立田 晴記
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最近、日本各地でシカ、イノシシ、クマなどの大型哺乳類が増えているという話を耳にされていると思います。暖冬により凍死する個体数が減っていることや、天敵となる動物が少なくなったことが考えられますが、はっきりとした原因はわかっていません。一部の生物が増えすぎてしまうと、栄養やエネルギーの循環が変化し、結果として他の生物の生息環境が悪化します。また、農作物や森林に与える被害、人畜共通の寄生虫の増加、土壌硬度の変化により土砂崩れが生じるリスクの増大といった人間社会への影響が懸念されます。そこで野生動物を適切な頭数に制御することが必要となり、主に地方自治体を中心に駆除事業が実施されていますが、対象となる動物がいれば捕獲するといった対処療法的処置が中心です。野生生物の行動や生態的な特徴を良く理解すれば、より適切な頭数管理を実現させることができると考えています。
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それではどの様にして野生動物の移動パターンや分布を調べることができるのでしょうか。野生動物が生活する行動範囲は個体に電波発信器を付け、その電波を受信機で追うことで調査できます。近年では自動車のカーナビゲーションでもお馴染みのGPSシステムを利用した追跡も行われています。この方法は野生動物を個体ごとに追跡するもので、生物の集団単位の解析にはあまり向いていません。有害獣を管理する単位は「集団」や「群れ」であり、個体ではなく「群れ」がどの様に移動、繁殖しているのかを推定する必要があります。
動物個体のDNA情報を調べ、それをもとに動物の「群れ」の移動範囲や分布を調べる方法があります。DNA情報は個体の違いを認識する「目印」としての役割を持ち、目印の違いからどの様な遺伝的特徴を持った個体が分布しているのか、また過去の個体数や現在までどれ位の速さで個体が増えてきたかといった様々な情報を得ることが可能です。DNAを調べると個体の移動範囲だけでなく、繁殖など動物の「群れ」に関する色々な情報を集めることができるのです。
(小金沢ら 1976)と現在(2001年度)の分布 1973-1974年にシカのフィールドサインが確認された場所(黒丸で示された位置)からシカは現在の千葉県鴨川市付近(破線で囲まれた地域)にのみ生息していたと類推されるが、2001年度には周辺地域(灰色に塗りつぶされた部分)にまで分布を拡大させている。 |
ここで千葉県の房総半島に分布しているニホンジカCervus nipponを対象に「群れ」の解析を実施した例をご紹介します。まず房総半島に分布するニホンジカの歴史を簡単に触れておきます。江戸時代にはシカ狩りが行われていた記録から、千葉県全域にシカが生息していたとされています。ところが1940年代以降になると地域開発による生息環境の荒廃や乱獲などで個体数が激減し、1973-1974 年にはシカの分布は旧天津小湊町を中心とした鴨川市南東部の地域に限られていました(小金沢ら 1976;千葉県・房総のシカ調査会 2004)。その後の県の保護政策などにより個体数は徐々に回復傾向を示し、1985年以降増加速度が飛躍的に上昇し、2001 年には、房総半島の南部に広く分布するに至っています(千葉県・房総のシカ調査会 2004)(図1)。現在、シカは田畑の農作物や森林に甚大な被害を与えており、また人間にも寄生する生き物(ダニやヤマビル)が増え、ハイキングコースが閉鎖されるなどの事態を招いています。またシカの密度が高い地域では土壌が流れ出やすい状態になっており、大雨が降った際の土砂災害も懸念されています。これらの背景からシカが多く分布する市町村では独自にシカを間引く事業をおこなっています。
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シカの「群れ」の適切な管理を実現するため、私たちはDNA情報からシカの分布を類推しました。その結果、1970年代に残っていたシカが周囲にまんべんなく広がっていったのではなく、遺伝的に異なった2つの「群れ」が存在している(一部のタイプの遺伝子が分布の西側に偏って存在する)ことがわかりました(図2)。さらに、複雑な地形を避けて分布を拡大する傾向や、畑などの良い餌場が存在するとその周辺に居つく傾向があることなどがわかりはじめています。現在これらの情報をもとにシカがたまりやすい地域の選定や、駆除にかかる手間と費用がどのような関係になるのかを試算し、行政の支援を行う作業を進めています。シカ以外にもイノシシやサルなども増加しており、同様のアプローチが可能なのか検証していく予定です。