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06. ヒ素の代謝および生体影響に関するマススペクトロメトリーの応用

主任研究員 小林 弥生


 ヒ素は地殻中に広く分布しており、土壌や水中には天然由来のヒ素が含まれています。そのため、食品や飲料水にも天然由来のヒ素が含まれており、それらを通じてヒトは体内にヒ素を摂取しています。地球規模でおこっているヒ素汚染、慢性ヒ素中毒の原因はヒ酸、亜ヒ酸といった無機ヒ素化合物です。海産物中には比較的多くのヒ素化合物が含まれています。日本では、海藻類や魚介類などの海産物を摂取する食習慣があるため、日本人は諸外国と比較し、食事から多くのヒ素を摂取しています。海藻類では、主にヒ素糖として存在しています。魚介類中のヒ素の主要な化学形態はアルセノベタインであると認識されていましたが、分析技術の進展とともに、多種類のヒ素脂質が同定されています。これら海産物中に多く含まれるヒ素化合物は主に有機ヒ素化合物です。一方で、人工的に合成されたヒ素化合物は殺虫剤、除草剤、殺菌剤、飼料添加物、医薬品など広く使用されています。かつて盛んに使用されてきた緑色の顔料パリスグリーンや、ペニシリンが発見される以前は梅毒の治療薬として用いられたアルスフェナミン(サルバルサン)も人工的に合成されたヒ素化合物です。


ヒ素の化学形態別分析に使用しているHPLC-ICP-MS装置の写真
図1:ヒ素の化学形態別分析に使用しているHPLC-ICP-MS装置 [クリック拡大]

 ヒ素化合物はその化学形態によって細胞への取り込み、毒性、排泄などが大きく異なる為、分解および代謝物を含めたヒ素の化学形態別分析に基づいた毒性評価を行うことが必要不可欠です。化学形態別分析とは、化学形、機能、荷電状態などによりある目的に添って分離操作を行い定性や定量を行うことです。ヒ素化合物の化学形態別分析は、試料を高速液体クロマトグラフ(HPLC)で分離し、その溶出液を直接誘導結合プラズマ質量分析器(ICP-MS)に導入して、連続的かつ高感度に分析を行うHPLC-ICP-MS法(図1)や、溶出液をエレクトロスプレーイオン化質量分析器(ESI-MS)に導入し、試料の分子量による情報を得るHPLC-ESI-MS(/MS)法を用いて行っています。ICP-MS法は元素特異的手法であるために、高感度にヒ素化合物を分析することが可能ですが、分子量に関する情報が得られないため、未知の化合物の同定は困難です。一方、ESI-MS(/MS)法はICP-MS法と比較し分子量に関する情報が得られますが、試料中の夾雑物に影響されやすいという欠点もあります。そこで、両者の長所を活かし、ヒ素化合物の分析に応用しています。


「ジフェニルアルシン酸とジフェニルアルシン酸-GSH抱合体の構造を示した図」
図2:ジフェニルアルシン酸とジフェニルアルシン酸-GSH抱合体の構造  [クリック拡大]

 ここで、HPLC-ICP-MS法とHPLC-ESI-MS法を併用し、齧歯類における有機ヒ素化合物であるフェニルアルシン酸(DPAA)の体内動態に関する研究結果を紹介します。DPAAは通常自然界には存在せず、その毒性学的知見は無機ヒ素化合物と比較し、はるかに少ない状況です。本研究では、ラットDPAAを単回経口投与してDPAAの胆汁排泄を調べました。胆汁中へのヒ素の排泄は3時間まで経時的に増加し、投与量の約0.3%のヒ素が3時間で胆汁に排泄されました。HPLC-ICP-MSおよびHPLC-ESI-MSの結果から、DPAA(図2)及びDPAAのグルタチオン(DPAA-GSH)抱合体(図2)の保持時間と一致するピークが検出され、DPAA-GSH抱合体の胆汁排泄は経時的に増加していることが分かりました。さらに、HPLC-ICP-MSによる定量の結果から、胆汁中に排泄されるヒ素化合物のうち、約85-95%がDPAA-GSH抱合体であることが分かりました。以上のことから、生体内に摂取されたDPAAの一部はGSH抱合体となって胆汁中へ排泄され、再吸収される際に3価のジフェニルヒ素化合物へと加水分解される可能性が考えられました。3価ジフェニルヒ素化合物はタンパク質との相互作用が強いと考えられることから、毒性発現の原因になる可能性が示唆されます。


【参考文献等】

Kobayashi Y., Hirano S. (2013) Metallomics 5, 469-478.

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