記者発表 2009年6月5日

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気候変化がアジアの水稲生産量に及ぼす影響の予測
-1990年代に比べ、2020年代に高い確率で生産量が減少。一方、2080年代は、
二酸化炭素を多く排出するシナリオにおいて、生産量が大幅減少-

(筑波研究学園都市記者会、環境省記者クラブ同時配付 )

平成21年6月5日(金)
独立行政法人国立環境研究所地球環境研究センター(029-850-2346)
    温暖化リスク評価研究室 室長: 江守 正多
  主任研究員: 高橋 潔
埼玉県環境科学国際センター
   自然環境担当 主任: 増冨 祐司(0480-73-8370)


国立環境研究所の増冨祐司ポスドクフェロー(現在、埼玉県環境科学国際センター主任)らは、多数の気候モデルによる将来気候予測を用いて、気候変化がアジアの水稲生産量に及ぼす影響を平均値および確率を用いて統計的に評価した。その結果、1990年代に比べ、2020年代には高い確率で水稲生産量が減少することが予測された。また、2080年代には、二酸化炭素を最も多く排出するシナリオにおいて、水稲生産量の平均変化率が最も大きく減少すると予測された。この結果は、近未来(2020年代)の影響を軽減するための適応策を早急に検討・実施する必要があること、また長期(2080年代)の影響軽減に向けた二酸化炭素排出量削減による緩和策の検討が必要であることを示唆している。

本研究のポイントは、統計的アプローチによって、気候変化の影響を定量的に評価した点である。世界中には多数の気候モデルが存在するが、それぞれの気候予測には差異があるため、使用する気候モデルによって影響推計結果が異なり、どれを信用すればよいのかわからないということが影響評価においてこれまで大きな問題となっていた。これに対し本研究では、多数の気候モデルを使用し、統計的アプローチを用いることにより、この気候モデルの差異を考慮した形で影響の定量的評価を試みた。アジアの水稲生産量を対象に、このような統計的アプローチを用いて気候変化の影響を評価した研究は本研究が世界で初めてである。将来予測には本質的に不確実性が存在することを考えると、このような統計的アプローチを含め、気候モデルの不確実性を考慮した気候変化の影響評価研究は、今後ますます重要になってくると考えられる。

なお、本研究は環境省地球環境総合推進費「温暖化の危険な水準及び温室効果ガス安定化レベル検討のための温暖化影響の総合的評価に関する研究」及び「地球温暖化に係る政策支援と普及啓発のための気候変動シナリオに関する総合的研究」、文部科学省科学技術振興調整費戦略的研究拠点育成プロジェクト「サステイナビリティ学連携研究機構」により実施された。この内容をまとめた論文(参考文献1)は、国際専門誌「Agriculture, Ecosystems, and Environment」の6月号に発表された。

1.背景

(人為起源の温室効果ガス排出による気候変化は世界の農業生産量に甚大な影響を及ぼすと予測されている。これらの予測には通常、気候モデルの気候予測が用いられるが、気候予測には、気候の物理プロセスに係る不確実性(プロセス/パラメーター不確実性:注1)が含まれるために、気候モデルの選択に依存して、影響予測結果に差が生じるという問題があった。そこで本研究では、IPCC第4次評価報告書に向けて世界各国の大学や研究機関が実施した最新の気候予測を網羅的に使用し、統計的アプローチによって、気候変化が及ぼす影響を定量的に明らかにしようと試みた。本研究の対象地域は世界人口の半分以上が住むアジアであり、対象作物は、アジアの主要作物である水稲である。

2.計算方法の概要

水稲生産量の計算には、FAO/IIASA(注2)が開発した潜在生産量評価手法(GAEZ手法;(注3))を基礎に、筆者らが改良を加えて開発したM-GAEZモデルを用いた。M-GAEZモデルは気候や土壌、社会経済状況に関する情報等を入力することにより、緯度経度2.5’×2.5’の格子(注4)ごとに水稲生産量を計算することができる。気候変化による生産量変化は、M-GAEZモデルに現状の気候及び気候モデルによる気候予測を入力し、その変化を計算することにより求めた。本研究で使用した気候モデルの気候予測の数はA1Bシナリオが18、A2シナリオが14、B1シナリオが17である。これらの気候予測をそれぞれM-GAEZモデルに入力し、生産量変化率を求め、次にこれらを排出シナリオ別に平均することで生産量変化率に関する予測の平均値(生産量平均変化率)および予測のばらつき(不確実性)を表す標準偏差を求めた。また、それぞれの気候予測が等確率で将来起こりうると仮定し、生産量減少を予測する気候予測の数を全体の気候予測数で割ることにより、生産量が減少する確率(生産量減少確率)を求めた。評価は年代別(2020年代、2050年代、2080年代)、温室効果ガス排出シナリオ別(SRES A1B、A2、B1; (注5))に行った。また本研究では、二酸化炭素の施肥効果(注6)も考慮した。

3.計算結果

図に年代別、排出シナリオ別の生産量平均変化率を線グラフで示し、表に生産量平均変化率、標準偏差、生産量減少確率の値を示す。1990年代に比べ2020年代には、気候変化、特に気温上昇の影響を受け、どの排出シナリオでも生産量平均変化率はマイナスであり(A1B:-3.3%;A2:-4.5%;B1:-2.5%)、生産量減少確率もすべての排出シナリオにおいて非常に高い(A1B:83.3%;A2:100.0%;B1:76.5%)。2050年代には、生産量平均変化率はどの排出シナリオでも小さいが、気候予測の不確実性があるために、生産量減少確率はゼロではない(A1B:44.4%;A2:57.1%;B1:52.9%)。2050年代において生産量平均変化率が小さくなる理由は、大気中二酸化炭素濃度が増加し、施肥効果による生産量増加が、気候変化による生産量減少を相殺するためである。一方、2080年代には、生産量平均変化率、生産量減少確率はともに排出シナリオに大きく依存する。二酸化炭素排出量が最も大きいA2シナリオでは、二酸化炭素の施肥効果が他の排出シナリオに比べて大きいにもかかわらず、生産量平均変化率は-9.9%であり、他のシナリオに比べ減少率が大きい。また、生産量減少確率も85.7%で最大である。これは気候変化に伴って生産量減少が深刻化するのに対し、二酸化炭素の施肥効果による生産量の増加は大気中二酸化炭素濃度が高まるにつれ、徐々に弱まるためである。逆に、二酸化炭素排出量が最も小さいB1シナリオでは、気候変化による生産量減少と施肥効果による生産量増加が打ち消しあい、生産量平均変化率は-0.5%であり、ほとんど変化がなく、生産量減少確率も47.1%と最も小さい。

図 年代別(2020年;2050年代;2080年代)、温室効果ガス排出シナリオ別(SRES A1B;A2;B1:注5)のアジアの水稲の生産量平均変化率。

図 年代別(2020年;2050年代;2080年代)、温室効果ガス排出シナリオ別(SRES A1B;A2;B1:注5)のアジアの水稲の生産量平均変化率。基準年は1990年代。生産量平均変化率は、複数の気候モデルの将来気候予測を用いて計算した生産量変化率の平均値。

1990年代に比べ、2020年代にはどの排出シナリオでも生産量平均変化率がマイナスであり、高い確率で生産量が減少することがわかる。また2080年代には、二酸化炭素を最も多く排出するA2シナリオにおいて、生産量減少が最も大きい。一方で、二酸化炭素の排出量が最も少ないB1シナリオにおいて、生産量減少は最小であることがわかる。

表 生産量平均変化率、標準偏差、生産量減少確率(単位はすべて[%])

  1990年代−2020年代 1990年代−2050年代 1990年代−2080年代
  A1B A2 B1 A1B A2 B1 A1B A2 B1
生産量平均変化率
標準偏差
生産量減少確率
-3.3
3.2
83.3
-4.5
3.2
100.0
-2.5
3.1
76.5
-0.3
3.9
44.4
-0.9
3.7
57.1
-0.2
3.3
52.9
-5.0
7.2
72.2
-9.9
8.4
85.7
-0.5
4.8
47.1

4.計算結果の政策的含意

近未来(2020年代)においては、排出シナリオに関係なく、生産量平均変化率はマイナスであり、生産量減少確率も非常に高いと予測された。この結果は排出シナリオに関わらず適応策の検討・実施を早急に行なう必要があることを示唆している。一方で2080年代には、二酸化炭素排出量が最も大きいA2シナリオにおいて、影響が最大となり、逆に、二酸化炭素排出量が最も小さいB1シナリオにおいて、影響が最小 になると予測された。これは、長期(2080年代)の影響を軽減するために、二酸化炭素排出量を削減する緩和策の検討が必要であることを示唆している。

5.今後の課題

本研究では、気候モデルが持つ不確実性にのみ着目した。しかしながら、作物生産量を推計する作物モデルにも不確実性は存在する。したがって今後は、複数の作物モデルやモデルパラメーターを利用するなどして、作物モデルの不確実性も考慮した研究が必須であると考えられる。またこれと同時に、気候モデル、作物モデルのそれぞれにおいて、予測あるいは推計の不確実性を低減する理論的・実験的研究は、影響評価の信頼性を向上させ、より適切な政策の選択を支援するために、重要と考えられる。

(注1) 気候変化に関係する物理プロセスの中で、現在の科学において理解が十分でないために生じる不確実性。

(注2) FAO: Food and Agriculture Organization(国連食糧農業機関)
IIASA: International Institute for Applied Systems Analysis(国際応用システム分析研究所)

(注3) GAEZ手法:Global Agro-ecological Zone手法(全球農業生態学的ゾーン手法)。

(注4) 赤道付近でおよそ4.6km格子に相当する。

(注5) IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change)が将来の温室効果ガス排出量に関して取りまとめた特別報告書(Special Report on Emission Scenarios:SRES)において想定されている温室効果ガス排出シナリオ。本研究で使用した排出シナリオはA1B(高成長型社会(化石燃料・非化石燃料バランス型))、A2(多元化社会)、B1(持続的発展型社会)。

(注6)光合成の原料となる大気中の二酸化炭素の濃度が増加すると光合成は促進され、生産量は増加する。これは二酸化炭素が肥料のような効果を示すので、二酸化炭素の施肥効果と呼ばれる。

参考文献
1. Masutomi, Y., Takahashi, K., Harasawa, H., Matsuoka, Y., 2009. Impact Assessment of Climate Change on Rice Production in Asia in Comprehensive Consideration of Process/parameter Uncertainty in General Circulation Models. Agriculture, Ecosystems, and Environment, 131, 281-291.