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アーカイブ集(Meiのひろば:トピックス・インタビュー)


05. 残留性有機汚染物質(POPs)の環境動態

鈴木 規之

(DDT、PCB#153の構造式)有機塩素化合物の構造のうち、DDTとPCB#153の例を示します。DDTはトリクロロエタンに二つの塩素化ベンゼンが結合した構造、PCB#153はビフェニル骨格の二つのベンゼン環に3個ずつの塩素が置換した構造をしています。
有機塩素化合物の構造
DDT、PCB#153の構造式

 環境汚染物質の中に、有機塩素化合物と呼ばれる一群があるということを、あるいはお聞きになったことがあるかと思います。有機塩素化合物とは、一般的には有機物(炭素を骨格として形成されている化合物、動物や植物の体から各種の合成樹脂、薬品、また石油・石炭も有機物でできている)の構造に、塩素原子が含まれている分子のことです。昔使われたDDT(注1)など有機塩素化合物のあるものは、人への毒性が割合弱い割には農薬として効力が持続的に続く性質に優れていたため、かつては世界中で農薬として広く使われてきました。しかし、今は日本を含め多くの国で、有害性が高い有機塩素化合物の使用が完全に禁止されています。


 このような農薬は、おもに中緯度や熱帯、例えば日本や欧米、中国やインドなど農業生産の盛んな地域で使われたわけですが、その後改めてあちこちを観測してみると、なぜか全く使われていないはずの北極で有機塩素化合物の存在が観測され、あたりのアザラシやイルカの体内に高濃度で蓄積されていた…この地球規模で拡散する物質であるという発見が、おそらく残留性有機汚染物質(POPs)が注目された第一の理由です。どうしてそんなことが起きたのでしょうか?


「大気の循環」イメージ挿絵

 有機塩素化合物の中にも、窒素や酸素のような気体に近い成分があります。例えば、四塩化炭素と呼ばれる物質などは、大気中で非常に安定でかつ常温で大きな蒸気圧があるため、一度大気に揮発すれば、そのまま大気の流れに乗って地球全体をぐるぐる回ることになります。ただし、大気中をぐるぐる回るだけで、地上に落ちてきたり、北極のアザラシに濃縮されたりすることはほとんどありません。単に地球全体に拡散するだけと言ってもよいものです。
 一方、有機塩素化合物と似ているが違うタイプの物質、例えば近年注目されているデカブロモジフェニルエーテルという有機臭素化合物は、揮発性が非常に低いのでまず大気中に揮発することがほとんどなく、仮に揮発したとしても短い時間の間に凝縮したり大気中の粉じんに吸着したりして地上に落ちてくると考えられます。したがって、このような物質の場合には仮に地球規模の拡散を考えたとしても、四塩化炭素とは全く状況が異なることになります。


 なぜ、ある種の有機塩素化合物が、地球規模の長距離を移動した末に、極域の生物に蓄積されるに至ったか、これは物質の持つ物理化学的な性質と密接な関係があります。もちろん、その物質が農薬として散布されたのか、あるいはトランスオイル(注2)として使われたのか、など使い方の違いによっても異なってきます。また、実際には有機塩素化合物以外にも、例えば有機フッ素化合物などの中にも残留性有機汚染物質と同じような性質を示すものが見つかってきています。残留性有機汚染物質とは、このような、地球規模の長距離を輸送された末に、長い年月にわたってどこか遠隔地の環境を汚染する可能性のある物質を示す概念です。このような性質を持つ一群の物質に対して、現在は残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約(注3)(POPs 条約と国内では通称される)という国際的な管理を進める条約が締結され、環境モニタリングや対策などの各種の政策が進められています。これらすべての意思決定の基礎の一つとして、まず、一つの物質が、「地球規模の長距離を移動した末、長い年月にわたって遠隔地を汚染する」という性質に科学的な定義を与え、評価の枠組みを示すことが求められています。


「化学物質の大気中濃度を予測。どの地域に輸送されるか推定。」を示すイメージ図

 私たちは、環境中の汚染物質の動態(注4)を、おもに数理モデルを用いたシミュレーションによって解析し、特に地球規模の物質輸送と残留性をシミュレーションを通じて解析することを目標の一つとして研究を進めています。ここでは、おもに化学物質の持つ物理化学的な性質と、気象や地表面、地理情報などのデータに基づき、化学物質が大気、水、土壌、底質あるいは生物など多くの媒体にまたがる動態と、風や海流など地球規模の物質循環に乗ってこれらの物質が輸送される様子を理論的な方法論で記述するシミュレーションモデルを構築し、これによって、残留性物質の地球規模の動態を明らかにする検討を進めています。このようなシミュレーションモデルを構築することによって、例えば、なぜ熱帯域から極域まで汚染物質が輸送されるのか、という疑問に対する科学的な答えを与えると同時に、それでは、例えば日本における対策の実施が、地球規模の汚染対策にどのような形で、どのような期間を経て貢献できるのか、というような予測計算を試みる際にも利用することができます。これにより、今後の残留性有機汚染物質に対する効果的な対策の実現に貢献していきたいと考えています。

注1 DDT: dichlorodiphenyltrichloroethane : 強力な殺虫力を有する有機塩素系の化合物。難分解性、高蓄積性という性質があるため、かつて農薬として使用されたことによって米・小麦・果実などに残留し、人間の母乳及び牛乳からもDDTが検出されました。DDTは「化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律」の第一種特定化学物質に指定され、原則的に製造・輸入が禁止されています。

注2  トランスオイル: 絶縁性・不燃性・安全性に優れていることから、PCB:polychlorinated biphenyl(ポリ塩化ビフェニル)が、トランス・コンデンサなどの機器の絶縁油等などに幅広く利用されていました。環境中で難分解性であり、生物に蓄積しやすくかつ慢性毒性がある物質であることが明らかになり、1974年に化学物質審査規制法に基づく特定化学物質(現在では第一種特定化学物質)に指定され、製造及び輸入が原則禁止されました。また、PCBの保管・処分等に必要な規制を目的とした「ポリ塩化ビフェニル廃棄物の適正な処理の推進に関する特別措置法」が2006年6月に制定されました。 (<環境省パンフレット「ポリ塩化ビフェニル(PCB)廃棄物の適正な処理に向けて」

注3  ストックホルム条約: 環境中での残留性が高いPCB、DDT、ダイオキシン等のPOPs(Persistent Organic Pollutants、残留性有機汚染物質)については、一部の国々の取組のみでは地球環境汚染の防止には不十分であり、国際的に協調してPOPsの廃絶、削減等を行う必要から、2001年5月、「残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約」が採択されました。 (<環境省HP:ストックホルム条約(POPs条約)の概要

注4  環境動態: 土壌・水質・大気・動物・植物など、環境中における動き、環境中への影響のこと。


インタビュー
「POPsとは何でしょう?」

鈴木規之プロジェクトリーダー(掲載当時)に聞く

 今回のインタビューは、引き続き鈴木規之プロジェクトリーダー(掲載当時)にお願いしたいと思います。鈴木さんよろしくお願い致します。


「北極・南極(シロクマ・ペンギン)」イメージ挿絵

Q1:現在は、環境問題というと地球規模での問題としてとらえる必要がありますね。お話から更にその意識を強くしました。まず最初の質問ですが、お話の中のPOPsとは何でしょうか?詳しくご説明いただけますか。

A1Persistent Organic Pollutantsの略で、残留性有機汚染物質と訳されています。環境に排出されたのち、長い期間(例えば何十年)環境中に安定にとどまる性質(残留性)、温帯や熱帯で排出された物質が、大気や海流などによって北極や南極まで長距離を輸送される性質(長距離移動性)、さらに、水から生物へ高い倍率で濃縮される性質(生物濃縮性)の3点が主な視点で、これら3つの性質を持つ有害物質を残留性有機汚染物質と考えるというものです。このような性質を持つ物質のうち、残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約(俗に言うPOPs条約)に定められた12の物質(アルドリン、クロルデン、ディルドリン、エンドリン、ヘプタクロル、ヘキサクロロベンゼン、マイレックス、トキサフェン、DDT、ダイオキシン、ジベンゾフラン、ヘキサクロロベンゼン、PCB)が一般にPOPsと呼ばれています。


Q2:そうですか、3つの性質を持っている有害物質。そのうちストックホルム条約で定められた12の物質のことをいうのですね。それでは、なぜそのPOPs動態の研究を始められたのですか?

A2:POPsの動態は非常に特徴のある、研究としては面白いものです。化学物質の物理化学的な性質は、揮発性、吸着性、反応性、分解性あるいは残留性、水への溶解性、生物濃縮性などいくつかの性質の組み合わせによって一般には理解することができます。しかし、揮発性のある物質はすべてPOPsの性質を示すかというと全くそうではない。生物濃縮性のある物質はすべてPOPsの性質を示すかというと全くそうではない。残留性の高い物質は必ず長距離を輸送され残留するかというとやはり全くそうではない。化学物質の持つ様々な性質の組み合わせ、その結果として起こる複雑な環境中の動態の結果として初めて、熱帯から極域までの輸送と濃縮というPOPs特有の動態が起こる、そういう現象です。私たちは、このような化学物質の性質を反映する数理モデルを構築して、このような複雑な動態の解明を試みようとしています。


「コンピュータ解析」イメージ挿絵

Q3:なるほど、お話から広い視野で考える必要性を感じます。色々な要素が関わって起こる現象の解明を試みられているわけですね。では、数理モデルによる動態解析において苦労する点は何ですか?

A3:数理モデルにはさまざまなものがありますが、たいていの場合、沢山の入力パラメータと複雑なコンピュータープログラムによる計算をすることになります。もともと環境における物質の動態を再現しようとして作っているシミュレーションなわけですが、我々の生きる地球環境は大変複雑なもので、かつ、POPsのような微量物質は測定結果もパラメータも信頼できる数値が少なく、実際にはどんなにがんばっても非常に不確実なシミュレーションしか出来ません。計算しても結果が合わない、しかし、実は直すべきところはたくさんあっていったいどこが合わない原因なのか簡単にはわからない、という手探りを続けるところが数理モデルによるシミュレーションで一番大変なところのように思います。あわせてプログラム開発としてのきわめて技術的な苦労もあり、我々のモデルでも数万行に及ぶコードの大きなプログラムにおいてミスを許されない神経を使う作業になります。


Q4:・・・大変複雑な奥の深い世界が想像できます。それでは最後に、研究において鈴木さんがやりがいを感じるときはどんなときですか?

A4:プログラム、パラメータ、入力値のすべてがうまくいって、計算した結果がきれいに環境の様子を再現できたときでしょうか。何しろ不確実なデータばかりの複雑な組み合わせの計算になるので、手探りで掘り当てた宝の場所みたいな感覚があります。こうして納得のいく計算結果が得られた時が最もやりがいを感じるときかと思います。


 最後までお付き合いいただきありがとうございました。 鈴木さんの研究に取り組む姿勢にふれることができ、そして、とても興味深いお話を伺うことができました。
 鈴木さんどうもありがとうございました!


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