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アーカイブ集(Meiのひろば:トピックス・インタビュー)


04. 巻貝類のインポセックス(擬似雌雄同体現象、またはオスの生殖器を持ったメス)はどのようにして起きるか?

堀口 敏宏

環境ホルモンによる生物への影響

「イボニシの産卵の風景」の写真
イボニシの産卵
(2005年7月、四国西部調査)
産卵風景(黄色い房が、受精卵が多数入った卵嚢.卵嚢を岩棚に産み付ける)。イボニシ(新腹足目アクキガイ科)は、岩礁潮間帯に棲む殻高2~3cm程度の肉食性巻貝。[クリック拡大]

 世界各地からイボニシなどの巻貝類に、“インポセックス”と呼ばれる、オスの生殖器をもつメスが相次いで報告され、社会的関心も集まりました。いわゆる、環境ホルモン問題として、です。野生生物に環境ホルモンによる悪影響が生じてきたことには、研究者の間では概ね異論はありませんでしたが、人間にも同様の影響があるかどうかについては科学的に不明な点があり、社会的に大きな議論が起きました。これまでのところ、人間への環境ホルモンの影響は科学的には不明な点が多いということが、その影響が全くないかのように語られ、多くの人々の記憶から忘れ去られたように見えます。しかし、本当にそうでしょうか? 人間への環境ホルモンの影響の有無は、科学的にはまだ決着がついていません。だからこそ、細心の注意を払いながら研究を進めるべきだと私は思います。私がそう考える理由の一つは、私たちには知らないことがたくさんあるからです。眼からウロコが落ちる思いをした、その一例をご紹介しましょう。


インポセックスとは?その原因は?

 話をインポセックスに戻すと、インポセックスとは、メスの巻貝にオスの生殖器(ペニスと輸精管)ができてくる現象です。奇形の一種ですが、重症の場合には、産卵という、メスとして重要な子孫を残す機能が損なわれ、さらにひどくなると産卵できなくなる場合があります。このため、生息数が減少したとみられる例が複数の巻貝で知られています(注1)。漁獲対象種でもインポセックスと、それに付随した雌の成熟抑制や産卵数の減少などが生じた結果、生息数が減少して漁業に影響を与えた例もあります(注2)。巻貝にとっては深刻な話です。このインポセックスを引き起こす原因物質は、船底塗料などとして使用されてきた有機スズ化合物(特にトリブチルスズ(TBT)とトリフェニルスズ(TPT))であることがわかっています。しかも、1 ng/L というごく低濃度、例えて言うなら、50 m プールに目薬一滴程度の有機スズでもインポセックスが起きます(注3)。 1990年にインポセックスの研究を始めて以降、有機スズ汚染とインポセックスの実態を調べ、有機スズの製造や使用に対する規制を強めて有機スズ汚染とインポセックスの程度を改善させることに労力を注いできました。多くの人の努力のおかげで、ようやく今年(2008年)9月17日に有機スズ全廃条約(AFS Convention 2001)が発効する見通しです(注4)


作用メカニズムは?

「イボニシの解剖の様子」の写真
イボニシの解剖

 一方、インポセックスはどのようなメカニズムで起きるのでしょう?生物学者にとっては学問的興味を引く課題であり、1980年代から研究されてきました。2000年代初めまでに、世界各地の研究者から提起されてきたインポセックスのメカニズムの仮説は大きく4つに分類されます(注5)。ところが、それらは全て正しくなかった、というのが私たちの現在の考えです。私たちは、これらの仮説を検証するために何度も繰り返し実験を行いましたが、ことごとく失敗しました。「なぜ、うまくいかないのか」と自問するうちに、「もしかすると、自分の実験結果こそが正しいのかもしれない」との想いを抱くようになりました。なぜなら、うまくいかないという点では、実験結果の再現性(同様の実験結果が繰り返し得られること)がきわめて高かったためです。そうして、これら4つの仮説を疑いながら見始めると、いくつもの“疑問”が生じてきました。いくつもの“疑問”の最たるものが、“巻貝の性ホルモンは、人間と同じ(ステロイドホルモン)か?”というものでした。誰に聞いても「そうだろう」と言われ、「あなたはそんなことも知らないの?」という顔で見られたこともありましたが、これこそが曲者だったと、今しみじみ思います。“巻貝の性ホルモンも、人間と同じ(ステロイドホルモン)である”と仮定すると、説明のつかないことがいくつもあることがわかってきたのです(注6)。これは、おかしい。


RXR関与説:日本発の、全く新しい仮説

 では、新しいメカニズムとは?私たちは、これまでの実験データに基づいて、有機スズが引き起こす巻貝類のインポセックスには、レチノイドX受容体(RXR)という核内受容体が深く関与していると考え、2004年に全く新しい仮説として世界に提起しました(注7)。私たちのRXR関与説は、いくつもの実験データに裏付けられた、信憑性の高いものです。しかし、これでインポセックスのメカニズムに関する全ての謎が解かれたわけではありません。一つの謎が解けると新たな疑問がいくつも出てくる、ということは科学の世界ではよくあることです。私たちは、インポセックスが起きるメカニズムにRXRが深い関わりを持っていることは確かだけれども、本当の“主役”は、実はほかにいるかもしれないと考え、研究を継続しています。


得られた教訓:思い込みは恐ろしい

「イボニシ調査(高知・足摺岬)の様子」の写真
2005年7月イボニシ調査
(高知・足摺岬)

 “巻貝の性ホルモンも、人間と同じ(ステロイドホルモン)である”との思い込みに縛られ、無意識のうちにその思い込みに支配されて、私たちは自由な発想をできなくなっていました。そして、そのことがRXRの関与という重大な事実の発見を遅らせたと言えるかもしれません。先入観を持たずに虚心坦懐に、と口で言うのは易しいですが、これを実践することがいかに難しいかを思い知らされました。同時に、知らないことの多さも痛感し、謙虚であるべきとの想いを新たにしています。慶応義塾大学医学部の故西本征央教授が言っておられた「『想像』がエンジン、『論理』が地図、ひたむきに打ち込め、うまくいくまであきらめない」を実践しながら、前に進みたいと念じています。

注1  Bryan, G.W., Gibbs, P.E., Hummerstone, L.G., Burt, G.R.: The decline of the gastropod Nucella lapillus around south-west England: evidence for the effect of tributyltin from antifouling paints. J. Mar. Biol. Assoc. U.K. 66 : 611-640, 1986.

注2  Horiguchi, T., Kojima, M., Hamada, F., Kajikawa, A., Shiraishi, H., Morita, M., Shimizu, M.: Impact of tributyltin and triphenyltin on ivory shell (Babylonia japonica) populations. Environ. Health Perspectives 114: 13-19, 2006.

注3  堀口敏宏: 2・2・1 巻貝のインポセックス発生状況から見た汚染実態の変遷およびアワビ類における有機スズの影響. 有機スズと環境科学-進展する研究の成果-(山田 久編, 恒星社厚生閣, 314p.), pp.112-139, 2007.

注4  IMO(International Maritime Organaization 国際海事機関)HP:http://www.imo.org/

注5  環境儀 NO.17「有機スズと生殖異常 海産巻貝に及ぼす内分泌かく乱化学物質の影響」(<国立環境研究所HP)

注6  堀口敏宏: 3・1・3 巻貝類のインポセックス発症機構. 有機スズと環境科学-進展する研究の成果-(山田 久編, 恒星社厚生閣, 314p.), pp.210-217, 2007.

注7  Nishikawa, J., Mamiya, S., Kanayama, T., Nishikawa, T., Shiraishi, F., Horiguchi, T.: Involvement of the retinoid X receptor in the development of imposex caused by organotins in gastropods. Environ. Sci & Technol. 38: 6271-6276, 2004.


インタビュー
「東京湾における調査研究で何を目指すか?」

堀口敏宏主席研究員(掲載当時)に聞く

 今回のインタビューは、引き続き堀口主席研究員(掲載当時)にお願いしたいと思います。堀口さんよろしくお願い致します。


「東京湾におけるハタタテヌメリ調査の際の採泥作業の様子」の写真

Q1:それでは早速質問に入ります。堀口さんは毎年の「夏の大公開」での姿が印象的です。なぜ東京湾を研究のフィールドに選ばれたのか教えて下さい。

A1:私は大学院博士課程の時代(1990年)から現在まで、有機スズによる巻貝類のインポセックスを研究課題にしてきました。有機スズの影響はとにかく強烈で、それ単独で、一般海域に生息する巻貝類に広い範囲にわたってインポセックスを引き起こしてきました。特に、私がインポセックス研究を始めた1990年は、化学物質審査規制法による有機スズの製造や使用に対する規制が本格的に始まったばかりでしたので、有機スズ汚染はかなり深刻で、巻貝類の“被害”は相当酷いものでした。しかし、公害対策のためさまざまな政策を行ってきて、その成果が見え始めた時期に、それほどひどい環境汚染問題があちこちに存在するとは考えにくく、多種多様な化学物質による、一つ一つは低濃度だけれども複数の物質に長期に曝露された場合の影響が注目され始めた頃でした。一方、東京湾は首都圏に隣接していて、沿岸部の埋め立てや工業地帯の建設を経験してきただけでなく、多くの人間がその周辺で生活し、下水処理場などを通じてさまざまな物質が流入する海域です。一つ一つは低濃度でもたくさんの物質が存在するとみられる海域です。人間に散々痛めつけられてきた海域と言っていいかもしれません。そこで生き物たちがどう暮らし、変化してきた(させられてきた)のかを、環境の変化との関連できちんと説明し、それを基に現実的な改善策を考え、示したいという想いからです。


「東京湾20定点調査の際の底曳き網によって採集された漁獲物。ミズクラゲとヒトデ類が多い。中央にアカエイとホシザメ。右端にトビエイ」の写真

Q2:東京湾というと、関東に住む人達にとっては身近な海ですが、非常に近年開発が進んだ地域でもありますね。東京湾の実状はどうでしょうか?

A2:大学院時代の恩師・清水誠先生が、1977年から停年退官される直前の1995年までの19年間、東京湾内湾部に設けた20の定点で10分間の試験底曳き調査(東京湾20定点調査)を行い、漁獲された底棲魚介類を対象にさまざまな角度から解析なさっておられました。清水先生の退官後、しばらく東京湾20定点調査がストップしておりましたが、2002年から国立環境研究所が、清水先生がなさっていたものと全く同じ定点で、そして全く同じ方法で試験底曳き調査を再開し、それに水質・底質調査も加えた、いわば、拡大版の東京湾20定点調査を始め、現在に至っています。両者のデータを合わせると、1977年から2007年までの約30年間の東京湾における底棲魚介類群集の質的及び量的な変化がわかります。これは、世界的に稀有な、とても価値あるデータだと思っています。そこには、3つの特徴が読み取れます。それらは、(1)1980年代末~1990年代初めにかけて複数の種が同調して急激に減少したこと、(2)それらの種は、それ以来、現在に至るまで低水準のままであること、(3)その一方、近年(2000年代以降)、サメ・エイ類やスズキという大型魚類が増加したこと、です。これらの現象が生じた原因を追究することが、当面の課題です。原因は、おそらく一つではなく、いささか複雑かもしれません。それとともに、最近少し気になっていることは、東京湾においても、以前と比べて水質が改善したと言われて久しいのですが、それにしては生き物が豊かに回復していないことです。なぜなのか?その点も明らかにせねばなりません。


「東京湾における調査の際の底曳き網による魚介類採集の様子」の写真

Q3:やはり、水質が良くなったと聞いても、大きく生態系まで考えを及ばせると複雑な問題があるのですね。今後、東京湾での調査研究をどう発展させたいか教えて下さい。

A3:私は、リアリティにこだわりがあります。外国でecological relevance(生態学的な妥当性)という表現で語られることと同義でしょうか。調査研究の結果、示唆されることや結論が本当にそうなのか、どの程度もっともらしいのかということに強い関心があるのです。机上の論理や単なる可能性だけでは満足できず、少しでも確からしいことを追究したいと思っています。と言いますのも、私たちの調査研究には東京湾という具体的な場があり、そこで暮らす漁業者の生活にも深く関わることですので、常に緊張感を伴う真剣勝負だと思います。さらに、この頃は、ある現象とその原因を明らかにするだけでは満足できなくなってきました。現実の問題解決を目指すなら、そこに至る道筋まで示す必要がある、と思うようになってきたのです。東京湾の底棲魚介類群集が上で述べたような変遷を辿ってきた原因究明は言うまでもありませんが、それに留まらず、どうすれば、以前のように生き物が豊かな状態へ戻せるのかという、問題解決への道筋(処方箋)まで示したいと強く思います。究極のゴールは、いわゆる水質の改善というより、むしろ、生き物が豊かになることであると考えています。


「東京湾におけるハタタテヌメリ調査で採集されたイイダコ」の写真

Q4:なるほど・・・。堀口さんの研究者としての気概が伝わってきました。そんな堀口さんが研究者になった動機は何ですか?

A4:一言で言えば、宇井純先生に憧れたから、です。ご存知のように、宇井純先生は水俣病問題を告発し、自主講座『公害原論』を東大で15年間続けられました。各地の公害反対運動のシンボルであり、オピニオンリーダーでもあられました。その足跡は、ものすごく大きい。私にとっては、到底近づけない、偉大な存在です。その宇井先生が、「銀行型学習は役に立たないからだめだ、問題解決型学習こそが必要である」と説き、「誰のための学問か、何のための研究か」をよく考えろと教えていただいた気がします。


Q5:では、研究者として何を目指されてきましたか?

A5:大学のサークル「沿岸漁業研究会」で読んだ『公害原論』に強い衝撃を受けました。そして、考えました。水俣病が起きたとき、人間に激甚なメチル水銀中毒の症状が現れる前に猫が狂い、海でゆらゆら泳ぐ大きな魚が手づかみで獲れた(注8)。ということは、体が小さな、弱い生き物から環境汚染の影響が現れるのではないか、と。そうであるなら、そうした生き物をよく観察し、いち早く異変の兆候をつかむことができれば、人間への被害を未然に防げるのではないか、少なくとも被害を最小限にとどめられるのではないかと考え、子供の頃から大好きだった海をフィールドに、そこに棲む生き物のわずかな異変をいち早くキャッチできるよう、大学院に進学して研究者になる修行を始めた次第です。


「東京湾におけるハタタテヌメリ調査の際の採水作業の様子」の写真

Q6:それでは最後に、皆さんへ一言をお願い致します。

A6:上で述べた、東京湾における底棲魚介類群集の変化は、目の前にある、解決を急ぐべき大きな問題であると私は考えています。それに対して今できることは、問題意識を共有できる人たちと協力することでしょう。そこで、“堀口組”と呼ばれることもある当研究室では、志を胸に秘め、現状に対する問題意識と強い使命感を持つ大学院生などの若手の共同研究者を募集しています。


 最後までお付き合いいただきありがとうございました。 堀口さんの熱い思いが伝わってきて、とても良いお話を伺うことができました。
 堀口さんどうもありがとうございました!

注8  宇井純: 2 水俣病. 合本 公害原論 (亜紀書房, 270p.), pp.73-188, 2006.


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