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02. 大気粒子の中から卵子に毒性を示す物質を探す試み

主任研究員 宇田川 理


大気汚染と生殖・発生への影響

 世界の人口の9割は汚れた空気を呼吸していて、大気汚染で命を落とす人は年間700万人にものぼる---そんな試算が近日、世界保健機関(WHO)から発表されました。空気を「呼吸」するのですから、汚染された空気は、肺や心臓といった臓器に悪影響を及ぼしている可能性があります。実際に、大気の中には多くの物質が含まれており、微小な粒子は肺の奥まで到達し、呼吸器疾患や循環器疾患などの原因となることが指摘されています。大気に浮遊する粒子をエアロゾル粒子(注1)といいますが、そのうち粒径が2.5μm以下のものはPM2.5と呼ばれています。 毎日の生活で慢性的に吸い込むPM2.5は呼吸器疾患や循環器疾患だけでなく、出生時低体重・子宮内成長遅延・早産・胎児心疾患・堕胎・低受胎率などと関連している可能性が統計を用いた研究から指摘されています。


生殖・発生への影響を調べる実験モデルの意図

 母体内で将来生まれてくる可能性のある細胞は、卵子(卵母細胞)という細胞です。卵子は卵巣内において周囲を取り囲む卵胞液を通して血清からの物質供給を受けると考えられており、近年では卵胞液中から検出されるタバコ煙に由来する有機成分(例えばコチニン)に注目が集まっています。まず、肺の表面で肺サーファクタント(注2)に溶け込んだ微小粒子の成分はその後血管内へ入り、血清から卵胞液を経て卵子に到達すると考えられます。私達は、実験動物としてマウスを使用し卵子への大気汚染物質の影響を明らかにすることを目的としました。大気汚染物質は非常に複雑な混合物です。まず混合物に卵子を曝露させることで生じる影響を観察し、続いてそれと類似した影響を及ぼす単一の物質を探索することにしました。これらの実験を行うことで、優先的に管理すべき物質とその特徴を明らかにしたいと考えました。そこで国立環境研究所で発生させたディーゼル排ガスにオゾンを反応させて得た生成物(注3)の粒子成分をテフロンフィルターに捕集後、有機溶媒を用いて抽出・濃縮しました。このようにして調整したサンプルをマウスから単離した卵子へ曝露させました。


ミトコンドリアの形に着目して卵子の健康状態を調べる

卵子のミトコンドリアの分布を顕微鏡で観察した写真
図1 C57BL/6J系統マウス卵巣から卵子を単離し、粒子成分を含む培養液で24時間培養した。固定した卵子を抗ミトコンドリア抗体で染色したところ、対照群では主に核近傍(「中央」)と形質膜(「へり」)付近に比較的分散して存在していた。一方、粒子成分を曝露した卵子では形質膜付近に集積する卵子が顕著に増加した。[クリック拡大]

 ミトコンドリアは細胞のエネルギー工場として働く重要な細胞内の小器官ですが、近年の研究から細胞の脂肪酸代謝、カルシウム応答、細胞死をはじめ多くの恒常性維持のための制御機構に関与することがわかってきています。ミトコンドリアは融合・分裂のバランスあるいは細胞の骨格タンパク質との相互作用などにより盛んに形を変化させ細胞の機能を正常に保っていることが知られています。卵子ミトコンドリアに関しても、ミトコンドリアの形態や分布が細胞の状態を反映することが次第に明らかになってきています。ミトコンドリアは母系遺伝といって卵子から次世代に伝わる特徴があり、ミトコンドリアを状態の良いまま継承していくことは重要と考えられます。そのような背景があって今回は卵子の健康状態の指標としてミトコンドリアの分布を顕微鏡で観察しました。粒子成分に曝露させた場合、卵子の”へり”に集積するミトコンドリアをもつ卵子が増加しました(図1)。卵子の”中央”への配置には微小管タンパク質の関与が知られているため、国立環境研究所の構造活性相関モデルKATE(注4)の官能基情報抽出機能を利用し、微小管重合阻害剤(注5)を構成する官能基の特徴からキノン様物質(注6)を含む4つの候補を選抜しました。内、一つに粒子成分と類似した影響がみられました。従って粒子成分中には微小管に作用しうる類似構造を有する物質が含まれていることが推測されました。


混合物の生体影響評価に向けて

 混合物からなる粒子表面の有機化合物という観点で言うと、近年話題となっている微小プラスチックやその添加物の問題も例外ではありません。今後個々の有機化合物の構造の特徴をより精度の高い解析を用いて理解し、生体内の結合相手となりうる(撹乱を受けうる)タンパク質との相互作用の数値化を試み、混合物の影響評価に資するような研究に発展させていきたいと考えています。


注1 エアロゾル粒子 : ススや土など発生源から直接粒子として排出される一次粒子だけでなく、一例として揮発性有機化合物が大気中で光化学反応などの反応を経て粒子化することで生じた二次生成粒子などにより構成される。このように生成された二次生成有機エアロゾルはPM2.5の主成分と言われている。

注2 肺サーファクタント: 肺胞を構成する上皮細胞から内腔(すなわち粒子が空気と共に届く)側へ分泌される液。主な働きは、肺胞の表面張力を下げて潰れにくくすることである。そのため洗剤のような物性となり、水に溶けやすい物質だけでなく比較的水に溶けにくい物質も可溶化する。

注3 ディーゼル排ガスにオゾンを反応させて得た生成物: 光化学反応・酸化反応など実際に大気中で起こっている二次粒子生成過程(注1を参照)のモデルとして、国立環境研究所では実験室内で排ガスに対して紫外線やオゾンを反応させている。

注4  構造活性相関モデルKATE: 化学物質を構成する部分的な構造(官能基など)の情報を用いて、水生生物への毒性を予測するシステム。

注5  微小管重合阻害剤 : 細胞の骨格をなす微小管という構造は、チューブリンと呼ばれるタンパク質が重合することによって構成されている。このような微小管を構成するタンパク質を標的として重合を阻害する薬剤の事。

注6  キノン様物質 : 基本的にはケトン基(C=O)を2つ有することを特徴とする物質の総称。


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