「建物の一つ一つが個性的なのは、研究の中身が建物の形になっているから」
国環研は、公害と環境保全問題を総合的に研究する唯一の国の機関として、1974年に筑波山を望む研究学園都市の南西の一角、茨城県つくば市に設立されました(発足時は「国立公害研究所」)。 建設時から増築を重ね、230,639㎡の敷地内(東京ドーム約5個分)には現在35の施設があります。そしてそのほとんどの建物の設計を、建築家の大谷幸夫さん(1924-2013) を中心とする「大谷研究室」が手がけました。
日本を代表する建築家の一人である丹下健三(1913-2005)に師事し、国立京都国際会館や神奈川県川崎市の河原町団地、金沢工業大学など、多くの代表作を生み出した大谷さんの“ポリシー”は、国環研にどんな形で表現されているのでしょうか?
これまであまり雑誌などに発表されてこなかった「大谷幸夫×国環研」について、大谷さんが1984年まで教授を務めていた東京大学都市工学科都市設計研究室(現・都市デザイン研究室)の中島直人教授、永野真義助教と、当時設計に携わったスタッフの方々にお話をうかがいました。
研究とはまた違った視点から、国環研をひも解いてみたいと思います。
大谷さんの建築でよく知られるキーワードに、「コンクリート」、「中庭」の2つがあります。国環研の建物もその多くが打放しコンクリートで仕上げられており、最初期に建てられたメインの研究本館Ⅰには広い中庭が配置されています。
とくに大谷さんは中庭を強く意識しており、中庭を中心に建物を構成していくことは、配置計画上とても大事なコンセプトだったそうです。 「大谷さんは、建物を平行に配置しない人。例えば、川崎の河原町団地は中庭を内部化して作っているんだけど、コミュニティ形成の場というか、人が集まる場所をすごく意識して設計していた。いろいろなものをただ配置するだけではなく、中庭という空間を作ることで、“全体のつながりができること”を考えていました」。
そこに住む、あるいは利用する人々の関係性をつくる“装置”として、中庭を配置していたという大谷さん。複数の建物をひとつにまとめるといったことのほか、中島教授によると“都市の建築”を考える上で大切な利点も。 「中庭があれば、どんな条件でも建物は日照や通風を得ることができる。それぞれの街区のなかにちゃんと中庭を取ることで、それが並んで都市を形成していっても一つ一つの街区の環境性能は安定しているということが、大谷先生が考えていた都市の建築や街区のあり方」。
研究本館を中心に敷地内には様々な建物が混在していますが、打放しコンクリートの外観という共通点をのぞき、そのどれもが個性的なデザインをしています。国環研は、どういったコンセプトのもとで設計されたのでしょうか。
「研究所」という性質上、部屋ごとに研究・実験の目的がはっきりしているため、オフィスビルなどいわゆる普通の空間とは違う作り方をしており、その点ではとても特徴がある、と当時の設計スタッフの方は話します。
「ここは研究者がいて、研究者の研究のための施設。研究の中身がそのまま建物の形になっている、まさにオーダーメイドなんです。植物について研究する棟には当然温室があって、そこが光るデザインになっている。それぞれの建物に個性があるのは、研究者の個性が表れているから」
その視点であらためて敷地内を見渡してみると、初期に建てられた研究棟ほどより特徴的な姿をしている印象も。研究所という実用性はもちろん、建築としての魅力-例えば曲線の美しさや、ちょっとしたところに施された遊び心のある装飾など、デザイン性もしっかりと反映されており、“国環研ならではの空間”を見事に作り上げています。
では、ここからは建設時の貴重なお話とともに、国環研の建物をいくつかピックアップしてご紹介します。
大谷さんの設計による建物としては最終期に建てられたもの。建物が「く」の字に曲がっているため、設計は相当ややこしかったとの話も。(写真右)バルコニーの手すりにも細かなデザインが施されています。
建物の向きがちょうど東西南北になるように建てられており、当初は四神(青龍:東、朱雀:南、玄武:北、白虎:西)にあわせて、下から見るとわかるように色分けする予定だったとか。
建物内には7階までつづく美しい螺旋階段(写真右)があり、ここにも大谷さんらしさがよく表れているとスタッフの方は話します。「大谷先生は、階段を絶対四角にしないんです。施工は大変だったと思いますが、三次元にねじれているのに手すりの部材や継ぎ目がぴったりあっていて…本当にすごい」。
メインの建物である研究本館Ⅰの正面には、大きなひさしが目を引くコンコースが設置されています。ひさしは正面から見ると、「入」の文字になっているとのうわさも(言われてみれば、そう見えなくもない…?)。
いわゆる正面玄関は、ひさしを通り抜け、中庭より手前のすこし奥まったところにあります。中に入ると吹き抜けの大きなホール(写真左)で来所者を出迎え、壁一面の窓に向けて視線が抜けていくような設計に。窓から振り返ると中2階のスペースがあり(写真右)、全体的に開けた心地よい空間が広がっています。
ここでは⿂類や甲殻類など⽔⽣⽣物を用いた研究に取り組んでおり、研究者の要望のもと建物の内外に多くの⽔槽が設置されました。「大きさなどは、研究者が決めたものをそのまま作っていった。水質をどうするかとか、当時はかなり勉強しました。おもしろかったですね(笑)」
環境汚染物質による健康影響を調べる研究では、実験動物を用いることも。研究棟の向かいにある広場には慰霊碑があり、地元のつくば石が使われています。
前出の通り、研究内容にあわせて建物に温室が併設されている実験棟。
こちらの研究棟には、建設時のこぼれ話も。当時、掘削した根切底の深さが想定よりも浅いことに気がついたものの地下工事部分の手直しは難しかったため、建物にあわせて周りの道路レベル(高さ)を上げることで対処したそう。「建物が独立していたからできたこと」と話します。
敷地の一番奥、全体の動線の正面にすこし象徴的なデザインのものを置きたいという大谷さんの思いから設計された研究棟。農的かつ教会のような建築の雰囲気もあり、フィールド実験など生態系を取り扱う研究テーマからこのデザインになったのではとの話も。 バラ窓(教会等にみられる円形の飾り窓)を思わせる建物上部の正面に取り付けられた排気口、風見鶏がデザインされた避雷針など(写真右)、飾りのひとつひとつにまでこだわりが詰まっています。
建物以外に、地面からの排水や雨水を貯める池の設計も担当しました。現存する池や湧き出し口の石積には格別な思い出があり、「石工さんがここで石を割って、すべて手作業で積んでくれた。雑割石積といって、きちっと合わせるのに一つ一つ石を欠いて、合わせて、積んで…。本当にきれいで、まさに職人技でした」。
国環研の成り立ちや、すべての建物の写真、建築の変遷などは、創立50周年記念誌『国立研究開発法人国立環境研究所50年のあゆみ』でも紹介しています。HPからどなたでもダウンロードできますので、よろしければぜひご覧ください。
https://www.nies.go.jp/50th/project/
最後になりますが、東京大学都市デザイン研究室の中島教授、永野助教と研究室の方々、そして当時設計に携わった大谷研究室のスタッフの方々、とても貴重なお話をありがとうございました!