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アーカイブ集(Meiのひろば:海外報告便)


米国国旗イラスト

08. 米国報告「国際会議報告:PPTOXⅡ(第2回胎生プログラミングと毒性(Prenatal
   Programming and Toxicity
)に関する国際会議)に参加して」

青木 康展

 ヒトの一生の中で、環境中に化学物質などの環境因子に対して最も感受性の高い時期が、胎児期や出生間もない乳児期であることは、概念としては理解されているものの、影響の実態が充分に解明されているわけではない。今回の会議は「発生を起源とした疾患発症における環境ストレスの役割(Role of Environmental Stressors in the Developmental Origins of Disease)」をサブテーマとし、近年話題となっている、「胎児期や幼若期に受ける化学物質の曝露など環境からの影響が、思春期以降の疾患発症にどのように関与しているか」を主題として開催された。


 この国際会議の第1回は2年前、北海に浮かぶフェロー諸島で開催されたが、2回目の今回は米国毒性学会(SOT, Society of Toxicology)が事務局となり、世界保健機関、米国・疾病対策センター(CDC, Centers for Disease Control and Prevention)、環境保護庁、国立保健研究所の傘下にある国立環境健康研究所、ヨーロッパ環境庁などと並び、事務局からの呼びかけで国立環境研究所も共催機関に加わり、平成21年12月7日から10日にわたり米国フロリダ州マイアミビーチのLoewsホテルで開かれた。参加者は300人でうち20 人ほどが日本からの参加者であった。


「会場のホテルの入り口」の写真
写真1:
会場のホテルの入り口

 会議では、癌、肥満・糖尿病・メタボリックシンドロームなどの代謝性疾患、喘息などの免疫影響、生殖影響、神経行動影響などのセッションに分かれ、招待講演が行われた。各セッションの座長も各国から選ばれていたが、わが国からは、東京理科大学・武田健教授、国立環境研究所・野原恵子室長と筆者が指名された。各セッションとも、妊娠中の動物への化学物質投与による胎仔への影響を中心とした実験的研究(毒性学)と、実際の環境からの化学物質曝露の健康影響を評価する疫学研究がバランスよく発表され、分子生物学や生理学の最新の知見を取り入れて有害性発現のメカニズムを明らかにする意欲的な毒性学の研究が紹介され、刺激的であった。また、米国の先行的研究(国家小児研究 National Children’s Study)を始めとした各国で行われている小児の疫学調査の事例が紹介され、わが国での取り組み(環境省による「エコチル調査(注1)」など)が自治医科大学・香山教授から紹介された。


 胎児期の影響やその可能性が、実験や疫学により検討されている化学物質は多岐にわたる。この会議でも、ビスフェノールA・ジエチルベンジルステロール(発癌)、有機リン剤・タバコ(肥満)、ダイオキシン類、大気汚染物質(免疫影響)など多種多様な化学物質について議論されていた。国際的には、内分泌かく乱物質の健康影響の研究が綿々と続いていることに、大きな印象を受けた。


 この会議では、エピジェネティクス(Epigenetics)研究が大きなトピックスとなっていた。エピジェネティクスとは、DNAのメチル化やヒストンたんぱく質のアセチル化やメチル化など、遺伝子(DNA)の構造を変えることなく、遺伝子発現を調節するメカニズムのことである。胎生期など高感受性時期に曝露されることで成長後に表現形の変化を引き起こす化学物質は、ダイオキシン類など遺伝子構造の変化を引き起こしにくい化学物質が多い。


「後援機関を示したパネル」の写真
写真2:
後援機関を示したパネル

 そのような中、米国コロンビア大学のF. Perera博士による、大気からの多環芳香族炭化水素(PAH, polycyclic aromatic hydrocarbon)と小児の喘息の関連性に関する研究に、筆者は興味をもった。ニューヨーク市で実施された疫学調査の結果、妊娠中に高い濃度の PAHの曝露を受けていた母親から生まれた小児は、喘息の発症率が高いことが知られていたが、博士らは高い濃度(2.41 ng/m3以上)のPAH曝露を受けていた妊婦では、臍帯血中の白血球の脂肪酸合成酵素(ACSL3, acyl-CoA synthase long-chain fimily member 3)遺伝子のメチル化の程度が高く、また、出生した小児の喘息症状の発生とよく相関することを報告した。ACSL遺伝子DNAのメチル化と喘息発症の関連は不明であるが、今後、わが国でも取り組むべき課題を示しているように思われた。


 長期にわたる疫学研究としては、米国カリフォルニア州公衆衛生研究所のB. Cohn博士のDDT曝露による乳がんのコホート調査に興味を持った。カリフォルニア州では農薬の曝露と疾患の疫学調査が50年ほど前から継続されており、血液試料が継続的に保存されているとのことである。調査の結果、かつてDDTが多量に使用された時期に発達期を過ごした女性についてみると、曝露量と乳がんに関連性が認められるとのことであった。50年前といえば、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」により、農薬散布が生態系に及ぼす影響が指摘された時期である。その時代から健康影響に注目した息の長い研究を進めていることに感服した。


「朝食をとりながらのディスカッション」の様子の写真
写真3:
朝食をとりながらのディスカッション

 最終日の午前中には、生殖影響や肥満といった疾患ごとの分科会に分かれて討論が行われ、筆者は癌の分科会に参加した。妊娠中の化学物質曝露による小児の発がんの証拠として重要な実験的・疫学的証拠は何か、といった今後進めるべき研究の共通認識を作るレビューの場であった。複合的な化学物質曝露の影響評価手法が大きな課題として議論されていたが、環境から曝露された主要な成分が、最も大きな影響を現すとは限らないことが大きな問題であり、影響を与える本体の化学物質を同定していくためには、適切なバイオマーカーの選択が必要性であることなどが指摘されていた。筆者はライフスタイルに関わる疫学調査ではデータの国際比較が必要であること、および、実験的研究では曝露に対する感受性の高い発達段階の同定が必要性であることを述べた。このような討論の機会から、研究の方向性が作られることを実感し、学会発表や論文と並んで、討論に参加する技術を磨く必要があることを強く認識した。


 会議の総括として、「規制への取り組みと方向性」のセッションが設けられ、メカニズム研究の成果を施策に生かす方策についてパネルディスカッションが行われた。はじめにJohns Hopkins大学L Goodman博士が問題提起の講演を行い、施策決定のための研究である政策科学(Regulatory Science)と基礎研究の目的と方法論の違いを紹介した。例えば、前者が健康を守るために必要な適切な安全域を設定し、‘安全な‘曝露レベルを決めるための研究であると定義したうえで、前者が’現実の世界‘の曝露の問題に答えを出す必要があるのに対し、後者はメカニズムを明らかにすることが目的であり、現実の曝露レベルを反映した研究である必要性は必ずしもないと指摘したことに興味が持たれた。政策科学の研究が進んでいる米国でも、基礎研究の成果を現実で起こる低濃度曝露の影響評価にどのように結びつけるかについて、いまだに議論が尽きないことを知り、わが国でも環境の現状に即した影響評価の研究をさらに進める必要があることを痛感した。


 筆者はCDCのB. Fowler博士と共に、このセッションの座長を務めた。パネラーとフロアーからの発言はわき道にそれることなく滞りなく進み、さすが幼い時から討論のトレーニングを受けている国民性と納得した。

注1  エコチル調査: 環境省 / 子どもの健康と環境に関する全国調査(エコチル調査)
    http://www.env.go.jp/chemi/ceh/index.html


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