは天文学か航空宇宙工学を専攻したかったんです。となると、当時は東大か京大に行くくらいしか選択肢はありませんでした。とはいえ、絵に描いたような中山間地域で、野山を駆けながら伸び伸びと育ちましたので、中学3年の春休みまで、東大に行こうなんて考えたこともありませんでした。ですが教員をしていた父親の教え子が東大に進学すると聞いて、自分にもできるのではないかと、ふと思ったんです。

 東大の理科二類に進み、結局は天文学ではなく、地理学を選びました。地球科学系の中でも気象学は、気候変動や気象モデルも取り扱い、主に地球規模の研究を行うわけですが、地理学(自然地理学の一分野である気候学)では公園の開発に伴う影響評価など、比較的小さなスケールで環境問題を研究することができます。「地理学を一生の生業にしたい。研究者になれなくても技術で生きていけるようになりたい」と、意気込むようになりました。

 人類生存のために何かをしたいわけだから、職業は政治家でも、宇宙航空研究開発機構(JAXA)のエンジニアでも良かったんです。でも結果的には小学校の卒業文集に書いた通り、分野は違いますが研究者になりました。小学生の頃はわりと真剣に、政治家になってブルジョア階級を倒し、真面目に働く人たちで理想の社会をつくりたいとも考えていましたが、そういう人間だったら「東大に行って出世する」なんてコースは選ばなくても良いですから、そもそも自己矛盾してますよね。

「風の道」の考えを都市計画に取り入れるドイツで学ぶ

 大学院では都市工学を専攻しました。そこでは伝統的に、廃棄物処理か水質汚染かの二択から研究テーマを選ぶのが一般的でしたが、私は大気汚染の研究に孤独に取り組みました。学部段階で気象学も学びましたので、それを活かしたかったんです。大気汚染物質の拡散について、モデルシミュレーションではなく、アメダスの膨大なデータを用いて気圧配置などのパターンで分類、汚染物質を粒子に見立てて分析し、各地域の大気環境を評価しました。

 その後、一度は農林水産省林野庁に就職したのですが、恩師の誘いで研究の世界に戻りました。国立環境研究所(国環研)には、1996年に現在の地球システム領域を研究センターとして正式に立ち上げる際に呼ばれて、アジア地域あるいは全球地域の土地利用変化のモデル化に取り組むことになりました。

 国環研に来て、活動の場が世界に広がりました。中国や韓国、タイにも地理情報の専門家として現地に赴き、共同研究を行いました。ドイツにも、フライブルグ大学気象学科の客員研究員として赴任しました。ドイツは都市計画に科学の知見を落とし込んでいる国なんです。ドイツの内陸都市は周囲を低い山に囲まれた盆地なので山風を利用しやすく、いつ頃(季節)の何時になると、こういう風が吹いてきて、空気がきれいになるとか、汚れが飛んでいくなどという「風の道」の考え方を都市計画に取り入れ、地方自治体や建築設計関係者が大気汚染や夏のヒートアイランド現象の問題解決などに実際に利用していました。

 ドイツの知見を日本で活かそうと、東京湾からの海風を有効活用して「東京を冷やす」ことを考えました。ただ、街の規模が大きすぎるので、山風ほどの効果は見えにくいんです。東京湾の海水面を冷やしたらどうか、技術的に可能なのかを調査して論文にまとめました。東京湾の海水面は人工排熱の影響を受けて、自然より何度か高い状態にあります。都心への冷却効果を発揮する海水面温度を自然の状態に近づけるため、東京湾への排熱プロセスの解明と、海洋深層水で海水面温度を調節する技術の検討も行いました。

 ヒートアイランドは、個別の技術的対策だけで解決できる問題ではありません。例えば汐留地区だけを解消することはできても、東京全体では何も変わらないんです。東京全体の環境改善を目指すなら、屋上緑化しても地上を歩いている人にはほとんど関係ないし、舗装材を変えるなんて何年かかるか分からない。それこそ、東京湾を冷やすくらいしか方法がないわけで、結局、広域的な都市設計が重要になります。

帰国後はアウトリーチ活動にも注力

 1999年にドイツから帰国した後は、環境省のヒートアイランド委員会の立ち上げに座長として関わり、研究のアウトリーチ活動にも力を入れるようになりました。国連環境計画(UNEP)が発行した「地球環境概況(GEO)」編纂事業にも、日本を含む北東アジア5カ国の取りまとめ役として参画してきました。2008年には名古屋大学大学院でも連携大学院教授として教えるようになり、2012年からは中学校の地理の教科書の執筆も行うようになりました。アウトリーチ活動は研究活動を見直し、強めていくプロセスです。活動を通じて得られた反応を自身の研究活動にフィードバックしていくことも重要だと考えています。

 現在は、地元つくば市での教育活動にも積極的に取り組んでいます。「筑波研究学園都市交流協議会」が実施する小中学校の出前授業の講師として、地球温暖化やヒートアイランド現象について子どもに教えてきました。父親が小学校の教員だったので現場を飽きるくらい見てきたんです。2018年には、科学教育に功績があったとして、つくば市の「つくば科学教育マイスター」にも認定されました。

国立環境研究所「夏の大公開2023」では、国環研構内を歩きながら、子どもたちに赤外線サーモカメラで身の回りの温度を見て、撮影してもらうツアーを実施した
撮影:菊地 奈保子(社会システム領域)

 環境や地理に関心を持ってくれる子どもが増えればと始めたことでしたが、授業を通じての発見も多くありました。窓ガラスにサーモカメラを向けると、ガラスの向こう側ではなく、こちら側の様子が映り、ガラスに「お化け」のような人影が見えることは、子どもたちに教えてもらいました。ガラスは赤外線を反射するので、こちら側の風景が見えるのは当然と言えば当然ですが、ガラスに「お化け」が映るのが面白いので、そのまま次の年から教材に使っています。

 屋外で色違いのシャツを着てもらい、シャツの表面温度を測る実験も出前授業で初めて行いました。これを発展させて、暑熱リスク軽減のために何色の衣服を選ぶのが適切かを論文にまとめたところ予想外の反応があり、衣服の専門家ではないので複雑な気分ではありますが、国内のみならず、スペインやタイ、ドイツなど世界各国のメディアで取り上げられるようになりました。

教育も科学的知見を社会実装する一つの方法と信じて

 研究の世界に入って、約35年間が過ぎました。今取り組んでいる論文の執筆を終わらせた後は、論文の執筆よりは教科書のような文章を書いたり、国際的なプロジェクトに貢献したりしながら、実際に社会を変えていくことに力を入れたいと考えています。

 持続可能な都市環境に関する科学的知見は当然しっかりあるわけで、それに即したまちづくりが行われるべきなのですが、研究成果が出て、出ただけで応用されずに終わっている現状にずっと葛藤がありました。こうすれば町が涼しくなると分かっているのに、その通りにはできない。日本では、どうしたら行政や市民、さまざまなステークホルダーを巻き込んで実践させることができるのか、分かっていないのかもしれません。科学の知見を国政や地方行政の現場で活かしてもらうために行動していくつもりです。

 一方で教育も、科学的知見を社会実装する一つの方法だと、私は考えています。社会を変えていくため、子どもたちにも引き続き向き合っていきたいです。私たちの時代は親に関係なく、頑張れば夢を叶えられる「古き良き時代」でしたが、今の子どもはどうしても、与えられた環境に左右されてしまいます。地域によって小学生の学力差も大きく、そうした子どもたちを見ていると、これからの日本はどうなるのだろうかと不安に思いますし、何かできればという思いに駆られます。

 最近は、つくば市内で子どもとすれ違う時にしかめっ面はできなくなりました。私のことを知っているかもしれませんし、挨拶してくれる子もいますから。これからも、自分にしかできないことを責任を持って果たしていきたいと考えています。

(聞き手:菊地 奈保子 社会システム領域)
(インタビュー撮影:成田 正司 企画部広報室)

インタビューを終えて
一ノ瀬さんとは実はご近所さん。飲食店が連なる地元「横丁」の顧問をされていたり、公園の住民運動にも環境問題の専門家として助言されていたりと、研究所の外でもお世話になっています。インタビューでは、ご家族のお話や、地域活性化のために出身地の長野県辰野町にも何度も足を運んでいるというお話も伺うことができました。ご自身の努力で成功を手繰り寄せ、積み上げてきたものを自分が暮らしてきた地域で生きる人々に還元しようとしている一ノ瀬さん。ご家族のことも、とても大切にされています。そんな一ノ瀬科学教育マイスターに、うちの子の教育もぜひともお願いしたいものです。