福島の避難指示区域などで10年以上にわたり、生態系のモニタリング調査を続けている吉岡 明良博士。
幼少期の自然への興味を原点に保全生態学の道を歩み、一貫して現場での実証研究にこだわりながら、現在は福島の豊かな里山環境を未来へつなぐという視点から日々データを積み上げています。
今回は吉岡さんに、これまでの歩みや研究への思い、そして福島の地から目指す自然共生社会の展望について伺いました。
図鑑から登山部へ
——まずは子ども時代のお話からお話を伺いできればと思います。当時はどんなお子さんでしたか。
出身は石川県金沢市です。
幼少期は自然観察や図鑑を眺めるのが好きで、昆虫や魚が持つ独特な造形の多様さに魅せられていました。
特に昆虫は身近にそれなりにいましたので、図鑑で見た種を実際に野外で見つけては楽しんでいました。
そういった経験もあり、具体的な職業のイメージこそありませんでしたが、ぼんやりと「将来は自然に関わる仕事がしたい」という気持ちは持っていたように思います。
その後、地元の金沢にある中学、高校へと進学しました。
中学ではバドミントン部で体力を養い、高校では登山部に入部しました。
登山部顧問の先生が非常に熱心で、今となってはなかなか難しいことですが、当時は毎週のように山へ連れて行ってくださいました。
振り返ってみると、部活動で日常的に自然に触れ合えたことは、私のその後の人生の選択に影響を与える貴重な経験となったと、とても感謝しています。
登山を通じて深く自然に触れる時間を重ねたことで、幼い頃からの「自然に関わる仕事がしたい」という思いは、より強固なものになっていきました。
上京とインターネットの普及。桁違いの情報量に触れた大学時代
——高校卒業まで地元金沢で過ごされ、大学進学に合わせて上京されたそうですね。東京での暮らしはいかがでしたか。
進路選択のときも環境や生物への興味が軸あり、場所にはあまりこだわりはありませんでした。
ただ、せっかく進学するなら色々な経験を積みたいと思いましたので、予算が潤沢で、多くの機会に恵まれた大学がいいなと思い、東京大学を選びました。
私の両親はともに高校の文系教師(日本史と国語)だったので、本に囲まれた環境で育ったものの、家庭内でいわゆる理系的な本や情報にはあまり触れる機会がありませんでした。
また、私が高校生だった頃はまだインターネットも現在ほど普及しておらず、図鑑や書籍以外の専門的な情報にはアクセスしにくい状況にありました。
そんな環境で育ったものですから、上京後に所属した生物系サークルでは私にとって大きな驚きの連続でした。
サークル仲間の中には都会の昆虫コミュニティなどで深い知識を蓄えてきた人も多く、「こんな世界があったのか」と圧倒されました。
図鑑にはない、ディープで実践的な知見を持つ同世代との交流は、非常に新鮮で大きな刺激となりました。
さらに当時は、インターネットの常時接続(つなぎ放題)が普及し始めた時代でもありました。
学生ならではの豊富な時間を使い、ネットを通じて膨大な情報に触れることができたのも、視野を広げるきっかけになりました。
特定の種だけではなく、システムとして自然を捉える保全生態学
——大学では、具体的にどのような分野に関心を持ち、専門を決めましたか。
メディアなどでは毎日のように取り沙汰されていましたし、幼少期から自然が好きだったので、自然と環境問題に関心を持つようになりました。
一方で、私が子どもの頃は、環境問題といえば地球規模の資源問題か、特定の象徴的な生き物だけを守る運動のどちらかがフォーカスされることが多く、自分の自然観とのズレがあり、違和感を抱いていました。
そんな思いを抱えたまま進学した大学で、「保全生物学」や「生物多様性」という概念に出会い、「これこそが自分のやりたかったことだ」と強く感じました。
今でこそ広く浸透している概念ですが、当時は新興分野として台頭し始めた時期で、蒙を拓かれる思いがしたのを覚えています。
個別の生き物だけを見るのではなく、それらをすべて包括する生態系という大きなシステムとして自然を捉えて保全していくというアプローチに新鮮な面白さを見出し、この分野へ本格的に進むことを決意しました。
また、もう一つ強く惹かれたのが里山のような、適度に人の手が入ることで持続されてきた自然の存在です。
当時はまだ「自然は人間の手を加えず、何もしないで放っておくのが一番良い」という考え方が一般的でしたが、必ずしもそうではないということを学び、強い関心を持ちました。
実験室を飛び出し、実際のフィールドでの生物動態に迫る
——大学や大学院では、どのような研究をされましたか。
大学から大学院にかけては、日本の保全生態学の第一人者である鷲谷いづみ先生のもとで、フィールドワークを中心とした研究を行いました。
当時、日本では研究といえば実験室レベルでの検討が主流で、実際のフィールドを対象とした実証研究はまだ不足していると感じていました。
私はそのギャップを埋めるような研究がしたいと考え、実験室を飛び出して野外での調査を軸に据えました。
学部生から修士課程にかけては、鬼怒川の河川敷で、砂礫(されき)地に生息するカワラバッタ類に対して外来植物が与える影響を研究しました。
続く博士課程では、宮城県の蕪栗沼(かぶくりぬま)周辺にある減農薬水田地帯へとフィールドを移し、その水田で毎年発生する害虫カメムシを対象に、発生源である牧草地での個体数の増減を調査しました。
その結果、牧草地同士の距離がその増減を左右する重要な要因であることを突き止めました。
そうした研究を通じて、実験室の中にとどまらず、実際のフィールドという大きなスケールで、野生動物や自然のふるまいを数値化し、客観的に分析していくというプロセスに、強い魅力を覚えました。
今振り返ると、文系家族の中で育ったバックグラウンドがあったからこそ、目の前の自然現象をデータに落とし込んで解き明かしていく理系的なアプローチが、ことさら新鮮に映ったのかもしれません。
それが、現在にまで続く私の大きなやりがいとなっています。
福島の里山の豊かさに憧れていた矢先の震災
——吉岡さんは現在、福島の避難指示区域などで10年以上に渡り生態系モニタリングを続けられています。この研究を始めたきっかけは何でしょうか。
博士課程での宮城県の調査を通じて、東北にはもともと深い親しみを感じ、その自然の豊かさにすっかり魅せられていました。
しかし、2011年の東日本大震災によって、その環境は大きく変容しました。
震災当時、私はポスドクとして、土地利用図のデータから景観の複雑さを計算し、日本各地の「さとやま度」を算出・地図化するプロジェクトに携わっていました。
その分析の中で、福島県は地形が複雑で多様な土地利用が混ざり合う、極めて質の高い里山環境を有していることがデータとして示されていたんです。
そのため、私自身も福島の里山に対して、かねてより強い憧れを抱いていました。
そうした背景もあり、震災後は自分がこれまで培ってきたフィールド生態学の知見を生かし、「東北の自然に貢献する調査を行わなければならない」という強い想いが芽生えました。
そんな折の2014年、国立環境研究所(国環研)が福島の自然に関する研究者を募集していることを知り、公募に応募しました。
採用が決まってからは、これまでの経験と知見を福島へ還元すべく、現地での生態系モニタリングを中心に研究を行っています。
復興まちづくりに生物多様性の視点を
——10年以上にわたる福島でのモニタリング調査を経て、今、吉岡さんが感じていらっしゃる課題や、これからの展望についてお聞かせください。
現在、世界的にカーボンニュートラル(温室効果ガスの排出実質ゼロ)の意識は既に社会へ浸透しつつあります。
しかし一方で、生物多様性の保全というテーマについては、まだ社会全体への浸透が十分ではないと感じています。
その背景には、生物多様性が持つ「計りにくさ」があります。
二酸化炭素の排出量のように単一の指標でクリアに数値化することが難しいため、現状の評価や具体的な目標設定がしにくいという課題があるのです。
だからこそ、私たちが日々行っているような地道なモニタリングデータをさらに積み上げ、生物多様性を客観的に評価する仕組みづくりに貢献していきたいと考えています。
昨今では、単に自然を守るだけでなく、減少傾向にある自然を回復軌道に乗せる「ネイチャーポジティブ(自然再興)」や、自然が持つ多様な機能を防災や気候変動などの社会課題解決に生かす「NbS(Nature-based Solutions:自然に根ざした解決策)」という言葉が注目されつつあります。
社会をより良くするためのこうした新しいアプローチを考えていく上でも、その土台となる生物多様性の確かなデータは決して欠かすことができません。
これからも研究者として、現場でのデータや知見を真摯に蓄積し続けていきたいと思います。
そして、それらをこれからの福島のまちづくりや復興、ひいては持続可能な社会の実現に向けて還元していくことが、今の私の大きな目標であると同時に、果たすべき役割だと考えています。
福島を自然共生社会のモデルへ
——最後に、研究者として、福島県民として、吉岡さんが日々実感されている福島の魅力、そして次世代へのメッセージを伺えますか。
東北の長く厳しい冬が明けた後、一斉にさまざまな種類の桜が咲き始める様には、何度立ち会っても新鮮な感動を覚えます。
特にここ三春の桜は枝垂れ桜が多く、見頃を迎えると、あたり一面に桃源郷のような光景が広がります。
さらにその季節が過ぎると、今度は水田に水が張られ、水鏡のような美しい景色が広がる。そのダイナミックな移り変わりもまた、深く胸を打たれます。
福島には本当に素晴らしい里地里山環境が息づいていると、日々実感しています。
そんな豊かさを持つ福島での復興というプロセスは、これからの時代を見据えた「自然と共生できるまちづくり」を地域一体となって体現していく、大きなチャンスでもあると考えています。
現在、福島で行われている研究や地域での実践は、これからの日本の里地里山のあり方、ひいては「人と自然が共生する社会」をどう築くかという、非常に重要なケーススタディになるはずです。
だからこそ、これからの社会を担う若い方々にも、ぜひ積極的にこの福島の地に関わってほしいと願っています。
研究者プロフィール
東京大学大学院農学生命科学研究科、国立環境研究所生物・生態系環境研究センターを経て同研究所福島支部(現:福島地域協働研究拠点)に着任。景観生態学や昆虫学の視点から生物多様性の保全、自然共生型社会の推進に関わる研究を行って来た。現在は福島県の避難指示区域とその周辺の生物多様性・生態系モニタリングや人口減少社会下での里地里山環境の評価等に取り組んでいる。
▶ 吉岡さんの研究紹介
「人が消えた里山で動物たちはどう変わったか —長期モニタリングから探る人口減少社会へのヒント—」