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専門家から見たOne Health研究の将来ビジョン -感染症に強い社会を実現するために-


論文情報
タイトル
Current research and future directions for realizing the ideal One-Health approach: A summary of key-informant interviews in Japan and a literature review
専門家から見たOne Health研究の将来ビジョン -感染症に強い社会を実現するために-
著者
Kiyohiko Andoh, Arata Hidano, Yoshiko Sakamoto, Kotaro Sawai, Nobuo Arai, Yuto Suda, Junki Mine, Takehiko Oka
*下線で示した著者は国立環境研究所所属
雑誌
One Health  DOI: 10.1016/j.onehlt.2022.100468
受理・掲載
2022年12月1日 受理, 2023年1月9日 オンライン掲載 オンライン公開への外部リンク
概要

近年、新型コロナウイルス感染症(COVID-191))をはじめ様々な野生動物由来病原体による感染症が発生しており、One Healthの理念2)に基づいた対策が世界的に重要視されています。本研究では、One Healthの中核をなす医学・獣医学・生態学に加え、情報工学分野の専門家や行政関係者、ジャーナリスト等にインタビューを実施し、継続的な感染症対策の実施に必要な技術的・社会的課題やOne Health研究の将来展望を描出しました。その結果、「異分野融合研究を加速するための技術開発や安定的な研究継続に資する社会システム構築が重要である」という見解が示されました。

社会的背景と研究の経緯

COVID-19発生以前から動物に由来する感染症はたびたび問題となっていましたが、特にこの数十年間でそのリスクがより顕在化してきています(図1)。このようなリスク増大の背景には、人と野生動物の接触機会が増加していることが挙げられ、人の社会活動に起因する生態系破壊や生物多様性の劣化が根本原因として存在します。そのため、将来の未知感染症発生リスクに備えるためには、人だけではなく動物や自然環境にも目を向けて対策を講じる必要があります。
このような背景のもと、「人の健康」、「動物の健康」、そして「環境の健全性」を一つの健康と捉えるOne Healthの理念に基づいた感染症対策、すなわちOne Healthアプローチが世界的に重要視されています。One Healthアプローチは、解決が必要とされる科学技術的・社会的課題が複雑かつ数多く存在し、関連する専門分野や関係者が多岐にわたるという特徴があります。そのため、分野を超えた融合研究が必要不可欠な一方で、それぞれの分野で専門性が異なるがゆえに解決すべき課題を具体化することが難しいという一面もありました。

今回、「Human Well-being」(人々の幸福)が達成された理想の社会を実現するために必要な課題を調査する「JSTムーンショット型研究開発制度ミレニアプログラム」において、複数の機関の研究者で構成される調査チームの一つである「動物由来感染症マネジメント検討チーム」は、国内でOne Healthにかかわる産官学様々な分野の専門家にインタビューを実施することで、One Healthアプローチを推進するうえで将来的に解決が必要と考えられる科学技術的課題や社会的課題、異分野融合研究などの将来展望を描出し、今後の研究開発及び制度設計の指標とすべき知見として学術誌に発表しました。

この100年間に発生した主な動物由来感染症

図1:この100年間に発生した主な動物由来感染症
現在問題となっているCOVID-19をはじめ、この100年間に発生した感染症の大半は野生動物に由来する病原体が人社会へと伝播することで発生し、特にウイルスを原因とするものが数多く存在します(UNEP report (2022)を改編)。枠内は、各感染症を引き起こす病原体の自然宿主及びその伝搬者と考えられている動物(括弧内)を示します。


研究の内容・意義

本研究では、One Healthに関連が深い感染症研究者や医学関係者、製薬企業関係者、野生動物や生態学の専門家に加えて、普段はOne Healthと関わりが少ない情報工学分野の研究者や行政関係者、ジャーナリスト等幅広い有識者にインタビューを実施しました。そして、各専門領域において取り組まれているOne Healthアプローチを整理するとともに、異分野融合研究を実施するうえで解決が必要な課題を描出しました。特に、複数の学問分野を超えた共同研究を実施するうえで必要となる技術革新や研究推進の妨げとなる社会的課題を聞き取ることで、以下の課題や見通しが明らかとなりました。

<科学技術的な課題と見通し>
One Healthの理念に基づく異分野融合研究を加速するためには、各専門領域の技術を互いに適用可能にするための技術開発とイノベーションが必要となります。

例:AI技術などの情報工学をOne Health関連研究に適用するためには、前提条件として、大量の情報を高精度に収集してそれらを適切に加工・整理・データベース化する技術が必要となります。しかしながら、現在のOne Healthアプローチにかかわる医学・獣医学・生態学などの主要研究分野では、この前提条件があまり整っていません。そのため、必要となる収集情報を事前に共有し、検体や情報を収集する担当から、得られた情報を利用可能な形で集積し解析する担当までの各分野が一体となって課題に取り組み、異分野融合研究の効率を最大化する必要があります。


<社会的な課題と見通し>
未知の感染症に備えるための研究を持続的に実施するためには、One Healthにかかわる研究により得られた成果(技術や情報)から新しい価値を創出し、安定的に予算を確保し人材を育成するためのシステムや制度作りが必要となります。

例:現在、未知の感染症に備えるための研究は継続して行うことが必要な一方で、資金的な面では持続性に乏しいという問題を抱えています。それは、製品開発研究のように経済的な付加価値を生じにくく、新規市場創出などによる事業化や継続的な予算の確保が難しいためです。しかしながら、One Healthの理念に基づく取り組みを推進することは、自然界に潜む未知の感染症リスクを低下させることにより、人々が意識せず自然界から享受している生態系サービス3)という価値を守る効果もあると考えられます。今後は、このような副次的な効果がもたらす経済的な影響を評価するとともに、一般市民の予防に対する意識が変化していくことで新たな価値観を創出し、持続可能な体制を構築していくことが重要となります。

今後の予定・期待

One Healthという言葉は非常に幅広い概念を内包するため、各専門家が所属する分野あるいは業界によって取り組みの内容や研究開発の方向性等の具体的なイメージは様々だと考えられます。今回の研究により得られた、多様な専門家各々の目線で考えるOne Healthアプローチの課題と将来展望は、既存のOne Healthに関わる研究実施者の参考になるのみならず、これまでOne Healthに馴染みがなかった分野からのOne Healthアプローチによる異分野融合研究を考える際のきっかけとなることが期待されます。
また、One Healthアプローチを推進するためには科学技術的な課題解決のみでは不十分であり、経済システムの中での持続可能な体制の構築やリスクコミュニケーション、法規則の整備、一般市民の意識の変化といった人文社会学的な目線での課題解決も必要であることが再認識されました。そのため、今後のOne Healthアプローチには、科学技術分野に加えて、社会学や法学、経済学、政治学などこれまで以上に広い分野の参画と連携が必要だと考えられます。

用語の解説

1) COVID-19
2019年に野生動物から人社会へと伝播した新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)により引き起こされる感染症であり、世界的に大きな流行を引き起こしている。

2) One Healthの理念
 人と動物の健康、そして環境の健全性は生態系の中で相互に密接に関連しており、人における感染症発生を防ぎ健康な社会を形成するためには動物と環境の健康・健全性も同じ一つの健康(One Health)であると考えて取り組まなければならないという理念。世界保健機関(WHO)、国連食料農業機関(FAO)、国際獣疫事務局(OIE)及び国連環境計画(UNEP)による会合において、One Healthの理念に基づく取り組み(One healthアプローチ)とは「人、動物、生態系の健康を持続的にバランスよく最適化することを目的とする統合的かつ統一的なアプローチ」であると定義されている。

国連環境計画(UNEP)ウェブサイト(英語):国際機関によるOne healthの定義に関する声明
https://www.unep.org/news-and-stories/statements/joint-tripartite-and-unep-statement-definition-one-health



3) 生態系サービス
生物多様性を基盤とする生態系から人類が得られる恩恵のこと。水や食料などの資源を供給するサービス(供給サービス)、気候や都市環境の調整、自然災害の緩和などをもたらすサービス(調整サービス)、生物(商業的価値のあるものを含む)に生息・生育地の提供などを行うサービス(生息・生育地サービス)、人間が自然に触れることによって得られる、レクリエーションや芸術的インスピレーションの機会を提供するサービス(文化サービス)などがある。

環境省ウェブサイト:生物多様性と生態系サービスの経済価値に関する説明
https://www.biodic.go.jp/biodiversity/activity/policy/valuation/teeb.html



関連情報

予算:JSTムーンショット型研究開発事業ミレニアプログラム JPMJMS20M2