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05. 動物福祉の観点に基づく魚類急性毒性試験法の改定について

主任研究員 山岸 隆博


 近年、欧州におけるEU化粧品指令の改正による化粧品成分に関する動物実験禁止などに代表されるように、動物福祉の観点から、試験や実験に用いる使用個体数の削減や苦痛を与える動物試験の廃止などの動きが広まっています。動物試験における対象動物の定義は曖昧であるものの、一般的には脊椎動物にあたる哺乳類や鳥類までとする場合が多く、現在、国内における動物実験の対象も哺乳類、鳥類、爬虫類までが対象であり、両生類、魚類以下の生物群については対象としていません。しかしながら、最近では動物実験の対象は脊椎動物全般に広がりをみせており、それは魚類においても例外ではなく、魚類を用いた試験や実験などにも動物福祉の考え方が適用されつつあります(学術論文の投稿時に所属機関等の動物実験委員会等の倫理指針等に基づいて実施されたことを求められる場合がでてきています)。そもそも魚類は苦痛を感じないというのが通説でしたが、最近では魚も「痛み」の感覚を有する可能性が高いとする実験データが多数発表されており、考えを改めなければならない部分も多々あるように思います。実は魚類が「痛み」あるいは「痛み」に相当する感覚を持たないという証拠はこれまでもなく、魚が「痛み」を感じないとする根拠は、魚類の脳の構造がヒトのものに比較し単純(魚類は大脳新皮質を持たない)であることや、反射や本能などの行動を司る脳幹が非常に発達しているというような、いわば状況証拠的な根拠によります。また、「痛み」を考える場合、「痛み」の定義について考えざるを得ませんが、これについては現在も明確な結論は出ていません。要するに最近の脊椎動物全般にも広がりをみせている動物実験禁止の動向は、人々が「痛み」に関して魚類など哺乳類や鳥類以外の生物についても真剣に考え、研究し始めたということだと思われます。仮に魚類が「痛み」を感じているらしいとしても、ヒトが感じている「痛み」の感覚とは異なる可能性もあり、今後議論を重ねる必要があります。


 魚類が「痛み」を感じている可能性が高いとする検証データをいくつか紹介すると、例えば、魚類はダメージや損傷を体に負った場合、注意散漫になったり、損傷部分をかばったり、異物を取り除こうとしたりするらしいのです(*1)。ところが痛みを和らげるモルヒネを投与すると通常の行動に戻るという研究があります(*1)。また、ヒトにおいて、「痛み」を感じる一連のプロセスを考えてみると、まず受容体(一次ニューロン)が刺激を受けると刺激は電気信号に変換されます。電気信号は脊髄(二次ニューロン)に到達し、ここで脳へと向かうものと、直接、筋肉へ向かうものとの2つに分かれます。直接筋肉へ向かう電気信号は、反射反応、つまりは脳を介さず直接筋肉を収縮させることで刺激から遠ざけるような反応を引き起こします。一方、脳へと向かう電気信号は脊髄から視床(三次ニューロン)、大脳皮質へと伝導し、いわゆる「痛み」の感覚が発生します。いわば「痛み」は脳で創り出されると言っても過言ではありません。ヒトにおける「痛み」発生のプロセスを魚類にそのまま当てはめて良いのかの議論は残りますが、魚が「痛み」を感じているかどうかを考える場合、刺激が脳に伝達されているかどうかは重要な判断基準の1つになると考えられます。この観点で非常に興味深い研究の1つに、ニジマスの脳に電極を取り付け、脳への電気信号伝達の有無を解析した研究があります(*2)。この研究によると、刺激から変換された電気信号は脳に伝達されるらしいことがわかっています(*2)。魚体に損傷を与えるような刺激(例えば針を刺したり、切り傷を与えるなど)を与えた場合に見られる反応は、そのほとんどがヒトで言う反射反応、つまり脳を介さない反応と考えていたので、非常に衝撃的なデータでもありましたが、電気信号が脳に伝達されるということは、なんらかの感覚が生まれている可能性が高く、この感覚は反射反応とは異なる回避行動などをとらせるだろうし、その後この感覚は記憶され、学習行動などにも繋がると考えられます。しかしながら、この研究結果は、あくまでも刺激により生じた電気信号の脳への伝達が魚類でも起こることを実証しただけに過ぎず、脳の構造が魚類とヒトでは大きく異なることを考えると、魚類の脳に伝達された電気信号の強弱からヒトでいう「痛み」や「苦痛」の感覚を類推することは難しいと言わざる得ません。よって、魚類が「痛み」や「苦痛」に相当する感覚を有するのかの問題については、今後も痛みの定義を含めて慎重に議論する必要があるように思います。


「症状と致死との関連付け(Death/Clinical sign比を用いた手法)を示したグラフ」
図1:グラフの縦軸はDeath / Clinical signs(症状)比を示し、1の場合は観察された症状が100%の割合で致死に移行したことを意味する。<1の場合は、回復等で観察された症状が100%致死に移行しなかったことを意味する。
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 我々の研究分野である生態毒性(広義には生態系への化学物質の影響を言うが、一般的には飼育の容易さや感受性に基づき選定された代表生物種を用いる。)に話を戻しますと、このような動物福祉の観点から魚類を用いた生態毒性試験については今後なんらかの対応を迫られる可能性が高くなっています。例えば、化学物質の物理化学的な性質や毒性影響を調べるための国際標準化を実施している経済協力開発機構(OECD)の試験法テストガイドラインの中に魚類急性毒性試験(Guideline for the Testing of Chemicals No. 203: Fish Acute Toxicity Test)(以下、TG203という)があります。TG203は、国内外で一般工業化学物質や農薬等の安全性評価に用いられる重要な試験法の1つであり、この試験法では魚類に対する化学物質の影響を把握する目的で、化学物質の96時間曝露による死亡数が計測され半数致死濃度(LC50)が算出されます。TG203は致死を観察項目(エンドポイント)にしていることから、繁殖や成長などの慢性影響に比較して高濃度域での試験設定となり、現在の動物実験実施に提出が必要とされる苦痛カテゴリーに照らし合わせると、最も懸念される試験法の1つでもあります。よって、ここ数年、欧州を中心に、試験魚の苦痛削減を目的に致死に代わるエンドポイントとして瀕死(Moribund)症状の採用が繰り返し提案されています。エンドポイントとして瀕死症状を採用すれば、症状が確認された個体については即座に試験を終了し、安楽死させることができます。しかし一方で、エンドポイントとして瀕死症状を採用するためにはいくつかのハードルがあるのも事実です。例えば、現段階では症状と致死とのリンク付けがほとんど行われていない、つまり、ある症状が観察された時に本当にその個体が近い将来(魚種によって異なるが数日の単位で)に個死に移行するのかの実証実験がなされていないのです。また、この実証実験では、個体の症状と致死とのリンク付けの観点から、なんらかの個体識別法を用いた実験が必要となりますが、魚体に影響が少ない個体識別法の検証がなされていません。このような背景から、2019年の6月に公開されたTG203の改定版では、致死に代わるエンドポイントとして瀕死症状の採用は見送られたものの、将来的な採用を見据えて症状診断をより充実させるという内容が盛り込まれています。このような中で我々も2018年度から、環境省の請負業務としてヒメダカ(Oryzias latipes)の瀕死症状の実証実験(ある症状が致死にリンクするのか)やエンドポイントとしての瀕死症状採用の妥当性検証を開始しています。これまで、個体識別法の検証や瀕死症状の実証実験を行なっており、症状と致死との関連付けについてはDeath/Clinical sign比(観察された症状が致死に移行する割合)(図1参照)を用いた手法を提案しています。すでにいくつかの瀕死症状を確定しており、確定した症状についてはエンドポイントとしての妥当性検証を開始する予定です。


 今後、多種多様な化学物質が製造・使用・廃棄される中で代替法として生体の組織・細胞を用いた試験や計算で結果を予測する手法の利用を進めていくことは有効な手段の1つです。その一方で、魚類を含む動物試験は、代替法では十分に信憑性の高い知見が得られない場合もあることから、欠くことのできない手法でもあります。生物試験が有する必要性と重要性を踏まえ、感情論に流されない理性的な議論が必要であると考えています。


【参考文献】

*1  Braithwaite V (2010) Do fish feel pain? Oxford University Press, New York.

*2  Sneddon LU (2009) Pain perception in fish: indicators and endpoints. ILAR journal, 50:338-342.


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