福島は日本有数の豊かな里山を擁する地域で、日々の手入れを通じて、豊かな生物多様性が育まれていました。しかし2011年の原発事故以降、避難指示区域では人の営みが消え、それまで維持されてきた里山の機能は停止を余儀なくされました。
震災直後は放射能の影響が大きくクローズアップされましたが、こうした「人がいなくなること」自体も生態系に重大なインパクトを及ぼします。
今回は、避難指示区域での10年以上にわたる長期モニタリングから生き物たちの変遷を捉え、持続可能な保全戦略と地域社会の復興のあり方のヒントを模索する、国立環境研究所の吉岡さんにお話を伺いました。
豊かな里山を抱く福島で起こった原発事故
福島県は、奥羽山脈や阿武隈高地がもたらす起伏に富んだ地形と、地域ごとに異なる豊かな気候風土を有しています。
こうした環境のなか、古くから人々は間伐や草刈り、水路の維持などを通じて自然を適度に管理し、それにより豊かな生物多様性が育まれてきました。
しかし、2011年の福島第一原子力発電所事故の発生により、避難指示区域では、その状況が一変しました。
人々は生活の場を追われ、それまで維持されていた里山の機能は停止を余儀なくされました。
もちろん、放射能そのものが生物多様性に及ぼす影響は重要なテーマです。
しかし同時に、里山から「人がいなくなる」ということ自体、地域の生態系にとって極めて重大な意味を持ちます。
そうした生態系の変化をつぶさに記録するため、吉岡さんは2014年から10年以上、避難指示区域における野生動物のモニタリングを続けています。
人がいなくなった環境で野生動物はどうなるのか
耕作や居住といった人間活動の停止が生態系にもたらす影響を解き明かすことは、単なる学術的成果にとどまりません。
避難指示区域で起きている広域かつ長期的な管理停止は、将来の人口減少社会が直面する管理放棄の課題を先取りした「縮図」にほかならないからです。
そのため、長期モニタリングで得られるデータは、日本をはじめとする先進諸国が共通して抱える過疎化と生物多様性の維持という構造的課題に対し、重要な示唆を与えると期待されます。
一方で、吉岡さんは、そうした研究の長期的な意義を見据えることだけでなく、地域社会に対する貢献も、欠かすことができない両輪の一つだと考えています。
「学術的な成果として発表するだけにとどまらず、地域の生き物の現状を住民の皆様に丁寧に伝えていくことが重要です。
科学的に裏付けられた情報を知ることで、見えない不安をやわらげ、この土地の新たな価値を見出すきっかけにつながればと考えています。
研究の立場から、地域社会の復興を少しでも後押ししたいと願っています」
長時間滞在できない避難指示区域での調査
一般的に、野生動物や自然環境の長期的な変化を正確に捉えるためには、できるだけ多くの地点で膨大なデータを蓄積し、分析の精度を上げることが不可欠です。
しかし、厳しい制限がある避難指示区域での調査には、特有の困難が伴うと、吉岡さんは言います。
「通常の調査と異なり、避難指示区域では立ち入り場所・ルートについて事前に厳密に申請する必要があり、滞在時間も限られます。
そのため、現実的に実施できる調査手法としては、罠(トラップ)による生物採集か、カメラ等の機械を用いた調査のいずれかになります」
一方で、トラップによる生物採集には大きなデメリットがあります。
避難指示区域内で採集したサンプルは放射性物質を含む可能性があるため、厳格に管理する必要があり、取り扱いや保管のコストが跳ね上がるのです。
こうした時間的・物理的な制約をクリアし、かつ継続的で精度の高いデータを収集するため、吉岡さんらは主にカメラをはじめとする自動観測機器を用いたモニタリング手法を採用しています。
対象種に合わせたさまざまな調査手法
吉岡さんは、国立環境研究所(以下、国環研)つくば本部の研究者らと共同で、昆虫からカエル、鳥類、哺乳類に至るまで、幅広い分類群を対象とした生物モニタリング調査を行っています。
「モニタリング対象種の選定では、地域の環境や社会に与える影響という視点を重視しています。
人間生活に害を及ぼす生物、逆に利益を与える生物、あるいは人々の暮らしのすぐそばにいた身近な生き物など、地域社会と関わりが深い種を厳選し、それぞれの生態や特性に合わせた手法で調査を行なっています」
具体的なアプローチとして、吉岡さんはまず哺乳類の調査を挙げました。
「哺乳類については、市販の自動撮影カメラを森林に設置しています。
周囲との温度差によって動物の動きを検知し、自動で動画を撮影する仕組みです。
研究を開始した2014年当時でも1台2万〜3万円と手頃ながら、乾電池だけで約半年間も稼働し、モニタリング用途に十分耐えうる精度を備えていました。
調査の信頼性を担保するには数十地点への設置が必須だったため、予算的にもこのカメラの存在は非常に大きかったです」
一方、鳥類と両生類の調査では、かつて住民が集った学校や公民館などの公共施設にICレコーダーを設置しました。
「タイマー付きのICレコーダーを設置し、生き物たちの活動が活発になる5〜7月に毎年調査を行なっています。
早朝は鳥類、夜間はカエルの鳴き声を自動で録音する仕組みで、こちらも2014年から避難指示区域の外や解除された場所も含めて約50地点で、現在も継続的に調査を続けています」
さらに、里山の環境変化を測る重要な指標として、花粉を運ぶハチやハエなどの送粉昆虫にも注目しています。
「送粉昆虫は、植物の受粉を助けることで野生植物の多様性を維持する重要な役割を担っています。
しかし、昆虫は体が小さいため哺乳類や鳥類と同じように撮影するのは難しく、また、ハチやハエ等の送粉昆虫に関しては鳴き声での判別もできないので、自動観測装置でモニタリングすることは、一般的に困難です。
翅音の特徴から種を判別する技術などもありますが、まだフィールドでのモニタリングに使用できる精度はありません。
そのため、トラップを仕掛けて採集できた個体を同定・計数するというアナログな手法で地道に調査を重ねています」
人がいなくなることで増える種、減る種
こうした多角的な調査を長年継続した結果、生物の種によって増減のパターンが明らかになってきました。
「まず哺乳類については、イノシシなどが避難指示区域内で活発に繁殖し、個体数をふやしています。
カメラには、小さなウリ坊(イノシシの子ども)を引き連れてわが物顔で闊歩している様子などがたびたび記録されています。
一方で、スズメやツバメといった人里に近い環境を好む鳥類は減少傾向にあります。
これは、近年の全国的な傾向とも一致する現象です。
両生類でも興味深い違いが見られます。
田んぼを主な住処とするトウキョウダルマガエルが鳴き声を潜める一方、幅広い環境に生息するアマガエルは比較的どこででも鳴き声が記録されました。
昆虫類については、調査できているのはまだほんの一握りですが、やはり生態によって増えるか減るかが分かれる傾向にあります。
例えば、花粉を運ぶハナバチの仲間は増加傾向にあります。
理由はまだわかっていませんが、農薬の不在や巣作りに必要な資源が確保しやすくなったことなどが背景にあるのかもしれません。
一方で、チョウの仲間はどちらかというと減少傾向にあります。
管理停止によって草丈が高くなりすぎるなどの環境変化が関係しているのかもしれません」
赤とんぼの自動撮影装置を開発
こうした広範なモニタリングを進める一方で、吉岡さんたちは里山環境の変化を測る指標生物として赤とんぼ類の自動計測にも乗り出しました。
しかし、他の昆虫と同様、トンボは変温動物、哺乳類の調査で活躍した赤外線センサーでの検知が難しいため、従来の自動撮影カメラをそのまま適用できないという課題がありました。
吉岡さんたちは、トンボの習性を活かしたアイデアと、異分野の研究者との連携で、技術的なハードルをクリアしました。
「『夕やけ小やけの赤とんぼ とまってゐるよ 竿の先』という童謡の歌詞にもあるように、トンボ類は棒の先に止まる習性があります。
その習性をうまく利用できないかと考えたのが、この研究のきっかけでした。
具体的には、赤とんぼが棒に止まると下に影ができることに着目しました。赤とんぼが止まると影になる部分に光センサーを仕込み、その明るさの差をトリガーに撮影する装置を、国環研つくば本部の研究者と共同で開発しました」
その後、吉岡さんたちは福島県農業総合センターと協力し、営農再開水田などで実証実験を行いました。
その結果、開発した装置で自動撮影された個体数と、人の目によるカウント数はおおむね傾向が一致することを突き止め、装置の有効性が証明されました。
吉岡さんらはこの自動撮影装置の検知機構について特許を取得しており、民間企業からも興味が寄せられています。
実際の運用と並行して、吉岡さんたちは、この赤とんぼ自動撮影調査法のさらなる改良に取り組んでいます。
「最近は、ディープラーニングを導入して、雲の影などの誤作動によって生じる膨大な不要画像のフィルタリングを行っています。
AIによる自動判別を行うことで、人間の目視と遜色ない精度でトンボ画像だけを抽出できるようになりました」
赤とんぼの自動撮影装置について、詳しくはこちら
自動撮影装置を発明して田んぼの赤とんぼを調査する
地域の皆さんとともに歩んでいくためには
吉岡さんは、「研究者として学術的な成果を挙げることはもちろん重要だが、それだけでは十分ではない」と、地域との繋がりの重要性を強調します。
「地域の復興には皆様の理解と協力が必要不可欠です。
信頼を築くためにも、得られたデータはできるだけ透明性の高い形でオープンにしていきたいと考えています」
その具体的な実践の一つが、2015年から2018年にかけてつくば本部の深澤圭太研究員(現主幹研究員)が主導した、避難指示区域で録音した野鳥の声を地域のバードウォッチャーと共に聞くイベント『バードデータチャレンジ』への参画です。
最初に開催した福島市での好評を受け、郡山市やいわき市などへも活動の輪を広げました。
そのような取り組みはコロナ禍でしばらく途絶えていましたが、2024年には国環研が開発している野鳥の鳴き声について学ぶオンラインツール『とりトレ』の体験会が福島市内で行われました。
吉岡さんも、その体験会に深く関わっています。
「『とりトレ』の体験会では、避難指示区域内で一般的に見られる鳥類の鳴き声を学んでいただきました。
こうした場を通じて、私たちのモニタリングの取り組みを知ってもらう機会を、今後も引き続き作っていきたいです。
『とりトレ』体験会開催レポートはこちら
オンライン学習ツールで野鳥の声を学ぶ[とりトレ体験イベント開催レポート]
一方で、ただ市民の皆様に協力や参加をお願いするだけでなく、参加すること自体にやりがいを感じられるような枠組みづくりも大切になってくると思っています。
そのためには多様な人々が関わっていく必要がありますし、私自身もその一部となって、共に歩んで行けたらと思っています」
日本の未来の「縮図」から、持続可能な保全戦略を考える
吉岡さんは、これまでに蓄積したデータが今後の環境保全における現実的な戦略の基盤になると考えています。
「現在、日本全国で過疎化による里山の荒廃が進んでおり、限られたリソースの中で全ての場所を従来通りに維持することは困難な時代を迎えています。
そうした中で福島のデータは、『どのエリアを優先して手入れすべきか』『どのエリアは自然の遷移に任せても問題がないのか』といった、科学的根拠に裏打ちされた効率的な保全戦略を立てるための判断材料になります。
さらに将来的には、自然の機能を活用して社会課題を解決する『NbS(Nature based Solutios; 自然に根ざした解決策)』の土台にもなり得ます。
人口減少社会における持続可能な環境づくりに対し、実践的な解決策を検討していく上でも、ここで蓄積された知見は重要な役割を果たすと考えています」
研究を進める人
東京大学大学院農学生命科学研究科、国立環境研究所生物・生態系環境研究センターを経て同研究所福島支部(現:福島地域協働研究拠点)に着任。景観生態学や昆虫学の視点から生物多様性の保全、自然共生型社会の推進に関わる研究を行って来た。現在は福島県の避難指示区域とその周辺の生物多様性・生態系モニタリングや人口減少社会下での里地里山環境の評価等に取り組んでいる。
▶ 吉岡さんのインタビュー
「福島の美しい里山を自然共生社会のモデルに—保全生態学に魅せられて—|吉岡明良」