理論を実践・実現していく

vol.1-2 藤田 壮 センター長<後編>
2015.11.2

インタビュー内容<後編>

藤田 壮:社会環境システム研究センター センター長

今回は、後編として藤田センター長の研究のご関心はどういったところにあるのか、そして、
それから発展して、藤田センター長の考える「研究者の役割」などについて、お届けします。

ざっくり言うと今、研究のご関心はどういうところにあるんですか?

 (藤田)理論を社会で実践・実現していくことに一番の関心があります。理論というのは、環境の理論だったり、経済の理論だったり、人間行動理論だったり、広い意味の理論です。実践という事は政策を作るとか、関連する法律作りに貢献したり、国際会議に参加するとか、あるいは実際の街を作るとか、いろんな実践がありますけども、理論やモデルでわかることを具体的に実際の社会に役立てていきたいということが研究の一番の中心と考えています。

なかなか、一般の人からすると、「理論てなんだか難しい…」という印象があると思うのですけども、それを実現して行く時に心掛けている事はありますか?

  日本の色々な言葉、学術用語が、英語なり、西洋の言葉を訳していることで、いろいろな学術の議論が硬く聞こえるところもあるかもしれません。たとえば、THEORYという言葉も、英語の社会だったら野球の理論もあるし、あるいは実際の生活の理論もあるし、日常生活で普通に使われています。理論そのものは普遍的なルールであるとか、あるいは「原則」、それ自身も硬いですけど、我々がいろんなものを作っていく際や、物を設計していく際に、例えば力学の法則を使って大きな構造物をつくったり、運動方程式を使って色々な物を作ったりします。同じ様な理論、ルールが人間にもあるのだろうなと思っています。何故理論が必要かというと、大きな『転換期』を迎えているからだろうなという気がします。

今までの、10年前と同じ事をやっている時代であるとか、あるいは30年前と同じ事をやっていれば豊かでいる時代であれば理論的考察は不要で、過去の事を継承していけばいいともいえますね。新しい街を作ろうと思ったら30年前の街をつくれば良いし、新しい道路を作ろうと思えば、これまでの法律で作れば良いけど、今明らかに人口減少であるとか、温暖化の問題もそうですし、あるいは環境資源の劣化を地球レベルで考えればこれまでと同じ事をやっていてはいけないのは明白で、われわれは『転換期』を迎えているといえます。転換というのは過去を観察しても、解決策を見出せないので、頭で考えるしかないですね。そうするとどの様に環境が変わっていくかとか、人がどのように関わっていくかと、やはり原則を一つ見出して、それを実際に色々情報と組み合せて、予測とか、シミュレーションに掛けるというのが仕組みで、それが広い意味で理論でありますけど。理論は、環境研究の分野では、これまで非常に蓄積されてきているし、もしかしたら国立環境研究所の一番強いのは、モデルとか理論なのかもしれません。

先ほどおっしゃった様に、環境と環境理論とは広義の学術的な情報というものを社会に活かしていくには、社会の人が難しく感じることを、難しくなく受け入れてもらうようにすることが必要なのでしょう。それは研究者にとって挑戦になりますが、今の社会ではそういう研究活動と研究人材が必要とされてきています。そこは我々が研究者として目指していくところかもしれません。理論と現実を結びつける事を考えていく事が大切になる時代なのでしょう。

私自身は環境工学から街づくり、都市計画とかというところへの関心から研究を始めてきました。この社会センターはもっと視野が広く日本全体がどうなるべきだとか、地球全体がどうあるべきということを考えています。そういう研究は地球全体や日本全体とかを2050年とか2100年という長い視野で考えることになります。それに対して街づくりはこの街を今、具体的にどうしたいという短い視点も必要となります。
どういう社会を形成するか、どのような街づくりを進めるか、については幅広い空間と時間の視点や立場が必要になりますが、それぞれの視点や立場の間にも大きなギャップがあって、センターの一員として、研究者個人として広い立場で見せてもらうことで学問的関心がふかまってきたとも感じています。

(地球全体や、2100年のことを考えるとなると)…壮大ですね。

  研究というものは現実が追い着いてしまえば研究ではないということで壮大さが必要なのかもしれないですね。普通の人がすぐには見えないものを見せる知恵と経験とスキルがあるから、何も作っていない研究者が社会に役立つ可能性があると考えるようにしています。現実のモノを売買したり、物を作っている人達と同じように社会で報酬を頂けるという事は社会に対してなんらかの貢献しているわけですけど、それを生業として続けるためには研究者は実際の社会から一歩二歩先を行っていないといけないともいえます。環境という分野はあまり社会の主流では無かった時代から始まって。ここ10年くらいは社会がどんどん環境を大切に考えそこでの現実の行動がどんどん変化、進化して来ています。そのなかで、われわれは何十年前の理論とか、モデルからどんどん前に進んでいかなくてはいけないという難しさがあるかもしれないですね。

研究者は他の人に見えてないものを見ている分、研究者が見ている事をいかに分かりやすく伝えていくか、課題になっていくかと思うのですが?

  理論を実践につなげるには、その間のコミュニケーションギャップや認知ギャップを埋めることが大変重要ですね。あるいは認知してもらえるように理論を再構築するとかも必要ですね。多分そういう意味で科学コミュニケーションということがいろんなステージで必要とされているんでしょう。理論とか研究に近いところでやるコミュニケーションもあれば、もっと実践のパートナー、ファシリテーターみたいな形でやっていくコミュニケーションもあります。さらに、環境の実践者そのものの一員としてやっていくことを含めると、科学コミュニケーションには3ステージくらいあって、まさに理論と実践をつないでいくことが社会センターのこれからのミッションそのものかもしれないですね。
また、いろんなギャップ、認知の違いを見出して、その中で適正に必要な研究分野を考えて実際に研究資源をそこに充てて、そのギャップを埋めていく事が、今の(自分の)仕事かもしれないですね。

ちなみに、そもそもなぜ研究者になろうと思われたのですか?

  10年間建設会社で都市計画などの分野で働いてから、縁があって大学に助手(今の助教)のポストで移りました。企業から研究者になって当初、自分の名前でものが言えるのがすごく嬉しかったですね。組織の名前ではなくて、個人で責任をもって発信できることが研究者を続けている大きなモチベーションの一つかもしれないですね。もちろん、それは同時に責任を伴う事で、自分が言ったことをちゃんと世の中に対して位置づけていかないといけないわけですが、30代でも40代、50代、60代を超えても自分の意見を自分の責任で社会に打ち出していける、問うことができるのが研究者の良いところであり、研究者を続けることの理由の一つですね。
それから15年間ほど大学に居て、その後10年弱はこちら国立環境研究所にお世話になっていますけど、大学と研究所の違いはやっぱり教育があるか無いかであることを感じます。教育があるという事は、自分の研究コミュニケーションの責任に常に一定の義務を持つ事であります。その教育の責任を果たすがゆえに研究成果の責任に対してある種の自由度が許されるところがあるのです。一方で研究所では自らの教育責任が無いのでその研究成果が社会に対して貢献することにより真摯に責任を持たないといけないかもしれません。
なおかつ、いわゆるビジネスでの商品にもならない研究が社会に役立つことをどのように説明するか、納得していただくか、いわばどうやって正当化されるかということを、われわれ研究機関の研究者はより一層真剣に考えないといけないと思いますね。

どういった価値を社会に出すかですね。

  22歳で学部を卒業後に社会に出ていますから、30年ほどいろいろな実務についていると自分のやっている事が社会のどこで社会に価値を提供できて貢献できるかということを確認したいという意識があります。その中で環境研究者という職業は、この20年~30年間は社会的な要求が拡大して行った分野で、そこに身を置けているのは非常に良い経験だと思います。国立環境研究所の住理事長は、「環境が「主流化」した」ということをおっしゃります。主流化すると色んな人が環境に関心を持ち始めるので、今まで社会の関心の境界領域でおこなっていたかもしれない研究が世に問われる事になるから、これからより一層研究の質を高める必要があると考えています。環境が主流化された時代の中で埋没されない様に、我々は自らの研究に、より一層の価値付けを意識しないといけないということかと思います。もちろん、環境研究に対する社会ニーズが拡大するということは純粋に良い事なのだと思いますし、そういう意識で環境研究を通じての社会貢献を考えるべきだと思います。

最後に、読者へメッセージと、今後の野望があればそれも教えてください。

  (読者へのメッセージとして)、読んで頂く方というのは、所外の方とするとやっぱり、我々は今までは環境を保全するとか、あるいは公害対策の視点で行った研究から、これからは環境で社会を活気づけるとか、あるいは環境で社会が潤うとか、そういう社会を作っていかないといけないという立場に立っただろうと思います。その中で我々30年を超える経験と人的・知識的な蓄積のもとで新しい形で環境研究が世の中で使って頂ける時代に今来ているのだと思いますし、そのチャレンジをするだけの決心・覚悟を持って今組織を検討しています。次期・中期計画としてそういう形で検討されているという事ですね。

「環境で社会を潤す」。どういうイメージですか?

  一つは環境の支えが無いと農産物や工業製品もつくれないわけですから、環境の恵みを将来にわたって保全しないと我々は持続的な暮らしを確保できない訳です。これだけ工業化社会と言われていても、自然の恵みの組み合わせで生活を考える必要があります。我々のすべての活動は直接的に、間接的に地球環境の恵みの下で与えられている訳で、そのポテンシャルを維持していくことが、我々の生活を豊かにする訳です。そういう関心・視点が無かったら我々が享受できる生活のサービスはどんどん劣化していくかもしれないので、そうならない様に環境の資源を守りながら次世代につなげる事が、我々も豊かになるかもしれないということが環境で社会を潤す考え方です。もう一つは環境というのは、人々にとって心地よい言葉で、同じものを消費しながらも、あるいは同じお金を払いながらも、私は環境に役に立っていると思えると、自分が幸せに感じる様な社会も出来るシンボルになる期待もあります。非常に物理的な、あるいはもののサービスという意味で環境が豊かになる以外に、心が豊かになるという事があるので、そのものの豊かさと心の豊かさの両面から環境が社会を支えるという事を実現していきたい。そういうような事に我々は役割を果たす覚悟をしないといけないと思っているのですね。

野望になるかわかりませんが、我々の研究所からノーベル賞に限らないのですが国内外で高く認識されて、我々の行なっている事が世界でリーダーシップを担うということを目指すことが大切かもしれません。リーダーシップというのは我々が権威を持つ事ではなくて、我々の考えている事が色々な世界の色んな研究者とか、或いは環境にかかわる人に対して、よりよい知恵を提供出来る様な、そういう意味の「知識のリーダーシップ」を世界的に果たしていくという事が我々の研究所の役割かもしれません。それを期待したいですね。すでにIPCCがノーベル平和賞を受賞したときに研究所のメンバーも受賞者に名を連ねているのですが、そういう機会やあるいは新しい環境の理論を発見したとか、世界でも最先進の環境の実践とか、世界で共通して享受できて恩恵を周りに与える様な、そういう研究成果が実現する様な組織になれば良いですね。そうすると今以上にもっと若い人達が研究所を注目して、もっと情報交流や情報発信がしやすくなることにつながるかもしれません。

ありがとうございました。

初回インタビューは、藤田 壮 センター長をお相手に、盛りだくさんの内容となりました。
次回も乞うご期待です!
(聞き手:杦本友里(社会環境システム研究センター)、2015年9月28日インタビュー実施)
(撮影:成田正司(企画部広報室))