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アーカイブ集(Meiのひろば:健康のひろば)


03. 母乳について

米元 純三


 母乳は赤ちゃんにとって完全栄養であり、免疫学的にも重要な役割を果たしていることなどから、母乳哺育が推奨されています。しかしながら近代化学工業の発展とともに、環境中に脂溶性、難分解性の化学物質が増大し、それらの化学物質により母乳が汚染されていることが報告されています。1990年代には、疫学調査による母乳中のPCB(注1)ダイオキシン類(注2)濃度が報告され、ごみ焼却場からのダイオキシン排出が社会問題化していたこともあり、母乳の安全性について大きな関心を呼んだのは記憶に新しいところです。ダイオキシン類は、実験動物における致死毒性が非常に高いこと、また、内分泌かく乱作用を有し胎児期、乳児期の感受性の違いによる影響や、乳児は母乳を介してダイオキシン類を体重あたり成人よりもはるかに多い量を摂取することから子供の健康への影響が懸念されました。


体内負荷量(注3)

 体内に取り込まれたダイオキシン類の多くは体外に排出されず、脂肪組織に蓄積します。日々の食事から、ダイオキシン類を毎日摂取しているので、加齢とともにダイオキシン類の体内負荷量は増えていきます。しかし、脂溶性のダイオキシン類は母乳に多量に含まれる脂質に溶けて排出されます。女性におけるダイオキシン類の主な排出経路の一つが母乳です。母乳には母親の脂肪組織にも存在する脂溶性の様々な物質を含むことから、母乳中のダイオキシン類のレベルは、血漿、血清脂質、脂肪組織のレベルを反映すると考えられます。厳密に言えば母乳と血液とのダイオキシン類の濃度比は異性体によって異なりますが、毒性等価量(TEQ)(注2)としてはほぼ同じと見なせることから、母乳中のダイオキシン類のTEQレベルは体内負荷量を反映していると考えられます。


「母乳中ダイオキシン類濃度の経年変化を示した折線グラフ」
図1:母乳中ダイオキシン類濃度の経年変化
(関係省庁共通パンフレット:ダイオキシン類2005より)

 ダイオキシン類の体内負荷量は、PCBの製造、使用が禁止される前の1960年代、1970年代をピークとしてその後、減少傾向にあると報告されています。実際、母乳中濃度も減少傾向を示しています。我が国では、保存されていた母乳について1973年からの母乳中濃度の経年変化が報告されています(図1(*1)。1973年に比べて2004年ではダイオキシン類濃度は1/4以下になっており、とくにコプラナーPCBの減少が顕著です。他の先進国でも母乳濃度の推移が調べられ、同様の減少が観察されています。例えば西ドイツではPCDD/PCDF(注2)濃度は2003年では1984年の1/3以下になっています。
 最近の日本人の母乳中ダイオキシン類のレベルは、1997-2002年の日本各地のサンプルで幾何平均値22.7pgTEQ/g fat、1999-2000年の東京で平均値25.6 pgTEQ/g fat、筆者らが2003-2004年に宇都宮で行った調査では、幾何平均値15.1pgTEQ/g fatでした。2001-2004年の福岡では平均値26.0 pgTEQ/g fatと報告されています。福岡ではこの間、減少傾向は見られず、おそらく食事を介して摂取するダイオキシン類の量は、最近、それほど減少していないと考えられています。
 赤ちゃんが1日体重1kgあたり120mlの母乳を飲み、母乳中の脂質の割合を3.5%、母乳中のダイオキシン類の濃度を20pgTEQ/g fatとすると、1日84 pgTEQ/kgの摂取となり、成人の摂取量の約40倍になります。それでは乳児における体内負荷量はどのくらいでしょうか?


乳児における体内負荷量の推定

 体内負荷量の推定にあたって半減期(注4)は重要なパラメーターです。従来、TCDD(2,3,7,8-四塩化ジベンゾパラジオキシン)の排泄は体脂肪率の関数k(fat)としてモデル化されてきました。この経験的な関数は、ベトナム帰還兵のデータを曲線近似して、体脂肪率を25%として求められ、約7年という値が得られています。一生の間の体脂肪率の変化、すなわち10代の15%から一部の老婦人でみられる40%への増加に伴い半減期は6年から20年以上に増加します。一般的に加齢とともにダイオキシン類は排出され難くなります。体脂肪率約15%の出生時の赤ちゃんのTCDDの半減期はこのモデルでは6年になります。しかしながら、乳幼児にはたして成人のTCDDの排泄モデルがあてはまるかという疑問が生じます。
 Kreuzerらは、糞中の脂質の量が変化するという生理学的データを用いて、乳児におけるTCDDの半減期は糞中への排泄に依存することを見いだし、代謝的排泄と非代謝的排泄(糞からの排泄)を考慮して乳幼児におけるTCDDの半減期をモデル化する手法を開発しました。(*2)
 Lorber & Phillipsは半減期の推定において、乳幼児期はKreuzerらのモデルに近い値であるが、成人になってからはk(fat)モデルがより有効であると考え、これらを混合したモデルを提唱しています。このモデルによれば、半減期は出生時の0.4年からゆっくり増加し、およそ25才でk(fat)モデルでの予測となります。
 Lorber & Phillipsはこのモデルを用いて、5つのシナリオ、すなわち、人工乳哺育、母乳哺育6週間、6ヶ月、1年、2年についてダイオキシン類の曝露量と体内負荷量を推定しています。その結果、6ヶ月以上の母乳哺育では体内負荷量は第9週でピークとなり、そのときの体内負荷量は44ppt TEQとなります。いずれのシナリオでも、体内負荷量は、10才前後でほぼ同じになります。総曝露量は、1年後で人工乳哺育に比べて約6倍、10年間では約2倍となり、生涯曝露量では、人工乳哺育と比べて3~18%増と見積もられます。(*3)
 従ってこの研究結果によると、一生涯の曝露という観点からは母乳哺育の体内負荷量への寄与は大きくないと考えられます。生涯の体内負荷量をもとにした1998年のWHOおよび1999年の我が国のダイオキシン類の耐容一日摂取量のリスクの考え方からすると、母乳哺育のリスクはそれほど大きくはありません。一般人口集団を対象とした疫学調査でも、母乳濃度との関連は一時的な甲状腺ホルモンへの影響などに限られていて、知育の発達や行動への影響は、むしろ胎児期の曝露を表す母親の血中濃度との関連が多く報告されています。母乳哺育の様々なメリットおよび現状のダイオキシン類の濃度レベルを考慮すると、母乳哺育は推奨されるべきと考えられます。


新たな問題

これまでダイオキシン類を例に述べてきましたが、はじめにも述べたとおり、母乳は脂溶性の難分解性有機化合物で汚染されています。難燃剤として使用されている臭素化ジフェニルエーテルの濃度は1990年代から急激に増加しました。また、最近ではフッ素系のPFOS、PFOAが母乳から検出されています。これらの化学物質には神経系への影響、内分泌かく乱作用が認められており、このような化学物質の環境汚染を防ぐべきです。胎児期・乳児期はダイオキシン類を始めとする内分泌かく乱化学物質に対する感受性が高いと言われており、また最近では成人病や肥満の原因は胎児期にあるというDOHAD (Development Origin of Health and Disease)(*4)という概念が疫学的にも認められつつあり、母体の体内負荷量、母乳中の濃度を減らす努力を続けるとともに、胎児期・乳児期の曝露の影響についてさらなる研究が必要です。

注1  PCB: (polychlorinated biphenyl)ポリ塩化ビフェニル。ポリ塩化ビフェニル化合物の総称。その分子に保有する塩素の数やその位置の違いにより、209種類の異性体が存在する。異性体の中でも特に、コプラナーPCBと呼ばれる平面構造をとるものは、毒性が極めて高く、ダイオキシン類にも分類されています。

注2  ダイオキシン類、TEQ : 塩化ダイオキシン(PCDD)、塩化ジベンゾフラン(PCDF)、PCBのうち平面構造をとるコプラナーPCB(Co-PCB)を総称してダイオキシン類と呼んでいます。ダイオキシン類は、塩素の入る位置と数によって多くの異性体が存在します。それらの存在量や毒性を個別に表すのは大変煩雑であるので、アリルハイドロカーボン(Ah)レセプターという受容体を介して、その作用を及ぼすという共通の作用メカニズムをもつ化合物については、一番毒性の強い 2,3,7,8-四塩化ジベンゾパラジオキシン(TCDD)を1として、それに対する相対的な毒性の強さ、毒性等価係数(TEF)が定められています。環境中のダイオキシン類は単独の物質として存在していることはまれで、多くの場合、混合物として存在しています。混合物としてのダイオキシン類の量は、個々の化合物のTEFに存在量をかけたものの和、毒性等価量(TEQ)として表されます。

注3  体内負荷量 : 外部より負荷され、実際に体内に存在する化学物質の量。化学物質の健康への影響は、曝露濃度あるいは1日当たりの摂取量で評価されることが一般的ですが、体内に存在する量(体内負荷量)をもとに評価したほうがよい場合があります。体内負荷量は、物質の吸収、代謝、排泄(半減期)などの特性によってモデル化することができ、ダイオキシンのように難分解性で排泄速度の 遅い物質の長期毒性は、時間とともに体内に存在する量が増加する(蓄積する)ことから、体内負荷量で評価することが適切であるとされています。

注4  半減期 : 個体数・物質量・分子数・放射線などが時間の経過とともに半減するのに要する時間のこと。薬学では、薬成分などの血中濃度が半分に低下するまでに必要な時間のこと。


【参考資料】

*1  ダイオキシン類 2005(関係省庁共通パンフレット)(http://www.env.go.jp/chemi/dioxin/pamph/2005.pdf

*2  Kreuzer, P. E., Csanady, G. A., Baur, C., Kessler, W., Papke, O., Greim, H. ,Filser, J. G. (1997) 2,3,7,8-Tetrachlorodibenzo-p-dioxin (TCDD) and congeners in infants. A toxicokinetic model of human lifetime body burden by TCDD with special emphasis on its uptake by nutrition. Arch Toxicol 71, 383-400

*3  Lorber, M. ,Phillips, L. (2002) Infant exposure to dioxin-like compounds in breast milk. Environ Health Perspect 110, A325-332

*4  University of Southampton : DOHAD (Development Origin of Health and Disease) (http://www.som.soton.ac.uk/research/dohad/Members/djp2/)


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