国立研究開発法人 国立環境研究所
環境リスク・健康領域 Health and Environmental Risk Division
 

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リスクセンター四季報(2003-2006)より

Vol.3 No.3,4 (3)
小児の脆弱性を考慮した化学物質リスク評価

健康リスク評価研究室長(当時) 青木 康展

 ここ10数年来わが国の出生率は逓減し、2003年には合計特殊出生率が1.29にまで低下したと報告されている。また、この低下を一因として、わが国の総人口がついに減少を始めたことが昨今話題になっている。出生率が低下すると、総人口中での小児の割合の減少を招き、将来的には労働人口の割合が低下し、社会の生産力が低下する可能性も存在する。出生率の低下を食い止める様々の施策が検討されているところであるが、一方、少ない子供を皆健康に育てる方策も同時に求められている。

 そのような中、小児のアトピーが増えている、行動の変異が増えているなど、小児の健康に従来と違った様々の変化が起こっている懸念がしばしば表明されている。これら小児の健康における変化の実態把握は今まさに求められている課題である。しかし同時に、小児を取り巻く環境の中で小児の健康に影響を与える要因を同定して、対策を講ずる必要もある。小児の健康に影響を与える環境要因は、地域社会・学校や家族といった社会環境から物理・化学的環境まで多数存在するが、国立環境研究所では環境からの化学物質曝露の観点から子供の健康の問題を考えようとしている。

 「子供は小さい大人ではない」としばしば言われる。その所以は、小児の体重当たりの呼吸量(換気量)や飲水量が大人より多く、体重当たりの環境からの化学物質摂取量が小児の方が成人よりも高い可能性があるなど、小児は成人の縮小版ではないことである。その他にも、小児期は免疫系や神経系の発達段階にあり、化学物質の影響を受けやすいとも考えられている。また、乳児期は栄養の多くを母乳に頼り、また、小児は成人に比べて乳製品や果物の摂取量が多いなど、食物を通した化学物質摂取経路も小児は成人とでは異なる場合もある。また、指を頻繁になめるなど小児独特の行動があり、指の表面に付着した化学物質を小児が摂取する可能性も考えられる。これら小児が成人に比べて化学物質の摂取量や感受性が高い可能性をもって、小児は化学物質に対して「脆弱である」場合があると考えるのである。勿論、単純なアンチテーゼとして小児は化学物質に対して「脆弱ではない」場合もあるかもしれない。確かに、そのような事例もあるかもしれないが、いずれにせよ「どの程度感受性が高く」「どの程度摂取量が多いのか」を明らかにする必要がある。

 化学物質のリスクは、化学物質の「曝露量(摂取量)」と「有害性」から評価される、とは最近は教科書にも書かれていることである。しかし、小児の感受性が高く、摂取量が多い化学物質のリスク評価を成人と小児と同じ考え方で行うことには、素朴かつ基本的な疑問を多くの人々が抱くものと思われる。今後、リスク評価をより現実の社会の状況に即したものにしていく方策の一つとして、どのような化学物質に小児は感受性が高く、あるいは、摂取量が多いのかを定量的に明らかにする必要がある。

 さて国際的に見ると、環境保健の課題として小児への化学物質対策が明確に示されたのは、1997年5月の「G8環境大臣会合における先進8カ国による小児の環境保健に関する宣言」(子供の環境保健に関するマイアミ宣言)である。この中で、小児の健康を保護するために、鉛曝露、受動喫煙、内分泌撹乱物質の健康影響からの保護や、大気環境保全の必要性がうたわれている。2002年8-9月に開催されたヨハネスブルグ・サミット(持続可能な開発に関する世界首脳会議)では、環境を起源としたものを含む健康障害の原因及びそれらが小児の発達に及ぼす影響に対処する必要があるとしている。

 これらの国際的な動きに先立ち米国では、1995年10月に環境保護庁(EPA)が「小児の健康に関する国家政策」を発表し、EPAが乳幼児についても環境リスク評価を行っていくことを明らかにした。また、EUでは2001年以来環境行動計画の中で、環境からの化学物質曝露による健康影響の中で、小児等脆弱な集団への配慮を求めている。

 1997年4月にはクリントン大統領は「環境保健リスクと安全リスクに対する小児の保護」に関する大統領令に署名した。これにより、子供の安全に係わる研究が加速され、法制度の整備が進んだ。これと前後して1996年に食品品質保護法が制定され、小児に対する安全を配慮するために、食品に含有される殺虫剤の安全基準を新たに設定することを求めている。また、1997年の大気清浄法の下で、小児の環境保護にも配慮した大気環境基準の改正が進められた。小児保健研究の面からは、2000年にEPA研究開発局は「子供の環境健康リスクに関する研究戦略」を発表している。その中で、「リスク評価の不確実要因を軽減するためのデータ開発」「リスク評価手法およびモデルの開発」「有害性同定、作用メカニズム研究、動物・ヒト間外挿手法等実験的手法の開発」等を優先課題としている。このような中、米国・国立保健研究所(NIH)やEPAが主体となり、化学物質の影響評価をひとつの目標とした子供の生活環境と疾病に関する疫学調査National Children's Studyが開始されている。これは、出産から21歳までの追跡調査を含む、10万人規模の調査を目指したものである。

 わが国においても、環境中の化学物質が人の健康に及ぼす影響の研究は、古くから行われてきた。しかし、小児の健康に焦点をあてた研究は、比較的最近開始されたところである。環境省が実施している疫学研究では、大気汚染、特にディーゼル排気微粒子の健康影響に関する調査が低学年の学童を対象として行われている。また、胎児期の低濃度水銀曝露の健康影響評価のコホート研究も開始されている。

 一方、先ほど述べたように、小児の化学物質曝露のリスクを評価するには、環境からの化学物質の摂取量を推定する必要がある。そのためには、小児の換気量、食物摂取量、土壌摂取量など小児に特徴的な曝露パラメーターを知らなければならない。米国ではEPAがこれらの値をChild-Specific Exposure Factors Handbookとして取りまとめている。しかし、体格などの差もあり米国の小児の値をわが国の小児にそのまま当てはめることは出来ない。そこで、国立環境研究所化学物質環境リスク研究センターでは環境省からの受託研究として、曝露パラメーターの調査・研究に取り組んでいる。現在進めている項目は、小児の屋外での滞在時間や指しゃぶりの回数などの行動特性の調査、肺換気量の測定、食事の調査、土壌摂取量の調査などである。将来的にこれらの調査・研究結果が小児のリスク評価に活用されることを期待しつつ調査・研究を進めているところである。

リスクセンター四季報 Vol.3 No.3,4 2006-03発行


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