生物多様性、水、食料、健康、気候変動の危機を同時解決するために
—IPBES「ネクサス評価報告書」を読み解く

土屋 一彬(社会システム領域 主任研究員/IPBES「ネクサス評価報告書」第3章執筆者)
2025.1.31

 今は世界のあらゆるものがつながっている時代です。食べ物を作るために森が切り開かれ、気候変動の影響で生き物たちの生息環境が失われるなど、生物多様性、水、食料、健康、気候変動といった、私たちが直面するさまざまな危機もつながっています。こうしたつながり合う危機に対処するには、問題の相互関係を分析し、包括的な解決策を提示することが必要です。

 2024年12月、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の生物多様性版として知られる「生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学・政策プラットフォーム(IPBES=イプべス)」は、気候変動下での「生物多様性、水、食料及び健康の間の相互関係に関するテーマ別評価報告書(ネクサス評価報告書)政策決定者向け要約」を公表しました。

 生物多様性、水、食料、健康、気候変動という複数の危機の相互連関を分析し、問題を同時解決するための“71の具体的な対策”を提示したこの報告書は、生物多様性の問題にとどまらず、食料や農業のあり方なども含めて広く社会に影響を及ぼす内容になっており、同じタイミングで公開されたIPBESの「社会変革報告書」とともに、IPBESが社会により深く関わっていく転換点になったとの声もあります。

 ネクサス評価報告書は、具体的にどのような内容を発信しているのでしょうか?執筆者の立場から読み解きます。

1. ネクサス評価報告書とは

 IPBESは2012年、生物多様性についての世界の知恵を集めるための国際的なプラットフォームとして誕生しました。正式名称はIntergovernmental Science-Policy Platform on Biodiversity and Ecosystem Services (生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学-政策プラットフォーム)です。世界147カ国の政府がメンバー(2025年1月時点)として参加しており、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の生物多様性版とも呼ばれます。

 IPBESの主な役割は、生物多様性に関する知識を報告書の形でとりまとめることです。数年ごとに異なるテーマで報告書が公開されており、ネクサス評価報告書は、持続可能な開発目標(SDGs: Sustainable Development Goals)の達成に向けた生物多様性の重要性を理解するため、「生物多様性、水、食料及び健康の間の相互関係に関するテーマ別評価」を目的として、3年かけて57カ国165名の研究者によってまとめ上げられました。

 ネクサス評価報告書のネクサスは、「結び付き」を意味します。生物多様性、水、食料、健康はどれもSDGsの項目に深く関わっており、縦割り型のアプローチではなく、こうしたSDGs項目の間の複雑な相互連関 について、生物多様性の観点からひもといていくことが、報告書に期待されました。また、実際に執筆を開始するにあたり、気候変動の問題抜きでネクサスを議論することの限界が指摘され、報告書のタイトルになかった気候変動も要素の一つとして扱われることになりました。

ネクサス評価報告書が承認されたIPBES総会の様子
写真提供:IPBES (Photo by IISD/ENB - Kiara Worth)

2. ネクサス評価報告書の三つのポイント

執筆者の目線から見た、ネクサス報告書の三つのポイントは以下の通りです。それぞれ詳しく解説していきます。

① 生物多様性、水、食料、健康、気候変動の関係は、ポジティブにもネガティブにもなる

 執筆者らは、生物多様性、水、食料、健康、気候変動の間の複雑な関係を整理するために、総計6,500以上の科学論文などの知見をまとめました。特にネクサスという複雑な課題をどのように整理するのかという「視点」の議論には多くの時間を費やし、各要素の関係性をまとめた図には、各要素の改善と悪化を示すポジティブとネガティブの矢印が何度も登場します。

 食料は、他の要素と特に対立する傾向にあることが示されました。食料増産は水質悪化の原因になったり、森林の消失を招いて生物多様性の劣化をもたらしたりすることがあります。一方、気候変動の緩和は、適切に実施されれば生物多様性、水、食料の分野における改善に大きく貢献することができるなど、報告書はポジティブな相互関係も指摘しています。

 SDGsの達成に向けてすべてのネクサスを改善していくためには、このような複雑な関係性の理解に基づいた対策が必要です。

② 生物多様性、水、食料、健康、気候変動のすべてが100点満点の未来を実現することは難しいが、すべての改善を同時に達成することは可能

 ネクサス評価報告書は、生物多様性、水、食料、健康、気候変動の未来に関する展望も示しました。これは、シミュレーションモデルを用いた将来シナリオ分析から得られた知見を中心にまとめたものです。私は、この部分の執筆に参加しました。

 報告書は、科学論文から集めた180以上の「起こりうる未来」であるシナリオを精査し、大きく6種類のシナリオ群に分類しました(図1)。6種類のうち、現在と同じ状況が続くことを想定した「自然の搾取」シナリオ群では、生物多様性を含むほぼすべての要素が悪化していきます。また、生物多様性、気候変動、食料のいずれかを最優先する3種類のシナリオ群(生態系保全ファースト、気候変動緩和ファースト、食料ファースト)では、他の要素にネガティブな影響が起きてしまいます。

図1 6種類の各シナリオ群における、生物多様性、水、食料、健康、気候変動の各要素の将来的な変化
ネクサス評価報告書政策決定者向け要約の図5Aを基に筆者作成

 ですが、残る2種類のシナリオ群では、すべての要素が改善していくことが分かりました。ただし、ネクサスのどの要素をより重視するのかは異なります。保護地域の拡大に加えて、グリーンテクノロジーの強化などを特徴とするシナリオ群(自然志向型ネクサス)では、生物多様性と気候変動と水は改善されますが、食料と健康はそこまで改善されません。一方、保護やテクノロジーよりも自然資源の持続的な利用をより重視するシナリオ群(バランス型ネクサス)では、食料と健康は良くなりますが、その他の要素はそこまで改善されません。

 残念ながら、生物多様性、水、食料、健康、気候変動のすべてが100点満点の未来を実現するようなシナリオの方向性を見いだすことはできなかったというわけです。それでも、いずれの要素も悪化しないような将来像を見いだせたことで、希望ある未来に向けた議論の材料を提供できたと思っています。

③ すべての要素の同時改善は縦割り型の取り組みでは達成できず、「ネクサスアプローチ」への転換が必要

 ネクサス評価報告書では、目指すべき将来像を実現するために必要な71種類の具体的な対策も紹介しています。各対策がネクサスの各要素にもたらす影響だけではなく、SDGs、パリ協定、昆明・モントリオール生物多様性枠組※1との関係も詳細に紹介されており、政策担当者が参照できる辞書のようにまとめられています。

 対策は10の課題別にまとめられています。中でも課題「持続可能なかたちで消費する(Consume sustainably)」については、多くの人々の日常生活にかかわる対策が並んでいます(図2)。「陸上の太陽光発電」や「洋上風力発電」といったエネルギーに関する対策は気候変動の緩和にはポジティブな影響を与えますが、生物多様性にはネガティブな影響がありえます。逆に、「持続可能で健康な食生活」や「肉類の過剰な消費の削減」といった食料に関する対策は、水を除く全ての要素にポジティブな影響があり、ネクサス全体の改善につながる可能性が指摘されています。日々の食事が生物多様性と健康と気候変動の問題に深く関係していることは、報告書の中で繰り返し強調されています。

図2 「持続可能なかたちで消費する」ための各対策オプションが生物多様性、水、食料、健康、気候変動に与える影響
ネクサス評価報告書政策決定者向け要約の図8を基に筆者作成

 個別の対策をうまく組み合わせていくことの重要性も、報告書は強調します。例えば、健康のために水田での野焼きを禁止したことで、農業者らが冬期湛水を導入するようになり、そのことが自然再生の取り組みにつながり、さらには気候変動の影響を軽減するための湿地創出に連鎖していった事例が紹介されています。

 私たちは、こうした連関や依存関係を問題解決に活かしていく考え方を「ネクサスアプローチ」と呼ぶことにしました。報告書は、「縦割りの取り組みでは生物多様性、水、食料、健康、気候変動のすべてを同時に良くしていくことができない」と訴えます。組織の縦割りを超えてビジョンを共有し、生物多様性、水、食料、健康、気候変動に関わるさまざまなステークホルダーが協力する「ネクサスアプローチ」への転換が、世界、国、地域のさまざまなレベルで必要である、というのが社会に向けたメッセージです。

おわりに

 持続可能な未来の実現のためには、環境と経済、社会のバランスに注意する必要があります。持続可能な社会の実現という漠然とした問題に対し、生物多様性、水、食料、健康、気候変動の各要素が、互いにどのような影響を及ぼすかを示したネクサス評価報告書の71の解決策は、持続可能な未来を実現するための「手引書」になりえるのではないでしょうか。未来を変えようとする多くの人の手に、この報告書が届くことを願っています。

2022年5月にドイツのフランクフルト・アム・マインで開催されたIPBESネクサス評価報告書第1回執筆者会合での集合写真
写真提供:IPBES

※1昆明・モントリオール生物多様性枠組は、2020年までの国際目標だった「愛知目標」を引き継ぐ、生物多様性に関する新たな世界目標で、2022年12月の生物多様性条約第15回締結国会議で採択されました。2030年までに世界の陸と海の30%を保全する「30by30」目標など、生態系保全と資源の持続可能な利用に関する具体的な目標が含まれています。

[編集:菊地 奈保子(社会システム領域)]

参考リンク

IPBES. “Nexus Assessment Report SPM (ネクサス評価報告書政策決定者向け要約)”. IPBESホームページ 2024. https://bit.ly/NexusSPM.

IPBES Secretariat. “Nexus Assessment Report Launch (ネクサス評価報告書記者発表会見動画)”. 2024. https://bit.ly/NxsLaunch.

IPBES公式ホームページ. https://www.ipbes.net/.

環境省. “生物多様性及び生態系サービスに関する政府間科学-政策プラットフォーム(IPBES)総会第11回会合の結果報告について”. 環境省ホームページ. 2024. https://www.env.go.jp/press/press_04118.html.