4大公害病
戦後、重化学工業化(じゅうかがくこうぎょうか)が急激(きゅうげき)に進んだ高度成長期に各地で産業(さんぎょう)公害が多発し、国民共通の関心を呼(よ)ぶ大きな社会問題になりました。
  • 水俣病(みなまたびょう)・・・熊本県水俣市に1953年〜1960年にかけて発生。水俣湾の魚や貝を食べていた漁民や周辺の人が手足や口のしびれる症状(しょうじょう)が出て、死亡する人もいました。 原因(げんいん)は、付近の工場廃液(はいえき)にふくまれるメチル水銀(すいぎん)(有機水銀の一種)が魚や貝に蓄積(ちくせき)し、それを長い間食べていた人が発病(はつびょう)したことがわかりました。 裁判(さいばん)の結果(けっか)、廃液を流していた会社から賠償金(ばしょうきん)の支払いと、国に対しても被害者認定(にんてい)の遅れを認めることになりました。 最終的に認定された患者数(かんじゃすう)は、2,200人にのぼりました。


  • 新潟水俣病・・・新潟県阿賀野川流域(あがのがわりゅういき)で1964年頃から起きた、熊本と同じ水銀による公害病で、第2水俣病と呼ばれました。 裁判結果は、会社に賠償命令が出ました。最終的に認定された患者数は、700人になりました。


  • イタイイタイ病・・・富山県神通川(じんつうがわ)流域で第二次世界大戦の頃から発生した公害病。 子供を出産した女性に多く発症(はっしょう)し、手足の骨がもろくなり、激(はげ)しい痛(いた)みが伴(ともな)うので、イタイイタイ病と名が付けられました。 鉱山廃液にふくまれるカドミウムが原因であることがわかりました。 裁判結果は、会社に賠償命令及び毎年、排水(はいすい)と川の水質検査を義務(ぎむ)づけられました。 最終的に認定された患者数は、190人になりました。


  • 四日市ぜんそく・・・三重県四日市市を中心とした地域(ちいき)で1960年頃から発生。 多くの人が気管支炎(きかんしえん)やぜんそく、肝障害(かんしょうがい)を起こし、死者も出ました。 石油化学工場から出る煤煙(ばいえん)中にふくまれる亜硫酸ガスによる空気の汚(よご)れが原因でした。 最終的に認定された患者数は、1,700人になりました。同じような公害は、川崎市や尼崎市などいくつかの工業地帯でも発生しています。