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アーカイブ集(Meiのひろば:化学のひろば)


05. 化学物質の反応性に注目した毒性予測

古濱 彩子


はじめに:生態毒性の予測

「脂肪族炭化水素のオクタノール水分配係数と魚類急性毒性値[半数致死濃度の逆数の常用対数]との関係」を示したグラフ
図1:脂肪族炭化水素のlog POW
魚類急性毒性値[log(1/LC50)]との関係

 化学物質が環境中に棲息する水生生物へ及ぼす有害性を評価する方法として、魚類や甲殻類(ミジンコ)を試験生物として用いた生態影響試験(注1)があります。この試験から得られた生態毒性値は、化学物質審査規制法などにおける基準になります。しかしながら、世の中には数多くの化学物質が存在し、個々の物質に対して生態影響試験を実施して毒性値を得るためには、膨大な時間と費用がかかります。そこで近年、既存の毒性値を有効利用して化学物質の構造からデータの無い毒性値を推定するQSAR(キューサー:Quantitative Structure-Activity Relationship)の活用が検討されています。定量的構造活性相関を意味するQSARは、化学物質の毒性予測だけではなく、医農薬品の開発分野で大きな発展を遂げてきました。ここでは、QSARを化学物質の構造や物理化学的性状(例:化学物質の水や油脂への溶けやすさの指標 log POW(注2))と生物学的な活性(毒性)との定量的な相関関係と定義します。
 魚類やミジンコの寿命に比べて短時間で有害な影響が表れる急性毒性の場合には、同じような構造を持つ物質群に対して、log POW と毒性値との間に高い相関関係があり、log POW を毒性の指標として用いることが出来ます。例えば、図1に示すように、脂肪族炭化水素のlog POW (横軸)と毒性値(縦軸:96時間で試験生物(魚類)が50%死亡する化学物質の濃度(LC50)の常用対数の逆数、軸の上側ほど毒性が強いことを示す)との間には、高い線形関係が存在し、log POW による毒性予測が有効です。ただし、log POW と毒性値との相関が高いのは生物体内で化学反応や相互作用をおこしにくい化学物質に限られます。生体内での反応が影響する化学物質では、log POW だけで生態毒性予測QSARの提案は困難です。


反応性を考慮に入れた理論手法による展開

「α, β不飽和カルボニル基をもつ化学物質と生体分子との反応経路」を示した図
図2:α, β不飽和カルボニル基をもつ化学物質と
生体分子との反応経路 [クリック拡大]
「グルタチオンの構造式」を示した図
図3:グルタチオンの構造式

 毒性を説明・予測する能力を改善する道筋のひとつは、生物体内において反応性の高い化学物質の特徴を理解し、反応の起こりやすさの要因となる指標を導入したQSARを開発することです。
 反応性の高い化学物質の構造の一例として、カルボニル基(C=O)の隣の炭素(α炭素)とα炭素に結合したβ位置の炭素が不飽和(二重または、三重)結合を形成するα, β不飽和カルボニル基(図2左上・赤色)が挙げられます。α, β不飽和カルボニル基を持つ化学物質(化合物)は、生体内のタンパク質を形成するアミノ酸システィン内のチオール(SH)基と反応を起こすことが知られています。図2は、一番単純なα, β不飽和カルボニル化合物であるアクロレインを反応物として遷移状態を経て、カルボニル酸素を介在したエノール(C-OH)型と呼ばれる生成物に至る反応を模式化したものです。それぞれ、SH基と化学物質が直接反応して結合を形成する反応と、水分子が酸や塩基として働いて仲介する反応を示しています。
 実験では、システィンを含む生体物質のグルタチオン(GSH、図3)と化学物質との反応の起こりやすさの指標と毒性の強さとの間には高い相関があることが報告されています。化学物質との反応の起こりやすさの指標として、GSHとの間の反応速度定数や120分間で50%のα, β不飽和カルボニル化合物が反応を起こすのに必要なGSH濃度といった実験室で観測された量が提案され、毒性予測のためのQSARの検討も国際的に進んでいます(注3)
 また、化学物質を使った実験だけではなく、量子化学(注4)に基づく反応経路の計算結果を基に、理論的に反応性の特徴と毒性の指標の関係を明らかにする研究も進んでいます。量子化学計算により、反応を活性化するのに必要なエネルギー(活性化エネルギー)値などの反応の指標を求められます。実際の生体内では、分子間の複雑な相互作用の影響を受け、分子間の結合の解離や形成を何度か経由して反応が進行すると考えられますが、図2に基づく反応経路に沿ったエネルギーや構造の変化(図4)を考察することで、どのような要因によって毒性を生じるのか説明が可能になります。図4右は量子化学計算で得られた反応経路に基づく構造変化の動画です。生体分子のシスティン構造(RSH)のモデル化合物としてメチルメルカプタン(CH3SH)を用いて解析すると、アクロレインが水分子(H2O)を介してSH基と結合を形成する様子が分かります。これらの計算結果から魚類急性毒性が非常に強いアクロレインでは、他のα, β不飽和カルボニル化合物よりも活性化エネルギーが低く、タンパク質との反応性が高いことが分かりました。そして、CH3SHよりもGSHとの反応における活性化エネルギーの方が低いことも示されました。残念ながら水1分子とCH3SHを含んだモデルでは、複雑な構造のα, β不飽和カルボニル化合物の反応の活性化エネルギーと魚類急性毒性の間に相関関係を見出すことができませんでした。その理由として、このモデルではGSHやタンパク質に含まれる官能基との相互作用及び水分子の間の水素イオンの移動反応が考慮されていないからだと考えられます(*1)
 図2に基づく反応経路以外に、海外の研究室ではケト(C=O)型と呼ばれる生成物に直接至る反応経路を模倣したα, β不飽和カルボニル化合物とCH3SHとの量子化学計算による理論研究が実施されています(*2)。水素イオンの移動部分に注目した反応経路を構築して活性化エネルギーを求めたり、活性化エネルギーに他の要因を説明する変数を加えたりすることで、実験で得られるGSHとの反応速度定数予測のQSAR及び毒性予測のQSARが提案なされています。生体内での化学物質の反応経路は一様ではなく、化学物質ごとにどのような経路で反応が起こりやすいのか検討できれば理想的です。

「アクロレインとの反応経路(横軸:反応座標、縦軸:エネルギー)の関係」を示した図 「反応経路に沿った構造変化の動画」
図4:アクロレインとの反応経路(横軸:反応座標、縦軸:エネルギー)と構造変化の動画(白色:水素)

 

おわりに

 反応経路に基づく構造の特徴と計算で得られた数値を考察して毒性を記述するのに不足する因子を解明することで、毒性の発現につながる要因を説明することができます。理論研究では、実験では反応性が低い物質や実験室で取扱いが困難な物質についても反応の起こりやすさの指標を算出でき、特定の反応(経路)で説明できる化学物質の区分も明確にできます。今後も実験での評価と並行して、毒性値と化学物質の構造の類似性の検討、活性化エネルギーに基づく反応速度定数の算出、毒性を説明する因子の解明・予測につながる量子化学計算が必要になります。

注1  化学物質の生態影響試験について http://www.env.go.jp/chemi/sesaku/seitai.html

注2  log POWオクタノール/水分配係数 1-オクタノールと水の二層に分配している化学物質の割合を表す係数。値が大きいほどオクタノールに分配する割合が多く、油脂に溶けやすいことを示します。

注3  経済開発協力機構 (OECD)で開発・公開しているOECD QSAR ToolboxにはGSHと化学物質の反応速度の指標が、QSARを構築するための性状としてデータベース化されています。
OECD QSAR Toolbox URL: http://www.oecd.org/env/ehs/risk-assessment/theoecdqsartoolbox.htm

注4  量子化学 : 量子力学の原理に基づいて、分子構造や反応の問題を解明する学問を指します。近年は、コンピュータの進歩に伴い、多くの有償・無償の量子化学計算を行うためのプログラムが公開され、物性値の予測などの応用研究が発展しています。


【参考資料】

*1  Furuhama et al. SAR QSAR Environ. Res., 2012, 23, 169-184.

*2  Schwöbel et al. SAR QSAR Environ. Res., 2010, 21, 693-710; Mulliner et al. Org. Biomol. Chem., 2011, 9, 8400-8412.

*  そのほかの参考文献・URL: 岩波 理化学辞典第5版 岩波書店、独立行政法人製品評価技術基盤機構(NITE) 構造活性相関用語集 http://www.safe.nite.go.jp/kasinn/qsar/qsar_glossary.html


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