国立研究開発法人国立環境研究所
生物多様性領域(生態リスク評価・対策研究室)主任研究員
坂本 洋典(さかもと ひろのり)
外来生物の侵入防止・防除技術の開発が専門。侵入現場での初動対応も
東京港のコンテナヤードで外来アリ「ヒアリ」の侵入が確認された。
毒を持ち、繁殖力も攻撃性も高いヒアリは、要緊急対処特定外来生物として環境省によって厳重に監視されており、発見時には緊急での駆除対応が求められる。
環境省の依頼を受けて現地調査に臨んだのは、国立環境研究所 生物多様性領域の坂本洋典主任研究員。昆虫生態学と外来種防除の専門家だ。
現在、米国や台湾を含む80以上の国と地域でヒアリの定着・被害が増大している。一方で、170を超える侵入事例はあるものの、『未定着』を守り続ける日本は、世界の中でも“レアケース”と言える。東京港の現場、そして定着が進む台湾に取材同行した生物多様性領域広報担当の小田倉が、水際対策とその背後にある研究の取り組みを、坂本主任研究員のインタビューと共に紹介する。
( 前編はこちら )
台湾の研究拠点を坂本さんと訪問した際、現地の方に「ヒアリの巣を見に行きますか?」と聞かれて、てっきりコンテナヤードのような場所を想像していました。
でも、実際に案内されたのは…整備された都市公園だったんです。
目の前には保育園があって、お昼時だったので犬の散歩をしていたり、おじいさんがベンチで休んでいたり。見た目は日本のどこにでもあるような綺麗な公園。
ところが、その芝生に目をやると、50メートルおきぐらいに点々と黄色い「火蟻注意(ヒアリ注意)」の旗が立っていて。まさかこんなところに…と、驚くよりも先に、怖くなりました。
台湾では、ヒアリの侵入・定着を許してしまったことで、港湾や空港、農地にとどまらず、都市部にまで定着が進んでいるのが実情です。台湾でのヒアリが発見されたのは、農業を営む方が、「最近、農地に刺してきて痛いアリがいる」と通報してくれたことがきっかけでした。つまり、発見されたときにはすでに定着が進んでいたのです。
今回訪問した都市公園でも、保育園の園庭のすぐ隣や、芝生、街路樹のうろなどに、土が小さく盛り上がった「アリ塚」がいくつも確認されていましたね。特に冬場は、ヒアリが巣を温めるために地表にアリ塚を形成しやすくなります。アメリカでは、幼児が転倒してアリ塚に手をつき、全身を毒針で刺されて死亡する事故も報告されています。
(左)街路樹のうろにできたアリ塚、すぐ後ろの建物が保育園。(右)ヒアリの塚を軽く壊すと中から沢山のアリが素早く出てきて、顎で噛みつき尻の毒針で攻撃する。アリ塚は公園の至る所にあり、不意につまずく可能性も。
はい、本当に衝撃でした。 ヒアリって、どこか「物流の問題」「海外からの荷物の問題」だと思いがちだけど、この光景を見て、“完全に自分ゴト”だと痛感しました。これが日本の未来になっては困ります!
そうですね。まさにその意識の転換が、日本でも大事だと思っています。
現在、日本では定着こそしていませんが、侵入の確認事例は毎年20事例前後発生しています。そして、1件ごとの対応を誤れば、台湾と同じ未来がやってきてしまう可能性もある。
だからこそ、水際対策と研究の手を止めてはいけないんです。
2025年3月、茨城県つくば市の国立環境研究所構内で、台湾から持ち込んだヒアリの生体飼育が始まりましたね。要緊急対処特定外来生物で女王アリを含む巣ごと(コロニー)飼育するのは許可のハードルも高かったとおもいます。それほど、実現した意味は大きいですか?
はい、実現の意味は非常に大きいです。
生体の防除研究のための飼育は日本ではじめての取り組みです。特定外来生物の飼育は国の許可を得る必要があると共に、研究所内でも所が定めた「特定外来生物実験安全管理規程」に基づき、飼育施設の構造や管理体制も厳しく審査されました。
それでも国内での飼育を始めたのは、研究の現場で本当に必要とされていたからです。
(左)ヒアリコロニーの生体飼育の様子、飼育ケースには外来生物法の規定に沿って飼養等許可証のコピーが貼られている。(右)飼育ケース内のヒアリコロニー、実験に使用する際は1匹ずつ持ち出し簿に記載する。プラスチックケースは3重で、アリがケースを登ることが出来ないように滑落剤としてテフロン粉末が塗布されている。目の細かい特注のステンレスメッシュで通気するなど、細かな工夫が随所にみられる
これまで、私たちは台湾などの外国に赴いて、現地に定着しているヒアリを使って薬剤試験や生態観察を行ってきました。しかし、現地調査には時間も費用もかかり、また限られた日数の中での実験だと手法の変更などが極めて難しいため、日本への定着が差し迫る状況の中、本当に効果的な薬剤を試験するためのスピード感がどうしても出しにくいという課題がありました。
国内飼育が可能になったことで:
・試験方法を検討しながら、様々な薬剤の効力比較をスピーディに実施できるようになった
・日本の港湾環境を模した条件で、生態に基づいたベイトの効果や行動観察が可能になった
・日本の環境に即した条件下での実験データを蓄積できるようになった
つまり、現場での判断や対応に直結する“実用的な知見”が、国内で得られるようになったという点で、防除研究が次のフェーズに入ったと言えると思います。
台湾との共同研究では、画像識別AIを活用したヒアリ識別の取り組みも進んでいますね。実際に使わせてもらいましたが、スマートフォンでアリを撮影するだけで、判定結果が表示されるのは驚きでした。
はい。「ヒアリ判定AI」は、モンスターズ・アグロテック社と共同開発した画像識別ツールです。アリの写真をスマートフォンで撮影すると、多数の個体でも、1分程度でヒアリかどうかを全て判別できます。基礎技術は台湾のモンスターズ・アグロテック社のものを用い、我々は、日本のアリの画像データを提供して、日本におけるヒアリ同定AIの画像識別の精度を高めました。
面白い工夫として、ヒアリが好むスナック菓子を一緒に写真に収めることで、サイズ感を測る目安にしたり、撮影時の光量などによる色の変化を補正してAIの判定精度を高めているんです。スナック菓子は世界共通規格で入手しやすいのもいいところですね。
ヒアリは非常に小さく、サイズにもばらつきがあります。港湾の現場では「これヒアリ?」と迷うケースも多く、小型の個体が見過ごされる恐れもあります。最終的な同定には専門家の関与が必要なものの、現場においてかなりの精度で判定ができることは初動対応を大きく助けます。
環境省がヒアリ対策のモデル港湾としている三重県四日市港が作った、「四日市港ヒアリ類対策マニュアル」の中で、最新の水際対策の1つとして紹介していただいており、検証協力してくれる港湾を募っている段階です。
(左)スマートフォンで撮影したスナック菓子に群がるヒアリの写真。(右)ヒアリ判定AIの画面。赤い枠で囲まれたものはヒアリである確率が高いとAIが判定したもの。90%以上の判断精度を持つ。四角枠の大きさがバラバラなことから、体サイズの違いだけでは判断が難しいことがわかる。説明は共同研究を行っているモンスターズ・アグロテック社の林CEO。
そして、台湾では「ヒアリ探知犬」も活躍していましたね!私たちが訪問したときも、夜間閉鎖後の空港構内を調査する準備で、現場が慌ただしかったのを覚えています。
はい、台湾ではすでにヒアリ探知犬が、港湾・空港・公園などで実用化されています。
日本でも、2023年に環境省と共同で導入を見据えた実証試験を行い、台湾から2頭の探知犬を招いて国内の環境で性能を確認しました。
日本の港湾周辺は、台湾に比べて大規模で、トラック等の大型車の往来で騒音が激しく、独特の湿度・気候・植生・ニオイもあります。また、台湾には分布していないアリも多くいるため、国内の環境で利用可能か検討が必要でした。それでも探知犬は、台湾におけるデータと同じく、ヒアリの匂いを90%以上の精度で嗅ぎ分けることができました。なお、日本にはヒアリは定着していないため、実験には冷凍状態でヒアリを持ち込んで用いました。
日本での探知犬の活用については、引き続き環境省と共に可能性を検討している段階ですが、探知犬は広範囲を効率よくスクリーニングする手段として有効であると共に、地中に潜むヒアリの女王を発見できる唯一の手段です。今後は、画像識別AI等との併用も視野に入れながら、それぞれの強みを活かした柔軟な運用方法を模索していければと考えています。
(左)台湾の都市公園で、土が小さく隆起したヒアリのアリ塚を発見する探知犬。ヒアリは独特のニオイを放つため、犬の鋭い嗅覚が威力を発揮する。(右)探知犬は常にハンドラー(訓練士)とペアで行動し、安全かつ正確にアリの存在を確認する。
台湾ではヒアリ以外の外来アリについても警戒が必要だという話がありましたね。特に、彰化師範大学の林教授が強調されていたのが、「コカミアリ」の脅威でした。
はい。林先生は、「ヒアリは主に土中に巣をつくるが、コカミアリは木の幹や樹上、建物のすき間など、ありとあらゆる場所に巣を形成する」と話しておられましたね。つまり、巣の分布が3次元的になるということです。
これが意味するのは、防除や監視の対象が“地面”だけではなく、“空間全体”に広がるということ。現場対応は格段に難しくなります。しかも、コカミアリもヒアリと同様に毒を持ち、繁殖力も高いため、台湾では次なるリスクとして非常に警戒されています。
実際、日本でもコカミアリは、外来生物法施行の初期から特定外来生物に指定され、警戒されていました。実際、2023年に岡山県の水島港で初めて確認されました。専門家の間では、体長1~2mmと微小で発見が難しいコカミアリは「最も厄介なアリ」という声もあります。
(左)台湾でヒアリやコカミアリを初めて同定した共同研究者の彰化師範大学 林宗岐教授。(右)林教授の研究室では沢山の種類のアリを飼育している。国立環境研究所で飼育をはじめたコロニーも、こちらから分譲を受けたもの。
(左)ピーナッツバターに群がるコカミアリ、(右)ヒアリ。ヒアリは体長が2.5mm-6mm程度だが、コカミアリは1-2mmの微小種で、存在を確認するのすら難しい。専門家以外が種を同定するのは至難の業だ。
ヒアリばかりが注目されがちですが、日本でも複数種の外来アリが侵入しうる前提で備えなければいけないということですね。
まさにその通りです。最近では、南欧原産のハヤトゲフシアリというアリが、2020年に特定外来生物に指定されました。 ここまでご紹介してきた画像識別AIやDNA検出(LAMP法)などの技術は、ヒアリに限らず複数種のアリにも応用できるように設計しています。たとえば、LAMP法は、特定外来生物への指定や日本への侵入が確認される前段階から複数種に対応できるよう準備しており、すでにアルゼンチンアリやコカミアリなどへの対応も可能な状態です。
さらに、これまでのベイト剤は容器に入っているタイプが主流でしたが、我々は企業と共同で、容器を不要として平面的に広い範囲に散布可能な顆粒型のベイト剤を開発しました。これにより、港湾でのヒアリ防除がより効率的に行えるようになっています。さらに、立体的に営巣するコカミアリ等への対策として、木の幹や高所にもベイト剤を設置できる、粘性の高い新しいベイト剤の開発にも取り組んでいます。これは企業との共同研究で進めており、既にアルゼンチンアリの防除等にも応用されています。
ヒアリ対策は、いま目の前の課題です。一方で、コカミアリやアルゼンチンアリ、さらには他の社会性昆虫、外来植物など、次に侵入しうる種への備えも欠かせません。
私たちは、現場で得た知見を活かして、より広い範囲で有効となる“実用的な基盤技術”の整備を進めています。
今後も環境省や自治体、民間企業とも連携しながら、持続的な防除と生態系の保全に向けて、研究者として対応していきたいと考えています。
「ヒアリの侵入現場を見に行きます」と聞いたとき、正直驚きました。研究者が現場に?と。
でも、現地で迅速に判断するには、生態や巣の規模、薬剤の効果など、専門的な視点が欠かせません。そして、実験室では得られない“現場ならでは”の情報が確かにある。現場を知るからこそ、本当に使える技術が生まれるのだと感じました。
私が台湾に同行したのは、日本で飼育するヒアリのコロニーを輸送するタイミングでした。年単位にわたる調整を重ね、日本と台湾それぞれの検疫をなんとかクリアした瞬間の、坂本さんの安堵の表情が忘れられません。決して派手ではないけれど、水際の最前線には、確かな知見と責任感をもって、それを支えている人たちが沢山います。そんな姿を少しでも伝えられていたら、生物多様性領域の広報担当として嬉しく思います。
(左)台湾・桃園国際空港で検疫の順番を待つ坂本さん。「ヒアリを持ち帰れなかったらどうしよう…」と、緊張の面持ち。(右)無事に検疫を通過し、アテンドしてくれたモンスターズ・アグロテック社の林CEOと握手。思わず破顔一笑!