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04. 多能性幹細胞を用いた神経発達毒性の評価

主任研究員 伊藤 智彦


 近年、自閉症などの神経疾患が増えてきているとの報告があります。こうした背景には遺伝的要因だけでなく、我々が日常的に曝露され続けている環境中の化学物質の存在があると考えられます。特に、胎児や子供においては脳などの体の各組織は未成熟であり、細胞が増殖や分化を盛んに繰り返している時期です。こうした成長期にある細胞活動への化学物質の影響は、組織全体としての機能の変化、ひいては疾患に繋がる可能性があります。そのため、発達段階にある胎児や子供は成人に比して化学物質曝露といった外的要因に対して脆弱であるとも言われます。一方で、環境中の化学物質が脳神経系の発達に影響を及ぼすかについてはマウスやラット等の動物曝露実験を用いて解析されますが、対象となる化学物質の数が多い上に動物実験は高コスト、長期間が必要です。そのため、より簡便で迅速な評価アプローチが求められています。そうした中、評価法の一つとして発展してきたのが、多能性幹細胞と呼ばれる胚性幹細胞(ES細胞)や人工多能性幹細胞(iPS細胞)の培養系を用いた手法です。

化学物質の個別情報ページの例を示した画像
図1:マウスES細胞から神経系細胞の誘導
a)胚様体、b)Pax6陽性の神経幹細胞、c)Map2陽性の神経細胞、d)Gfap陽性のグリア細胞 [クリック拡大]

 多能性幹細胞の最大の利点は、個体発生時における胚の成長過程を細胞培養系で追うことができることです。脳神経系は発生初期における外胚葉由来の神経管から形成されます。背側に形成されるこの長い管はやがて脳や脊髄といった脳神経系に発達しますが、細胞レベルでは神経幹細胞が重要な役割を果たします。神経幹細胞は自己増殖能と多分化能を併せ持った細胞で、神経細胞やグリア細胞といった神経系細胞(注1)に分化する能力を持っており、我々が生きていく上で必要不可欠な脳神経系を構築するための種となります。こうした一連の神経系発生過程はある程度、多能性幹細胞を用いた培養系でも再現することができます。すなわち、胚、外胚葉、神経幹細胞、神経系細胞と発達していくという細胞分化の流れです(*1)。ここではマウスES細胞を用いた培養系についてご紹介します。まずES細胞を浮遊条件下で三次元培養すると、細胞は胚様体と呼ばれる凝集体(図1a)を形成し、自発的に外胚葉へと分化します。次に、平面培養に移行し、線維芽細胞増殖因子(bFGF)存在下で培養した結果、神経幹細胞マーカーのPax6を発現した神経幹細胞を高純度で得ることができました(図1b)。このES細胞由来の神経幹細胞は、分化条件で培養することで更に突起を持った神経細胞やグリア細胞に分化させることができました(図1c、1d)。こうしたES細胞から神経系細胞への誘導は、2~3週間ほどの短期間で行うことが可能です。

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図2:マウスES細胞由来の神経系細胞を用いた毒性解析
マウスES細胞から誘導した神経系細胞にロテノンを曝露後、a)Gfap抗体で免疫染色した写真、b)神経細胞(Map2)およびグリア細胞(Gfap)のマーカー遺伝子の発現量を測定した結果 [クリック拡大]

 神経毒性を示す化学物質が作用するターゲットは様々と推測されますが、第一に脳神経系の中心である神経細胞やグリア細胞に対する直接的な影響が考えられます。例えば、神経系細胞から伸び出る突起は情報を伝達するシナプスを形成する等、脳神経系が高次機能を発揮する上で非常に重要な役割を担っていますが、水俣病の原因物質であるメチル水銀や殺虫剤として利用されているロテノンは、こうした神経系細胞の突起を短くすることで中枢神経系に対する毒性を発揮すると考えられており、これらを指標に神経毒性を調べることができます。実際に、上述のマウスES細胞から誘導した神経系細胞にロテノンを曝露すると、写真(図2a)で示すように突起の長さが短くなることが形態的に観察されました。また、遺伝子発現レベルで神経細胞マーカーのMap2とグリア細胞マーカーのGfapの発現量を調べると、神経細胞マーカーの方がより低濃度から影響を受けていることから、神経細胞はロテノン曝露に対してより感受性が高いと推測されました(図2b)


大気中実測濃度の県別最大値の経年変化を表すグラフ部分の例を示した画像
図3:神経幹細胞の機能変化 a)ES細胞から誘導した初期の神経幹細胞からはグリア細胞はあまり誘導されませんが、b)この神経幹細胞を培養維持することでよりグリア細胞を誘導するようになります。
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 一方で、神経発達毒性の作用機序は、標的や時期も様々で多岐にわたることが予想されます。そのため、より多くの情報を得るためにも、様々な発達のタイミングや指標から解析することが必要と考えられます。例えば、神経幹細胞は神経細胞とグリア細胞になる性質があると述べましたが、実際には発生期において現れる初期の神経幹細胞は神経細胞に分化する一方で、後期になるとグリア細胞を主に造り出す性質に変化します(*2)。グリア細胞は脳における神経以外の細胞であり、神経細胞が本来の情報伝達機能を発揮する上で必要不可欠な環境を構築する役割があります。こうした神経幹細胞の機能変化はES細胞から誘導した神経幹細胞でも見ることができ、ES細胞由来の初期の神経幹細胞からはあまりGfap陽性のグリア細胞は誘導されませんが、神経幹細胞を更に4日間、培養してから分化させるとグリア細胞がより多く誘導されてくるようになります(図3)。こうした神経幹細胞の機能に対する影響は、新たな神経発達毒性の一つの指標になるかもしれません。


 以上の様にご紹介した多能性幹細胞は、神経発達毒性の評価において主に二つの面から貢献できると考えられます。一つは毒性候補物質のスクリーニングです。最初に記述したように、動物曝露実験を用いて多くの対象物質の評価を行うのは容易ではありません。その際、培養細胞系で毒性情報を得ることで、対象物質から毒性が強いと予測される候補物質を絞ることができます。もう一つは毒性機序の解析です。化学物質は例えば細胞の受容体等のタンパク質に作用して毒性を発揮しますが、培養細胞系では比較的、簡単にシグナルの阻害剤や遺伝子改変等で毒性機序を探ることが可能です。毒性機序の解明は重要な学術的知見となると同時に、病態の解明、類似化合物を検出するためのよりシンプルな評価系の開発、曝露マーカー・曝露評価への応用、といった面で貢献できると考えられます。一方で、単純な神経系細胞の培養系だけで個体の中枢である脳の全てを把握することは困難です。例えば、記憶や学習、社会行動といった脳の重要な機能を直接、培養細胞で評価することはできません。そのため、今回、ご紹介した培養細胞系のツールとしての有効性を生かしつつ、環境中の化学物質の毒性を明らかにしていくことが大切だと考えます。


注1  中枢神経系である脳は神経細胞とグリア細胞で形成されており、これらを総称して神経系細胞と呼ぶ。神経細胞はニューロンと呼ばれ、脳の中枢機能である情報の伝達を行う。一方、グリア細胞にはアストロサイトやオリゴデンドロサイト等の複数のタイプの細胞が存在し、主に神経細胞による情報伝達の高速化・効率化、神経構造の維持、情報伝達物質の回収等の神経細胞の働きを補助する役割を担っている。


【参考文献等】

*1 Wobus, A.M., Boheler, K.R. (2005) Embryonic stem cells: Prospects for developmental biology and cell therapy. Physiol. Rev., 85, 635-678.

*2 Naka, H., Nakamura, S., Shimazaki, T., Okano, H. (2008) Requirement for COUP-TFI and TFII in the temporal specification of neural stem cells in CNS development. Nat. Neurosci., 11, 1014-1023.

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