国立研究開発法人 国立環境研究所
環境リスク・健康領域 Health and Environmental Risk Division
 

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リスクセンター四季報(2003-2006)より

Vol.3 No.3,4 (4)
日本人の土壌摂食量

東京大学大学院新領域創成科学研究科助教授(当時) 吉永 淳

 われわれ一般人が日常生活を送るなかで、化学物質へ曝露する経路として以下の二つが主であると従来は考えられてきた。食べ物や水を飲食する際にそれらの中に存在する化学物質を摂取する経路と、呼吸にともない大気や室内空気中に存在する化学物質を吸い込む経路の二つである。これに加えてやや特殊ではあるが、皮膚を通して体内に化学物質を取り込む経路も知られている(入浴中に風呂水中のトリハロメタンを皮膚を通して取り込む例が有名である)。

 欧米では以前から、これらに加えて土壌の直接摂取が化学物質の曝露経路として重要であることが気づかれていた。わが国ではつい最近まで長いこと、土壌を汚染した化学物質がヒトに曝露する経路としては、土壌汚染が地下に浸透し、汚染された地下水を摂取する経路と汚染した土壌で生育した作物を摂食することが想定されてきた。これに加えて第三の経路である土壌の直接摂取とは、本来地表面に存在する土壌粒子が、風による巻き上げを介して大気中に飛散し、これを呼吸とともに取り込むが、粒径の大きい土壌粒子は上気道から消化管の方に落ち込んできたり、またこどもの場合、土遊びをして手に付着した土壌粒子をなんらかのはずみで飲み込んだりしてしまうことで、消化管内に取り込んでしまうことをいう。しかも、化学物質によっては飲食物や空気からの曝露レベルよりも土壌の直接摂取の方が多い場合すらあることも知られている。

 土壌の直接摂取による化学物質曝露レベルを知るためには、土壌中の当該化学物質の濃度と土壌の摂食量(g/日など)の両方の情報が必要となる。土壌中の化学物質濃度はさまざまなモニタリングや観測の結果、データが蓄積されているが、問題は土壌の摂食量である。そもそもわれわれは一体どれくらいの量の土壌を食べているのであろうか。まったく見当もつかない、というのが本当のところではないだろうか。

 欧米では以前から土壌の直接摂取に着目していたために、土壌の摂食量が見積もられている。元素のなかには土壌に特徴的に豊富に存在するが、食べ物などのなかにはほとんど存在しないものがある。たとえばアルミニウムやチタン、ケイ素などといった元素がそれである。被験者のこうしたマーカー元素の摂取量(飲食物中濃度×飲食物摂食・水量)と、排泄量(糞便・尿中濃度×排泄量)を比較し、排泄量の超過分をこれらマーカー元素の土壌中平均存在度で割ると、土壌の摂食量が見積もられる。欧米で行なわれたこの種の調査の結果、平均的に言えば、おそらく成人は1日30~60mg、こどもの場合はもう少し多くて100~250mgの土壌を摂食しているだろうということである。

 わが国において土壌摂食量が問題となったのは、平成11年の土壌中ダイオキシンガイドライン値評価のときであった。その際には、これら欧米のデータを仮定して(土壌摂取量デフォルト値:成人100mg、小児200mg)ガイドライン値の蓋然性を検証した。しかし欧米人とは生活習慣などが異なるわれわれの土壌摂食量は同じだろうか。土遊びの種類や頻度は欧米とわが国でほぼ同じであろうか。欧米では土足で室内に入り、そうした室内の床の上で乳幼児が遊ぶ。とすれば土壌粒子への曝露の機会が異なるのではないだろうか。

 環境省は平成12年度に、首都圏2カ所の計33世帯の日本人親子を対象に土壌摂食量調査を行なった。調査デザインは上記の欧米でのものとほぼ同じであった。筆者もこの調査に多少かかわったのであるが、なかなかたいへんな調査であった。なによりも被験者への負担がきわめて大きかった。1週間のあいだ食べるものはすべて同量を取り分けておいてもらい、また同じ期間、排泄物(尿は省いた)をすべて採取してもらう、というもので、しかもこれを同じ世帯の親子別々にお願いしたのである。被験者、とくに各世帯の親の負担の大きさはかなりのものであったということは想像に難くない。被験者の方々もおそらく懸命に協力いただいたものと思うが、かならずしも食べ物や排泄物が100%回収できたわけではなかった。負担の大きさを考えれば、仕方ないことである。また歯磨き粉(ケイ素)や薬(チタン、アルミニウム)など、当初は思いもよらなかったアイテムが、マーカー元素の摂取源となるために、いくつかの不確実性が存在することも、実際に調査をやってみてはじめてわかったことである。

 さまざまな不確実性はあるものの、日本で唯一の土壌摂食量調査データであるので、データの注意深い取捨選択と念入りな解析が行なわれた結果、マーカー元素によって多少異なるが、この調査から得られた土壌摂食量推定値は成人、小児とも数十mgのオーダーであり、ダイオキシンの土壌ガイドライン値策定時の見積もりに使用した土壌摂食量デフォルト値は摂食量としては多めなので、ガイドライン値を安全側から判断するのに妥当なものであると結論できた。またこの調査によって裏付けられた土壌摂食量デフォルト値が平成15年に施行された土壌汚染対策法のなかの含有量基準値策定の根拠となったことも特筆するべきことであろう。

 仮に日本人小児の土壌摂取量の代表値を、平成12年度調査の結果をもとに50mg/日と仮定して、首都圏の公園土壌および日本人小児のトータルダイエットの鉛濃度に関する筆者の研究室のデータと東京都の大気鉛濃度モニタリングデータから、首都圏に在住する仮想的な小児の鉛曝露アセスメントを行なうと、図1のようになる。図中「平均」「最大」とはそれぞれ各媒体の鉛濃度の平均値、最大値を仮定した摂取量である。平均的な濃度を用いた場合は土壌の寄与は食べ物の半分程度になるが、われわれが測定した土壌の最大の鉛濃度(248mg/kg)を直接摂取したとすると、土壌の寄与は食べ物よりも大きくなる。やはり土壌の直接摂取はある種の化学物質の曝露経路として無視できないようである。

 今後、化学物質の健康リスクを評価していく際、曝露評価を行うにあたり、日本人の土壌摂取量について、より詳細なデータが必要となるであろう。平成12年度の環境省調査の経験に基づき、方法論の改善などをはかったうえで、摂取量そのものの見直しをすることも必要であろう。しかし、直接摂取といっても前述のように上気道を経るものと、手に付着したものをなめる、という二つの経路にさらに分類できるが、土壌直接摂取による化学物質曝露を低減化することまで視野に入れれば、この二つの経路からそれぞれどれくらいずつ土壌を摂取しているのか、まで踏み込んだ調査が必要になる。日本人の土壌摂食に関する研究はまだ始まったばかりである。

「図1:土壌摂食量を50mg/日と仮定した場合の、日本人小児鉛摂取量の内訳」の画像

リスクセンター四季報 Vol.3 No.3,4 2006-03発行


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