ハチジョウノコギリクワガタが飛翔能力を消失した進化的要因を解明
研究の背景
昆虫の移動手段としての飛翔は、捕食者回避や採餌、配偶において重要です。しかし、翅(はね)や飛翔筋の維持には多大なエネルギーコストがかかり、それが飛翔による利益を上回る時は、飛翔能力が失われることがあります。飛翔能力の消失の研究は、これまで種の中で異なる飛翔能力を持つ個体が混在する飛翔多型注1)が見られる種を中心に研究されてきました。しかし、種全体で飛べない種については、飛翔に必要な翅・飛翔筋・飛翔行動が体系的に検証されておらず、飛べなくなった生態学的な要因についての議論も、多くが推測の域にとどまっています。その背景には、飛翔能力の消失が、生物の分類における「種」よりも大きな枠組みである「科」レベルで生じていたため、飛翔できる近縁種との比較検証ができないことに起因していました。
ハチジョウノコギリクワガタは、伊豆諸島の八丈島に生息するノコギリクワガタ属の一種で、雌雄ともに飛翔しないと考えられています。伊豆諸島各島には、ハチジョウノコギリクワガタと姉妹群にあたるノコギリクワガタが生息していますが、いずれの近縁種も雌雄ともに飛翔します。そこで本研究では、ハチジョウノコギリクワガタを対象に、飛翔能力消失に関わる形態や行動について近縁種との比較を行い、飛翔能力消失の要因を探りました。
研究内容と成果
本研究では、伊豆大島と利島でノコギリクワガタ基亜種注2)を、神津島でノコギリクワガタ伊豆諸島南部亜種を、八丈島でハチジョウノコギリクワガタを採集し、これら4個体群について飛翔形質と歩行形質を比較して、ハチジョウノコギリクワガタの飛翔能力消失の要因を調べました(図1)。
まず、飛翔に必要な翅・飛翔筋・飛翔行動に違いがあるかを検証し、飛翔能力の至近要因(直接的要因)の特定を試みました。その結果、翅はハチジョウノコギリクワガタのメスにおいて縮小が認められました。アロメトリー解析注3)の結果から、翅の成長にどれだけエネルギーが使われるかが個体群特異的に変化しており、本種における翅の縮小は単なる体サイズの縮小ではなく、翅にかけるエネルギーが他の個体群よりも相対的に低下していることが示唆されました。また飛翔筋は、雌雄ともにハチジョウノコギリクワガタにおいて顕著な萎縮が見られました(図2)。一方、飛翔行動はハチジョウノコギリクワガタを除くすべての個体群で観察されました。ハチジョウノコギリクワガタでは、完全な飛翔こそなかったものの、「翅を広げる」や「羽ばたく」といった飛翔前行動が観察されました(図3)。これらのことから、本種の飛翔能力の至近要因は飛翔筋の萎縮であることが分かりました。
次に、ハチジョウノコギリクワガタの飛翔能力消失の究極要因(進化的要因)は、飛翔への依存の低下と地上歩行への依存の増大ではないかと考え、歩行行動と歩行形質に着目して検証をしました。その結果、オスでは個体群間で違いは見られなかった一方、メスではハチジョウノコギリクワガタが最も速くかつ長距離を歩行移動し、静止頻度も低いことが明らかになりました。この歩行行動の性差からは、オスの林床(森林の地表面)における待ち伏せ型配偶戦略注4)と、メスの産卵場所探索行動を反映している可能性が示唆されました。さらに、ハチジョウノコギリクワガタの全脚長に対する跗節(ふせつ)注5)長の比率は、雌雄ともに他の個体群よりも小さいことが分かりました。この結果は、地表徘徊性の昆虫では脚長が長くなるという先行研究とは対照的で、倒木下環境を利用する本種の行動的嗜好により促進された可能性があります。以上のことから、ハチジョウノコギリクワガタの飛翔能力消失は、本種の地表嗜好の生活様式に適応する形で進化してきたと考えられます。
今後の展開
本研究により、ハチジョウノコギリクワガタの飛翔能力消失は、飛翔筋の萎縮という直接的要因に加え、飛翔に代わって地上歩行への依存が高まったこと、とりわけメスにおいて歩行能力が強化されたことが、飛翔に対する選択圧を弱める進化的要因となった可能性が示されました。ただし、地表の餌資源利用など他の進化的要因の可能性については、さらに検証が必要です。
さらに、ハチジョウノコギリクワガタの行動や形態の進化にとどまらず、伊豆諸島の形成史や環境変遷といった生物地理学的・進化学的観点を取り入れ、飛翔能力の消失を手がかりに、島嶼(とうしょ)環境における昆虫の進化過程を多角的に解明していくことを目指します。
参考図

図1 本研究で対象とした4個体群のノコギリクワガタ属と生息地(伊豆諸島)の位置関係。ノコギリクワガタ属は伊豆諸島各島に生息しており、最も南端に位置する八丈島に生息するハチジョウノコギリクワガタは飛翔能力が消失している。本研究では、伊豆大島と利島からノコギリクワガタ基亜種を、神津島からノコギリクワガタ伊豆諸島南部亜種を、八丈島からハチジョウノコギリクワガタを採集し、飛翔形質や歩行形質について比較検証した。

図2 ハチジョウノコギリクワガタと伊豆大島産ノコギリクワガタの飛翔筋の断面図。ハチジョウノコギリクワガタの飛翔筋(オス:a、メス:b)は、伊豆大島産ノコギリクワガタ(オス:c、メス:d)と比較して、筋肉の発達に明確な差があった。赤枠で囲まれた部分は飛翔筋の領域を、オレンジ色の枠で囲まれた部分は消化管が位置していた場所を示している。

図3 各島のノコギリクワガタ属の飛翔行動の割合。ハチジョウノコギリクワガタでは、完全な飛翔行動は見られなかったものの、「羽ばたく」「翅を広げる」といった飛翔前行動をする個体が存在した。図中のa、ab、A、Bなどは個体群間で統計学的な有意差があることを示している。
用語解説
注1) 飛翔多型
同じ昆虫の集団内で飛翔能力が高い「長翅型(有翅型)」と、低い「短翅型」あるいは、もたない「無翅型」が混在する現象。
注2) 基亜種
ある生物種の中で、最初に発見されて学名が登録された、基準となる亜種のこと。
注3) アロメトリー解析
体の大きさと、翅や脚など各部位の大きさの関係を統計的に調べる手法。体の大きさが変わったときに、特定の部位がどの程度大きく(あるいは小さく)なるかを明らかにする。
注4) 待ち伏せ型配偶戦略
オスが自ら広く移動して相手を探すのではなく、餌場や産卵場所などにとどまり、そこにやって来る相手を待って交尾する繁殖戦略。
注5) 跗節
昆虫の脚の先端部分にあたる節。地面や木の表面に接する部分で、いわば「足先」にあたる構造。
研究資金
本研究は、笹川科学研究助成による支援(2022-5004)を受けて実施されました。
掲載論文
【題名】Mechanisms of flight loss in Island endemic stag beetle Prosopocoilus hachijoensis (Coleoptera: Lucanidae): a comparative analysis of flight and walking traits among congeners(ハチジョウノコギリクワガタ(鞘翅目:クワガタムシ科)における飛翔能力消失のメカニズム:近縁種間における飛翔形質および歩行形質の比較解析)
【著者名】T. Komoriya, T. Saga, M. Ikemoto, and T. Yokoi
【掲載誌】The Science of Nature
【掲載日】2026年4月1日
研究代表者
- 修士課程2年次
- 小森谷 泰
- 准教授
- 横井 智之
- 助教
- 佐賀 達矢
- 日本学術振興会特別研究員(PD)
- 池本 美都
問い合わせ先
【研究に関すること】
横井 智之(よこい ともゆき)
筑波大学 生命環境系 准教授
URL: https://sites.google.com/site/tomoyokolab/home(外部サイトに接続します)
【取材・報道に関すること】
筑波大学 広報局
E-mail: kohositu(末尾に“@un.tsukuba.ac.jp”をつけてください)
神戸大学 総務部広報課
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国立環境研究所 企画部 広報対話室
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