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Ⅴ 平成22年度新規特別研究:事前説明
1.都市沿岸海域の底質環境劣化の機構とその底生生物影響評価に関する研究

研究目的

<目的>大都市に隣接した沿岸海域では,窒素・リン等(N, P)の負荷の増大に伴い,植物プランクトンによる有機物生産(一次生産)が増大する。一次生産のかなりの部分は直接海底に供給され,バクテリアを含む底生生物の餌となる。餌の有機物は,底生生物の体内において,底層水中の酸素を利用した呼吸により酸化され,彼らが生存・再生産するためのエネルギーとなる。そして,呼吸による酸素消費が海域表層からの供給を上回る場合,底層水の貧酸素化が進行する。貧酸素化の進行は,多毛類(ゴカイ)・二枚貝などの大型底生生物の不活性化(時には死亡)をもたらし,彼らを餌として利用している魚・甲殻類等の高次捕食者へのエネルギー流通経路を断絶することになる。また,底層の貧酸素化(貧酸素水塊形成)は底泥での硫酸還元細菌(=海水中に高濃度で存在する硫酸イオンを酸化剤として利用し,有機物を分解・資化する。反応成生物として硫化水素が発生する)の活性化をもたらし,底層水中に猛毒の硫化水素イオンが蓄積し,大型底生生物の斃死を誘発する。さらに,海水の流動により硫化水素イオンが海域の縁辺部に供給されると,通常は貧酸素の影響を受けにくい干潟などでも,二枚貝などの斃死を引き起こす。したがって,底生生物が海中の有機物を除去し,高次の捕食者(魚・甲殻類)へのエネルギー供給につながるような「望ましい」沿岸環境の構築には,1)硫化水素イオンの形成過程とその底生生物におよぼす影響などに関し,定量的な知見を集積することが肝要であり,さらに,2)こうした知見に基づいた物質循環モデルにより,生態系の「どの部分を」「どこまで」改善すればよいかを評価することが重要であると考える。しかしながら,硫化水素の形成や生物への影響に関する実証的な知見や,硫化水素の影響をあらわに含んだ沿岸生態モデルはいまだ構築されていない。以上のことから,本研究を特別研究の課題として提案する次第である。

<行政的背景>環境省では,東京湾,伊勢・三河湾,大阪湾等の富栄養化海域において,水質汚濁防止法に基づく第1〜6次総量削減計画を実施し,陸域由来のN,P等の流入負荷削減を図ってきた。こうした努力にも関らず,これらの海域においては,いまだに貧酸素水塊が夏ごとに形成され,底生生物を含む生態系や沿岸漁業に大きな影響をおよぼしている。また,水質環境基準の「窒素・リン濃度に基づいた海域の類型指定」においては,「最もN,P濃度の高い海域においても,年間を通して底生生物が生息できること」が達成目標として掲げられている。しかしながら,N,P濃度が環境基準をクリアしていても,夏場に(貧酸素水塊の形成に伴い)底生生物が死滅する地点が多く見られるのが現状であり,沿岸生態系保全に向けた実効性のある対策(例:底層DOの目標値設定等)が望まれている。

<既往研究との関連>提案者らは,平成19年度から特別研究「貧酸素水塊の形成機構と生物への影響評価に関する研究」を実施し,1)海域における貧酸素水塊発生には,底泥界面での有機物・硫化物の酸素による酸化が大きく寄与していること,2)底層水の貧(無)酸素化が底生生物の直接の死因ではなく,貧酸素化に伴い底泥中に発生・蓄積する硫化物が生物に作用している可能性があることを示した。これらの結果を発展させ,本提案では底質−水柱間での硫化物をめぐる物質循環過程と,硫化物が底生生物に及ぼす悪影響の評価・解析をおこなう。

研究予算

(単位:千円)
  H22 H23 H24
底質の状態変化に関わる物質循環の解析 6,000 6,000 4,000
硫化物による底生生物の生存状態におよぼす影響評価 12,000 10,000 9,500
湾内流動・水質・一次生産・底生生物個体群動態モデルの構築 2,000 4,000 6,500
合計 20,000 20,000 20,000
総額 60,000 千円

研究内容

毎夏,大規模な貧酸素水塊が形成され,底質環境劣化の著しい東京湾奥部を対象に,以下の3つのサブテーマについて研究を実施する。

サブテーマ1 底泥における硫化物イオン形成過程と酸素消費に及ぼす影響

a) 水柱内の有機物粒子(植物プランクトン)が沈降により底泥に供給された際の,底泥内での硫化物形成・蓄積過程を,室内模擬実験により,再現・評価する。具体的には,植物プランクトン数種を培養し,底質に一定量添加する(泥の上には海水が重層した状態で)。底質中の硫化物を分別定量(鉄結合体と遊離態;4.研究の特色参照)し,硫化物発生過程の温度依存性や植物プランクトン量との関係を定量的に把握する。

b) 柱状採泥試料を用いた不攪乱状態での底質酸素消費速度測定の測定と,採泥試料を海水中に懸濁させた系での底質酸素消費速度の測定を行う。さらに,底質中の硫化物 (鉄結合体と遊離態)や有機物含量の時間変化を追跡することで,底泥酸素消費速度に硫化物イオンがどの程度寄与しているのかの評価を行う。

サブテーマ2 底生生物の生存におよぼす硫化物の影響評価

東京湾の湾奥部の複数の特徴的な定点において,大型底生生物である二枚貝の種別毎の生残と成長,多毛類の群集構造や現存量の変化を追跡する。また,底質中の硫化物の発生・蓄積状況を,毒性の低い鉄結合体と毒性の高い遊離態とに分別して測定し,溶存酸素の低下・欠乏状況と併せて底生生物に対する底質環境劣化による影響を評価する。なかでも,夏季に極度の貧酸素状態にあり硫化物の蓄積量も多いと考えられる京浜運河中央部と,近接しながらも環境ストレスを受けにくい人工干潟との間で大型底生動物群集構造を比較することにより,貧酸素水や遊離硫化水素が大型底生動物におよぼす影響を評価する。さらに,その悪影響軽減・回避地としての干潟の機能評価を行う。

サブテーマ3 湾内流動・水質・一次生産・底生生物個体群動態モデルの構築

サブテーマ1で得られた知見を基礎に,底質‐水柱間の溶存酸素・硫化物の循環過程を数理モデル化する。また,サブテーマ2の知見に基づき,二枚貝等の底生生物を対象としてa) 貧酸素水塊・硫化物による死滅とb) それに伴う底生生物を通じての有機物フラックスの減少をあらわに含んだモデルを構築する。これらのモデルと既存の準3次元湾内流動・水質・一次生産モデルを結合して数値シミュレーションを実施することで,総量規制や底質改善による貧酸素水塊・硫化物の発生抑制の効果を検証する。さらに,底生生物の生息を保全・改善するための溶存酸素量を指標とした水質環境基準の立案に向けた検討を行う。