国立研究開発法人 国立環境研究所
環境リスク・健康領域 Health and Environmental Risk Division
 

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リスクセンター四季報(2003-2006)より

Vol.1 No.1 (4)
シリーズ 化学物質リスク管理の新たな動き
土壌汚染対策法の狙い


 大気や水質あるいは農用地土壌汚染に比べて遅れていた市街地を含む土壌汚染対策の法制度が,昨年5月に成立し,今年の2月から施行されました。法制度の内容については,中央環境審議会などの場で議論を行ってまとめられたものです。そこで,とくに議論の多かった部分を中心に,この土壌汚染対策法の内容と考え方をできるだけ分かりやすく解説します。

 土壌汚染問題は明治時代に国会で取り上げられるなど,早い時代から社会的な関心を集めていましたが,農用地土壌汚染に対する法制度ができたのは,それから約90年後のことです。イタイイタイ病の原因とされているカドミウムが汚染農地から収穫された米を通じて摂取されることが分かったことから,国や地方自治体が調査・対策を実施し,その費用を事業者が負担する制度が作られました。その頃,つくばに移転した国立研究機関の跡地などで次々と市街地土壌汚染が見つかりましたが,大気や水と違ってそのままでは人が触れる機会が多くないことから,対策の制度化は見送られ,調査・対策指針の作成や土壌環境基準の設定が行われました。しかし,ISO14OOOに基づく事業者の自主的な調査などで,汚染判明事例が急増したこと,土壌汚染が土地取引を阻害する要因となったことなどから,市街地土壌汚染対策に係わるルールを定める必要が出てきました。

 このような状況の下で制定されたのが土壌汚染対策法です。土壌汚染対策法は,図8に概要を示すように,土壌汚染状況の調査及び汚染区域の指定と,指定区域のリスク管理との2つの部分から成っています。一定の機会を捉えて土地所有者等に土壌汚染の調査・報告を求め,基準に適合しない区域を指定区域として台帳に記録し,誰でも閲覧できるようにすることと,健康被害を生ずるおそれがある場合には,そのリスクを低減することを汚染原因者や土地所有者等に命ずることの2つが土壌汚染対策法の柱です。土壌汚染やそれによる地下水汚染のおそれがある時は,都道府県知事が当該地域の土地所有者等に調査を命ずることができます。さらに,指定区域で土地の改変を行う場合に,汚染土壌の搬出により,新たな汚染を防ぐための規定も設けられています。

 土壌汚染対策法についての疑問点の1つとされたのが,汚染を未然に防止する制度が盛り込まれていないという点でした。土壌汚染は主に排ガスに含まれて大気中に排出された汚染物質の降下,排水の地下浸透,廃棄物の不適正処分や化学物質の不適切な取扱いによって起こると考えられますが,排ガス,排水や廃棄物については既存の法律により排出規制が行われており,化学物質の取扱いについてもPRTRの導入などによって対応が図られていることから,土壌への有害物質の侵入を防ぐ対策を改めて土壌汚染対策法の中に設ける必要はないと判断されたものです。

 土壌汚染対策法の狙いの1つは土壌汚染の存在を社会が知ることです。汚染があることを知り,汚染土壌に触れなければ曝露を防ぐことができます。また,汚染された土地が知らない間に取り引きされるのを防ぐことができます。このため,有害物質を使っていた施設の廃止時に土壌汚染の調査と報告を義務づけており,汚染が見つかったら指定区域として台帳に記載され,誰でも閲覧できるようになります。調査義務を廃止時に限定したのは,操業時には一般の人の立ち入りは制限され,汚染土壌に触れる機会が少ないと判断されたためです。しかし都道府県等が,土壌汚染により汚染された地下水の摂取により人の健康に被害が及ぶおそれがある,あるいはその可能性が高いと判断した場合は,施設が廃止される前でも,土壌汚染の調査を命じます。

 調査を実施するのは土地所有者等とされました。これはこの調査が汚染が存在しているかどうかわからない段階で行われるものであり,また土地所有者等はその土地が危険な状態にあることについて責任を有し,かつ調査に必要な掘削の権限を持つためです。また土地所有者等が同意すれば,汚染原因者が健康被害防止の措置を行うことができますし,汚染が見つかった場合は,調査や措置に要した費用について土地所有者が汚染原因者に対して費用の支払いを求めることができます。法施行以前の行為が引き起こした汚染に対して責任を課す理由は,現に所有する土地の土壌汚染が今後,健康被害を発生させるおそれがあるためです。

「図8:土壌汚染対策法の概要」を示した図

 土壌中の汚染物質は様々な経路を通じて人が曝露されます。例えば,揮発性化合物は大気に拡散したのち吸入されることにより健康被害が起こる可能性が考えられますが,これまでの調査結果によると大きなリスクは考えにくいとのことから,今回は対象としませんでした。今回の法律では,土壌から汚染物質が溶出した地下水等を飲用する場合や,汚染土壌を直接摂取する場合のリスクを考慮して,管理が必要な指定区域の判定基準を定めています。地下水等の摂取に係る溶出量基準には,土壌環境基準をそのまま採用しました。直接摂取の場合については,揮発性有機化合物や農薬などは表層土壌に残留しにくいことなどの理由から対象とせず,重金属等については含有量基準を新たに定めました。含有量基準はダイオキシン類の土壌環境基準の設定にならい,微量の長期的曝露を想定して算定しましたが,ダイオキシン類と違って重金属の中には体内に留まる時間が比較的短いものも含まれています。また,土壌の摂食量は大人よりも子供の方が多く,同じ濃度の土壌を口にするとしても体重あたりに換算すると1桁多くの化学物質に曝露されることから,子供に対する急性毒性にも配慮して基準値を定めています。

 直接摂取された土壌に含まれる重金属等は必ずしもすべてが体内で吸収されるわけではありません。そこで,含有量基準の測定方法は,含まれる全量を測定する方法ではなく,体内で溶出する可能性を想定して,塩酸により溶出する成分を測定することにしています。汚染物質によっては測定値が全含有量よりもかなり小さくなる場合も見られるようです。含有量基準はこの分析方法を踏まえて設定した数値です。

 重金属類は表層土壌にとどまりやすいことから表層土壌を採取・分析することとしましたが,地下浸透しやすい揮発性有機化合物は表層土壌ガスを調べて指定区域の判定を行うこととしました。表層土壌ガスの調査で指定区域と判定されても,ボーリング調査を行って土壌からの溶出量を調べ,全ての調査結果が判定基準を超えないことを確かめられれば,指定区域には指定されません。

 調査密度は100m2に1ヶ所で,従来の指針の1,000m2に1ヶ所よりも高密度の調査が求められています。しかしこれまでの汚染事例を見ると,2割程度の事例は汚染の広がりが100m2以下であり,土壌汚染対策法の調査でも汚染が見つからない可能性が残っています。汚染が存在するかどうかが不明な段階で過度な調査を求めることができないため,100m2に1ヶ所の調査としましたが,逆に考えると,土壌汚染対策法の調査を実施しても,100%汚染がないことを証明するわけではないことに注意する必要があります。できるだけ多くの土壌汚染を社会が認知することが土壌汚染対策法の最大の狙いです。

 土壌汚染対策法の2つめの狙いは,人の健康に被害を及ぼすおそれのある指定区域の汚染に対してリスク低減措置を講ずることです。汚染物質の性状や汚染場所の状況に応じて多様な選択肢の中から土地所有者等や汚染原因者の意見も聞きながら,都道府県知事等がリスク低減措置を命じます。直接摂取に対しては,盛土をして汚染土壌に触れる機会を断つことを原則的な措置とし,この措置でリスクが低減されない場合は土壌の入れかえなどの措置を命じます。地下水の摂取などによるリスクについては,汚染土壌の封じ込めを原則的な措置とし,この措置でリスクが低減されない場合は,汚染物質の除去などの適切な措置を命じます。揮発性有機化合物や農薬類が溶出量基準の10倍を超える汚染土壌の場合,封じ込めではリスクが十分に低減できないため,掘削・除去あるいは分解といった措置を命じます。土壌汚染対策法では,土地所有者等がリスク低減措置を実施し,汚染原因者に費用負担を求める際に,請求できる範囲を規定するための原則的な措置を定めており,土地所有者等と汚染原因者が共に希望した措置でリスクが十分に低減できると判断されれば,その措置を命じます。掘削除去や分解を行って汚染物質が除去された場合は,指定区域の指定が解除され,台帳から削除されますが,それ以外の措置が実施された場合は,汚染土壌がそのまま残っているため,引き続き指定区域として,実施したリスク低減措置の内容とともに台帳に記録が残されることになります。

「図8:土壌汚染対策法の概要」を示した図

 指定区域で工事等を行う場合には,実施済みのリスク低減措置が破壊されたり,汚染土壌の搬出により新たな地域に汚染が発生したりする恐れがあります。 このため,指定区域で土地の形質の変更を伴う措置を行う場合は都道府県知事への計画の届出を義務づけています。施工方法等に問題がある時は都道府県知事が計画の変更を命じることができます。

 土壌汚染の調査は廃止時に行われるため,それまでは指定区域に指定されませんが,その場合,土地の形質の変更に伴う土壌の搬出には何も規制がないことになります。操業中に行われる工事でも汚染土壌が搬出されれば搬出先で新たな汚染を引き起こす可能性があります。どの時点で調査を義務づけるかは,審議会でも大きな議論となった点です。今回の土壌汚染対策法の規制の対象とはしていませんが,操業中の工事についても汚染の有無を調べ,汚染土壌の搬出にあたっては,指定区域と同様な配慮を行うことが望ましく,指定区域以外の土地から搬出される汚染土壌の取扱指定(環境省通知)に基づいて対応することが求められています。

 土壌汚染対策法では土壌汚染の調査を廃止時に行うように求めていますが,日常的に不特定多数の人が出入りする可能性があったり,廃止時だけでなく土壌搬出を伴う工事を行う予定のある場合は,事業者の経営リスクを回避する上でも,土壌汚染の有無を早い段階で調査しておくことが望ましいと思われます。廃止時の調査で汚染が見つかると,廃止後の土地利用計画が大幅に狂うことになります。また,予め汚染の存在を把握できれば,時間をかけた浄化対策を選択できます。土壌汚染対策法の成立を受けて都道府県等が検討している条例等では,廃止以前の調査を求めているところも少なくないようです。

 また,土地取引の中では,土壌汚染対策法が求めている以上のリスク低減措置を求められる可能性が十分にあります。盛土や封じ込めなどの措置ではリスクは低減されるものの,汚染物質は土壌中に残り,リスクが完全になくなるわけではありません。土地取引の交渉の中で,どのような措置が求められるかは,当事者同士の合意によるものと考えられ,措置の内容が売買価格にも反映されるものと思われます。

 土壌汚染はいつまでもリスクがなくならず,浄化するには多額の費用が必要となる厄介な汚染ですが,大気や水質と違って直接曝露されるわけではないため,曝露を防ぐ措置を講じてリスクを低減しながら時間をかけて浄化を図っていくことが可能です。これを可能とするには,社会が土壌汚染のリスクを的確に理解することが大切です。

(中杉修身)

リスクセンター四季報 Vol.1 No.1 2003-09-12発行


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