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Ⅳ 平成21年度終了特別研究:事後評価
1.貧酸素水塊形成機構と生物への影響評価に関する研究

研究目的と実施内容

[研究目的]

東京湾等,富栄養化が進んだ閉鎖性海域では貧酸素水塊が顕在化しているが,現行の水質環境基準では表層のDOは項目として有るが,貧酸素状態になる底層においては特に設定されておらず,今後,底生生物保護に向けた新たな基準策定が望まれている。

貧酸素水塊形成過程や底生生物に悪影響を与えるその発生期間と規模の定量的な情報が充分ではなく,貧酸素水塊縮小のための流入負荷削減に必要な科学的知見を得るに至っていない。貧酸素水塊減少への汚濁負荷削減効果についてシミュレーションで検討されているが,使用モデルの妥当性の検証は十分ではない。また,底泥の酸素消費速度や海域に流入・存在する有機物の分解特性が充分に把握されていない。

以上から本研究では,貧酸素水塊形成要因を定量的に解析し,その発生規模縮小化への方向性を示しつつ,貧酸素の底生生物への影響を評価し,底生生物を維持するためのDO濃度範囲を示すことを目的とする。

[実施内容]

サブテーマ1)プランクトン由来の有機物と陸起源の有機物による貧酸素水塊形成への寄与の定量化

東京湾で卓越する植物プランクトン由来の有機物の分解試験を実施し,その分解特性(易・難分解有機物の分別,言い換えれば酸素消費特性)を評価した。さらに,下水処理水・未処理水の流入の影響を強く受ける運河部等の非植物プランクトン性有機物の分解特性も併せて評価し,これらの由来の異なる懸濁態有機炭素の性状(クロロフィルa,炭素安定同位体比等)との関連性について調べるとともに,貧酸素水塊形成に対する寄与を見積もった。

サブテーマ2)底泥の酸素消費速度の時空間分布特性の把握

閉鎖性水域における貧酸素水塊発生の一大要因である底泥の酸素消費能を把握するために,底層における貧酸素水塊発生が著しい東京湾湾奥内の水深や底質の異なる典型的な箇所で不攪乱柱状採泥を行い,その酸素消費速度を季節毎に測定した。そして,各底泥の粒度組成,強熱減量(有機物含量)や硫化物含量,それに底生動物現存良との関連性について解析を行った。

サブテーマ3)貧酸素化に伴う底生生物への影響評価

本サブテーマでは,東京湾の砂質干潟に生息する二枚貝類(アサリ・シオフキ・ハマグリ・外来種のホンビノスガイ)への貧酸素水塊侵入の影響を検討した。具体的には1)それぞれの二枚貝の貧酸素(<0.5 mg/L)耐性を室内飼育実験系(20℃)で解析した。また,2)東京湾大井干潟(砂が多い地点と,泥・有機物の多い地点の2箇所)において,上述の二枚貝のケージ飼育実験を行い,貝類の生残・成長と環境変動(貧酸素水の侵入など)の関係を検討した。これらの実験を通じ,水塊の貧酸素化が二枚貝群集におよぼす影響を解析した。

サブテーマ4)流動・生態系モデルに基づく貧酸素水塊形成過程の解析

サブテーマ1・2で得られた明らかにされた植物プランクトン由来の有機物分解速度及び底泥の酸素消費速度を考慮した内湾の流動・水質・生態系モデルを開発した。それを用いて2007・2008年の東京湾の再現計算を実施し,本モデルの水質の再現精度・妥当性・有用性を検討した。さらに,陸域からの汚濁負荷物質(有機炭素,窒素・リン,DO)流入量の変化が貧酸素水塊におよぼす影響を数値シミュレーションで検討した。

研究予算

(単位:千円)
  H19 H20 H21
サブテーマ1 4,000 4,115 1,000
サブテーマ2 6,527 8,508 7,992
サブテーマ3 4,070 2,647 5,466
サブテーマ4 5,403 1,173 9,099
合計 20,000 16,443 23,557
総額 60,000 千円

研究成果の概要

[本研究で得られた成果]

サブテーマ1)プランクトン由来の有機物と陸起源の有機物による貧酸素水塊形成への寄与の定量化

分解試験に供試した珪藻赤潮状態の試水や粗培養液における植物プランクトンバイオマス由来懸濁態有機炭素(POC)への寄与は40%前後におよんだが,運河部で採取した試水では0.8〜10%にとどまった。一方,POCから全プランクトン生物バイオマスから算出されたPOC分を差し引いて求めたデトリタスPOCの組成割合については,運河部では67〜94%だったのに対し,珪藻赤潮試水や粗培養液では56〜59%であった。分解試験における溶存性有機炭素(DOC)の減少具合を比較したところ,珪藻赤潮試水や粗培養液では,試験開始後30〜80日で半減したのに対し,植物プランクトンバイオマスの含有量が少ない運河部の試水ではDOCの減少率が30%前後に止まった。分解試験終了時における珪藻赤潮試水・粗培養液のPOCとDOC+POCの減少率は,それぞれ64〜91%,75〜80%であったのに対し,運河部試水の最終減少率はPOC:18〜68%,DOC+POC:29〜50%であった。POCの炭素安定同位対比(δ13C)を比較したところ,珪藻赤潮試水・粗培養液では–23.7〜–16.6‰だったのに対し,運河部では–25.4〜–22.9‰だった。以上のことから,東京湾における有機炭素の分解性の差異は,その起源と性状によって反映していることが示された。

全有機炭素分解率から理論的DO消費量を算定したところ,運河由来試水では2.1〜6.5 mg O2/Lであるのに対し,赤潮海水と植物プランクトン粗培養試液では14〜58.4 mg O2/Lにも達した。これは,分解試験に供した植物プランクトン培養液に含まれる全有機炭素の初期量が運河由来のものより多いことにもよるが,仮に植物プランクトン培養液中の全有機炭素量を運河由来のものと同程度と仮定して算定してみたとしても分解率が高いために,結局はDO消費量が運河由来のものより高くなってしまうことが分かった。

以上のことから,東京湾湾奥部において内部生産により大量に産生される珪藻を主体とした植物プランクトン細胞に由来する有機物(相対的に高いδ13C値を有するPOC)は相対的に易分解性であるのに対し,下水処理水等の陸起源の有機物(相対的に低いδ13C値を有するPOC)は比較的難分解性であり,東京湾等の都市隣接閉鎖性海域における酸素消費の要因として,内部生産により大量に産生される有機物の寄与が大きいことが示された。

  • 東京湾を対象に有機炭素の由来等の特性が異なる試水の分解試験を行ったところ,沖合の植物プランクトンを増殖させた粗培養液の有機炭素の分解が,下水処理水を含む運河試水のそれを上回っていた。
  • 従って,陸起源の有機炭素の分解よりも内部生産による植物プランクトンバイオマス由来の有機炭素の分解に伴うDO消費がより大きいことが示された。
  • 内湾域における有機炭素の分解は,DOCよりPOCの割合の方が高いことが示された。

サブテーマ2)底泥の酸素消費(SOC)速度の時空間分布特性の把握

東京湾湾奥部において,水深,底質の粒度組成,酸化還元状態を含む化学的性状が異なる四箇所の調査地点(三番瀬,三枚洲,東京灯標,千葉灯標)を設定し,季節毎の変化を調べるために年四回(5〜6月,7〜9月,11〜12月,1〜2月)調査を実施した。

底泥酸素消費(SOC)速度測定試験には不攪乱柱状採泥試料を用い,小型DOセンサーにより密閉された多検体の柱状採泥試料直上水中のDOの減少をリアルタイムで同時モニタリングした。併せて採泥試料の粒度分布,全硫化物含量,酸揮発性硫化物(AVS),強熱減量,底生動物現存量の分析を行った。

調査を行った四地点の中で水深が10 mを越える千葉灯標と東京灯標付近の底層は初夏から秋にかけて貧酸素水塊に見舞われ,他の浅い二地点より底層DOは低かった。

さらにその底質はシルト・粘土分が多く占め強熱減量が概ね10%を越えており,また強い還元状態にあるため硫化物含量も高く,特に東京灯標付近では概ね2 mg S/g乾重以上であった。対照的に三番瀬や三枚洲では,底質は主に細砂分であり有機物含量も低く(強熱減量10%以下),酸化状態にあるため硫化物含量も上記二つの灯標付近より低かった。

底泥による直水内のDO消費は初期段階では擬似一次反応的に進み,しばらくすると直線的なDO減少に移行する模様が見られ,この後段のSOC速度を求めたところ,やはり底質の状態が相対的に悪化している東京灯標(平均59 mg O2/m2/hr,最小11〜最大104 mg O2/m2/hr)と千葉灯標(平均67 mg O2/m2/hr,最小25〜最大141 mg O2/m2/hr)はそれぞれ比較的底質状態が良好な三番瀬(平均28 mg O2/m2/hr,最小17〜最大96 mg O2/m2/hr)に比べて倍以上の値を示した。しかし上記二つの灯標付近より浅く,底質環境が良好な三枚洲では四箇所の全調査点中,最も高いSOC速度(平均69 mg O2/m2/hr,最小16〜最大176 mg O2/m2/hr)を示した。

三枚洲の底泥はシルト・粘土分は二つの灯標付近よりも少ないが細砂分は非常に多く,これが三枚洲の柱状採泥試料と直上海水間でのDOや有機物の拡散を高めることになり,結果的に硫化物含量や強熱減量の高い二つの灯標よりも三枚洲の方がSOCが速くなった原因であると思われた。

各地点におけるSOC速度の季節変化に着目したところ,泥温が低く直上水中DOが高い冬季には低く,水塊部の成層が強固となり,底泥直上部のDOが枯渇する夏季に増加するという周期性が認められた。

なお東京灯標,千葉灯標,三枚洲におけるSOC速度の温度依存性はどれも相似していたが,三番瀬のみ大幅に異なった温度依存性を示し,これは他の三地点に比べておしなべて低いながらも三番瀬におけるSOCはその豊富な底生動物の呼吸によるものであると同時に,他の三地点におけるSOCは底生生物の現存量に依存せず,主に底泥中の硫化物や有機物の化学的酸化に依存していることを示すものと思われた。

サブテーマ3)貧酸素による底生生物生息環境への影響評価

(1)室内飼育実験による二枚貝の貧酸素耐性:それぞれの二枚貝を一週間,0.5 mg/L以下の貧酸素状態に曝したが,二枚貝の死亡は認められなかった。実験終了後,二枚貝を酸素の充分入った容器に移したところ,いずれの二枚貝も一時間以内に活発に砂に潜る様子が観察された。

(2)貧酸素水がしばしば侵入する干潟での二枚貝の生残と成長:夏から初秋にかけて,干潟には貧酸素水が侵入した。また,高水温(30℃以上)が2週間以上継続した。この時期に,現場飼育ケージ中のアサリ・シオフキはかなりの部分が死滅した。死亡率は,泥分が多く硫化水素臭のする地点に設置したケージで著しく高く,ほぼ100%であった。一方飼育試験を行った現場での卓越種であるホンビノス(外来種)は,泥地では死亡率が高かったが,アサリ・シオフキよりは低かった。また,砂地では殆ど死滅しなかった。さらに,東京湾では環境の劣化によりほぼ絶滅したといわれるハマグリは,有明海産の個体を実験に使用したところ,生残率は砂地,泥地ともホンビノスガイと同程度であった。また,成長速度もホンビノスと同程度であった。

(3)結論:a)アサリ・シオフキは貧酸素水の侵入時期に,砂地(=硫化水素臭がしない)で50%以上の死亡率を示した。一方,室内飼育実験結果から,20℃でのこれらの種の貧酸素耐性は高かった。したがって,貧酸素水の侵入のみが死亡の原因とは考えにくい。貧酸素と高水温の相互作用などを考慮する必要があると考えられた。
b)泥分・有機物の多い地点での死亡率は砂地に比べ,いずれの二枚貝でも有意に高かった。砂地・泥地への貧酸素水の侵入は同程度と考えられるので,それ以外の要因,特に間隙水中の硫化水素などの化学的な要因が死亡率の差につながったと考えられる。今後干潟域の保全には,硫化水素生成などの,底泥の化学環境変化を二枚貝の生残と結びつけて理解する必要があることが強く示唆された。
c)「望ましい」干潟の条件として,二枚貝などの現存量が高く維持され,充分な浄化機能が発揮されていることは無論であるが,同時に,そこに生息する生物の種構成も重要であると我々は考える。すなわち,東京湾の砂質干潟を例に取るならば,外来種であるホンビノスやほとんど食用にならないシオフキが卓越する干潟より,古来より東京湾に生息し食されてきたアサリ・ハマグリの卓越した干潟の方が望ましい状態とも考える。こうした生物種を考慮した立場から干潟の再生を図る場合,今回の研究結果が示すように,二枚貝の生残・成長は,種ごとに大きく異なっているのであるから,それぞれの二枚貝についての生態的・生物的知見を蓄積することが重要であると考える(ハマグリについては,知見が非常に乏しいのが現状)。

サブテーマ4)流動・生態系モデルに基づく貧酸素水塊形成過程の解析

植物プランクトン由来の有機物分解速度及び底泥の酸素消費速度を考慮した内湾の流動・水質・生態系モデルで2007・2008年の東京湾の水質の再現計算を行った。本モデルの水質(有機炭素,窒素・リン,DO)計算値,特にPOC・DOC・DOについては従来モデルの計算値より観測値再現精度が大幅に向上した。ただし,夏季の硝酸態窒素については観測値よりも過大に算定される傾向にあり,これに関してのモデルの改良は今後の課題である。

陸域負荷量の変化が貧酸素水塊の形成におよぼす影響を数値シミュレーションで検討した。負荷削減シナリオとしてa) 下水処理水(河川水質は低水流量分)の水質(COD,全窒素[TN],全リン[TP])を20%改善,b) 水質はそのままで下水処理水量を20%削減(COD,TN,TP負荷量はaと同じ)の2つを設定した。貧酸素水塊の形成規模はシナリオaよりもbの方がわずかながら小さかったが,どちらのシナリオも貧酸素水塊の抑制に目立った効果はなかった。本モデルでは貧酸素水塊の発生は底泥の酸素消費速度に支配されており,底質の改善が貧酸素水塊の抑制には必要であると考えられた。

[研究目的・目標の達成度(自己評価)]

水質汚濁防止に関わる環境行政の根幹をなしてきたCODで包括的に表されてきた有機物の分解性(すなわち浮遊系における酸素消費性)について,懸案事項の一つである陸起源のものと内部生産由来の(植物プランクトン等が生産する)ものとを大まかに定量的に比較・評価出来たと考える。また,今後,底生魚介類の保護のために底層のDOが閉鎖性海域における水環境目標や環境基準化に向けて検討されている中,代表的な二枚貝の生残に係わる水質状態と,負荷削減効果反映の要となる入手可能なデータの少ない底質とその酸素消費速度を時空間的に系統的に把握出来,これらの実測値を流動・水質モデルに適用することにより,シミュレーション結果の改善を計れた。