森林などの地域資源の適切な管理・活用に向けた研究を専門とするかたわら、広報活動や地域との対話を担う「地域協働推進室」にも兼務として関わっている中村 省吾博士。
これまでの道のりは決して平坦ではありませんでしたが、その根底には一貫して「地域に貢献したい」という思いがありました。
中村さんのこれまでの歩みや研究への思いについて伺いました。
父の背中に見た地域と向き合う姿勢
——まずは子ども時代のお話からお聞かせください。ご出身はどちらですか?
沖縄県の名護市です。
父は大阪出身なのですが、広島の大学で人文地理を学び、フィールドワークのために沖縄を訪れた際に、地元出身の母と出会ったと聞いています。
父は沖縄に移住して名護市役所に就職して母と結婚しまして、市史を編纂(へんさん)する業務を長く担当していました。
のちに大学で教鞭もとりました。
市史の編纂は、地域の人々の話を丁寧に聞き取り、それを歴史としてまとめていく作業です。
そうした仕事を通して、腰を据えて地域と向き合う父の姿を、幼い頃から間近で見て育ちました。
——お父様も研究者だったんですね。とはいえ、分野はまったく異なりますね。
確かに研究分野そのものは異なりますが、私の研究の根底にある「地域の課題解決に貢献したい」という思いは、今振り返ると父の影響が大きいと感じています。
小学生の頃の将来の夢は公務員だったんですが、子どもながらに、地域に深く関わり続ける父の姿に、漠然とした憧れを抱いていたのかもしれません。
高校生になり進路を考えた際にも、地域への貢献という軸は変わりませんでした。
当時、地域医療の重要性が社会的にも注目され始めていたこともあり、その課題に向き合いたいと考え、琉球大学医学部医学科へ進学しました。
紆余曲折を経て確かになった、地域と関わる仕事がしたいという思い
——医学部とお伺いして意外な印象を受けましたが、地域への貢献という軸は一貫していたのですね。
そうですね。ただ、いろいろあって琉球大学医学部は結局中退してしまいましたが。
その後、いわゆる季節工として沖縄を離れ、滋賀県のプリンター製造工場でしばらく働きました。
しかし、その仕事に自分なりのやりがいを見出すことが難しく、体力的にも長く続けるのは厳しいと感じるようになりました。
そんな中で次第に「もう一度、大学で学び直したい」という気持ちが強くなり、地域に関わることを学びたいという自分の関心に最も合っていると感じた神戸大学農学部へ編入学しました。
卒業論文は、農村計画を専門とする星野敏先生のご指導のもとで執筆しました。
修士課程への進学も視野に入れてはいたのですが、卒業のタイミングで星野先生が京都大学に移られることとなり、進学するにしても神戸大学に残って別の先生に師事するか、京都大学へ移って引き続き星野先生の指導を受けるか、決断を迫られました。
研究面や生活面含めてさまざまな環境も変わるので、悩ましい決断でしたが、地域に関わる研究を続けたいという自分の関心を軸に考えて、星野先生のもとで学ぶことを選びました。
修士課程から京都大学に進学し、博士号を取得するまでお世話になりました。
視点を変えれば結果も変わる。卒業研究で研究の面白さを実感
———大学・大学院ではどんな研究をされましたか?
卒業研究では、地域を動かす原動力として「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」に着目しました。
ソーシャル・キャピタルとは人と人とのつながりや関係性を資本として捉える概念で、当時の日本では比較的新しめの考え方でした。
星野先生からの助言をきっかけに、農村地域における人と人とのつながりが地域づくりに与える影響を探ることを研究テーマに据えました。
フィールドには、地域づくりの計画にコンサルでのアルバイトを通じて関わりがあった兵庫県神河町を選びました。
町内の全集落で同一の地域づくり事業を実施した結果、活発に取り組むところもあればそうでもないところもあり、なぜそのような差が生まれるのか疑問を持ち、研究課題として掘り下げました。
当初は全町民を対象にアンケート調査を実施させていただいたのですが、ソーシャル・キャピタルとの明確な関係は見られませんでした。
ところが、事業の担い手である集落の役員に対象を絞って再分析すると、事業成果との間に強い相関があることが分かりました。
この経験を通して、「誰に、どの視点で、どの手法を用いてアプローチするか」によって研究の結果は大きく変わるのだと実感しました。
問いに応じて適切な分析ツールや手法を選ぶことの重要性を学び、この気づきが修士課程、博士課程へと続く私の研究関心の土台になったと思っています。
縁がつながり、歩み始めた研究者としての道
——研究の道に進むことに迷いやためらいはありませんでしたか?
正直に言うと、迷いはずっとありました。
学部から修士課程に進む際も、更にその後の博士課程への進学の際も、就職も視野に入れて悩みましたが、最終的には研究そのものの面白さに惹かれて進学を決めました。
ただ、その先に研究者としての道が本当に開けるのかについては、当時はまったく見通せず、不確かさを抱えたままでした。
博士号取得後は、ポスドク研究員として能登半島をフィールドに、生態系サービスを調査する研究プロジェクトに携わりました。
現場に深く入り込みながら研究を進める、実践的な経験を積むことができたと思います。
3年間のプロジェクトだったので、終了後の次のポストも考える必要があり、地元に戻るという選択肢も含め、色々模索していた時期です。
そんな中、ポスドク1年目に、国立環境研究所の福島支部(当時)の立ち上げに伴う大規模な公募があることを知りました。
農村やコミュニティを対象に研究してきた自分の専門性とも親和性が高そうに感じましたし、能登のプロジェクトに誘っていただいた先生からも快く背中を押していただいたこともあり応募することにしました。
幸いにも採用され、福島県新地町での研究に携わることになりました。
振り返ってみると、特定のポストや「研究者になる」という強いこだわりがあったというよりも、ご縁とタイミングが重なった結果として、研究者としての道がひらけたのだと思います。
研究と広報・地域対話を行き来する中で得た新たな視点
——国立環境研究所では、2021年から広報活動や地域との対話を担う「地域協働推進室(以下「推進室」)」に兼務として関わられていると伺っています。推進室での取り組みについて教えてください。
推進室は、福島支部が「福島地域協働研究拠点」への名称変更と同時にできた部署です。
私はその立ち上げから関わっていて、その名の通り地域と協働しながらともに研究を進める役割の一端を担ってきました。
推進室での業務では、できるだけ現場に足を運び、地域や学校、関係団体の皆さんと密にコミュニケーションをとることを大切にしてきました。
推進室には、兼務の研究者として社会学がご専門の辻岳史さんも関わられていて、異なるアプローチでうまく役割分担をしながら活動しています。
——推進室での活動を通じて、中村さんの研究や考え方に何か変化はありましたか?
研究者としてこれまで接点のなかった人たちと直接お話しすることで、視野が広がったように感じています。
例えば、福祉系のNPO法人である「しんせい」さんが運営する「山の学校」では、障がいのある方や高校生、研修で訪れる民間企業の方など、多様なバックグラウンドを持った方が参加されます。
そうした人たちと対等な立場で時間を共にする中で、多様な価値観や世界の見方があることを強く実感しました。
推進室でのこうした広報や地域対話の経験は、研究に直接つながるというよりも、物事の捉え方や研究計画全体のフレームを考える際に、奥行きを与えてくれていると感じています。
推進室での活動と研究が相互に影響し合い、前向きな循環が生まれていると、そんな手応えを持っています。
福島で生活し、研究する中で育っていった思い
—福島県に移住され、生活する中で、福島への思いはどう変わっていきましたか?
福島への赴任は、最初から「福島で研究したい」「福島に住みたい」という強い思いがあってのことではありませんでした。
研究者として公募に応募する中でご縁がつながり、その延長線上で福島に来ることになった、というのが正直なところです。
ただ、実際に暮らし、働く中で、原発事故という特殊な背景をもつ土地であることを、日常の風景を通して実感するようになりました。
たとえば、身近な場所に空間線量を計るモニタリングポストがあることなど、以前は想像していなかった光景が生活の一部として存在していて、そうした積み重ねの中で、福島への向き合い方は少しずつ変わっていきました。
着任以来、私が携わっているのは放射線影響そのものを直接扱う研究ではなく、復興が一定程度進んだ先を見据えた地域の将来像を考えるプロジェクトです。
そのため、浜通りの原発周辺地域に足を運ぶ機会は、当初はあまり多くありませんでした。
しかし近年、多くの地域で放射性セシウムの影響が低減し、状況は変わってきています。
私も大熊町をはじめとする浜通り地域に継続的に通うようになり、現地の状況や、そこで暮らす人たちの声に触れる機会が増えました。
その中で、「研究者として自分には何ができるのか」「何を問い続けるべきなのか」を、改めて考えるようになりました。
放射性物質の影響という、自分一人の努力では解決できない大きな課題と向き合いながらも、これまで培ってきた農村や森林を対象とした研究の知見を、どのように現地に活かすことができるのか、その可能性を模索しています。
うまくいかなくても道は続く
—最後に、若い方へのメッセージをいただけますか。
失敗や思い通りにいかなかった経験も決して無駄ではなく、必ず次の道につながっていくと思います。
たとえば大学受験や進路選択でのつまずきも、失敗ではなくてたまたま別のルートに進んだだけで、人生がそこで終わるわけではありません。
私自身、大学中退や自分には向いていない仕事を経験するなど、行き詰まりを感じることもありました。
しかし、振り返ってみると、そうした経験の一つひとつがその後の選択や出会いにつながっていました。
私の場合は「地域と関わる仕事がしたい」という、自分の中にあった譲れない思いが、結果的に研究者という道につながりました。
自分の中に、どうしても手放せない思いや関心があるなら、それを大切に育ててほしいと思います。
その思いは、すぐに形にならなくても、きっと将来の進路や仕事のあり方へとつながっていくはずです。
研究者プロフィール
沖縄県名護市出身。神戸大学を卒業後、京都大学大学院農学研究科地域環境科学専攻にて博士号を取得。2014年に国立環境研究所に着任し、福島県を中心に地域資源を活用した地域づくり研究に取り組む。
▶ 中村さんの研究紹介
「森林が持つ価値の可視化と地域主体で描く未来像—中山間地域が抱える課題と資源活用の可能性—」