2019年ノーベル経済学賞から考える「ランダム化比較試験(RCT)」について:環境政策を「検証」できる?

執筆:横尾英史(社会環境システム研究センター 客員研究員/一橋大学 経済学研究科)
2019.11.8

今年のノーベル経済学賞は、世界の貧困の緩和に貢献した経済学者たちに贈られました。
実はその受賞対象となった貧困緩和のための研究手法は、環境政策にも関係しています。
どのように関連しているのか、どのような取り組みがあるのか、事例も交えながら解説して頂きました。

このTOPICのポイント

 この記事のポイントは3つ。
  • ランダム化比較試験(RCT)を用いた貧困緩和策の研究で3氏が2019年ノーベル経済学賞を受賞
  • RCTの実験デザインを活用すると施策の効果を厳密に検証可能
  • 環境政策でもRCTによる試行・評価の例が増加している

2019年もノーベル賞の発表がありました。吉野彰さんの化学賞受賞が大きな話題となりましたね。さて、日本での注目度は決して高くないですが、経済学賞もあります(注1)。例年、ノーベル賞発表ウィークの最後に発表されるのがこの賞です。

今年のノーベル経済学賞はマサチューセッツ⼯科⼤(MIT)のアビジット・バナジー⽒、エステール・デュフロ⽒、ハーバード大学のマイケル・クレマー⽒の3⽒に授与されました。
その受賞理由は「世界的な貧困緩和への実験的アプローチに対して」でした。

この実験的アプローチとはどういう意味でしょうか?

フィリピン・イロイロ市のごみ山にて
(著者撮影)
 貧困の緩和は経済学の重要なテーマであり、様々な策が考案されてきました。

しかし、それら緩和策は、時として机上の空論になってしまう場合もありました。また、貧困緩和の議論がイデオロギーのぶつけ合いになってしまうこともあります。これに対して、現場での調査と実験的アプローチを組み合わせた「実証」を行い、その方法論を確立してきたのが受賞者たちです。

「ランダム化比較試験(Randomized Controlled Trial)」と訳される実験デザインがあります。(注2)頭文字をとってRCTと呼ばれます。
被験者を無作為(Random)に2群(以上)に分けて、片方の群には治療・投薬を行わず(対照群:Control group)、他の群にのみ治療・投薬を行います(処置群:Treatment group)。そして、事後の健康状態を観察し、2群を比較することでその効果を確かめるのです。無作為に半数あるいは一部の家庭だけに政策を試行(Trial)する。この無作為な試行により、人が健康になるその他の理由(生活習慣や自然治癒の力)を2群で揃えられることとなり、結果として治療法・新薬の効果の厳密な検証が可能となるのです。

 
 
ランダム化比較試験(RCT)の実施イメージ
図作成:高柳航(高度技能専門員/資源循環・廃棄物研究センター)
 この実験デザインを発展途上国の現場に持ち込み、医学・薬学の外へ、開発経済学の分野に普及させたのが受賞者たちです。

RCTを活用することで教育の改善、新たな金融商品の提供、虫くだしの薬の配布などが貧困脱出に与える効果を厳密に評価することができるようになりました。

さて、環境問題の分野でのRCTの応用も始まっています。
例えば、「節電やリサイクルを促すキャンペーンに本当に効果があるか?」「あるとすればどの程度か?」こうした問いを明らかにするために実験的アプローチが活用されているのです。

エコラベルのデザインを改良するためにRCTを用いた例もあります。(注3)
調査対象者を「何も見せないグループ」、「既存のエコラベルを見せるグループ」、「新しいデザインのラベルを見せるグループ」などにランダムに振り分けるのです。そして、見せた後の省エネ家電の選択行動などをグループ間で比較し、ラベルの効果を検証します。

RCTによる環境政策の効果検証は海外で先行しましたが、日本でも始まっています。
日常生活で私たちが排出する温室効果ガスを減らす行動を広めるために、環境省では様々な情報の発信を行っています。ここで重要になってくるのが、「メッセージや情報発信で本当に人々の習慣が変わるのか?」という点です。そこで、環境省による低炭素型行動を促す事業の中でも、効果検証の方法としてRCTのデザインが採用されています。
新たな環境政策を開発し、試し、効果を見極めてから全国展開するというサイクルが動き始めているのです。環境政策の実施にも時間やお金がかかります。限りある政府予算や人員を効果が確認された政策・事業に使うことで、より効率よく環境問題を解決することにつながります。

国立環境研究所・環境経済評価連携研究グループでは2015年頃から、RCTを用いた環境政策の評価手法についての検討を開始しました。
(参考:http://www.nies.go.jp/biology/research/seminar/ss.html#20160911
研究者のみによる小規模なRCTの実施に加えて、行政や企業による大規模なRCTにも協力しています。環境経済・政策学会で取り組みの途中経過の発表もしました。
(参考:http://www.seeps.org/html/meeting/index.html ※2016年大会)

RCTをはじめとした実験的アプローチによる政策の「トライアル」という発想は今回のノーベル経済学賞を受けてさらに注目を集める可能性があります。
筆者の考えでは、温室効果ガス排出削減のほかにも、例えば、食品廃棄物・使い捨てプラスチック消費の削減や環境配慮型農産品の購入促進などの分野でRCTを活用した施策の効果検証が進むと考えています。

活用が期待されるRCTのアプローチですが、課題もあれば限界もあります。
不特定多数の習慣を変える策の検証には有用な一方で、特定少数の企業が原因となっている環境問題の対策の検証にはあまり適さない面があります。また、現実社会で実験を行う上での技術的な難しさもありますし、倫理的な配慮も求められるでしょう。これらを理由に試行が小規模な事例研究になりがちであり、それゆえに評価結果の普遍性が疑われることもあります。モデルとシミュレーションの利用や統計学的な手法による政策評価など、既存の手法とお互いに補完し合うことで環境政策研究の発展に貢献できると考えています。

理学、工学、生態学だけでなく、経済学による環境研究の可能性にもご注目ください。

注1)「ノーベル経済学賞」は通称であり、正式な名称はthe Sveriges Riksbank Prize in Economic Sciences in Memory of Alfred Nobelです。ノーベル化学賞および物理学賞と同様にスウェーデン王立科学アカデミーによって選考されます。

注2)ランダム化比較試行、無作為化比較実験などとも訳される。

注3)エコラベルとは環境政策の手段の一つで、製品の生産・廃棄における環境への負荷に関する情報などを製品に添付して消費者に伝える方法。家電の省エネルギー性能を星の数で示したものや、食品の環境配慮の程度をマークで伝えるものなどがある。