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アーカイブ集(Meiのひろば:フロンティア)


10. 東京湾の魚介類の繁殖を阻害するものは何か?(下)

堀口 敏宏


「シャコ資源量の減少に伴う再生産特性の変化」の図
図3 :シャコ資源量の減少に伴う再生産
(繁殖)特性の変化[クリック拡大]
「稚シャコ及び貧酸素水塊の空間分布」の図
図4 :稚シャコ及び貧酸素水塊の
空間分布(2004年~2008年)
[クリック拡大]

繁殖阻害の“容疑者”は“貧酸素水塊”

 最近30年間の東京湾における底棲魚介類の動向に関する “3つ”の特徴((1)1980年代末から1990年代初めにかけて急激に減少、(2)その後、現在に至るまで低水準のまま、(3)サメ・エイ類やスズキといった大型魚類が2000年代以降に増加)をもたらした原因をいかに調べるか?それほど容易なことではありませんが、私たちは、環境が変化すれば生物の生活史特性(成長、繁殖、食性などの特性)も変化すると考え、代表的な魚介類について種別に生活史特性を調べ、過去(1970年代あるいは1980年代)の生活史特性と比較しようとしています。すなわち、現在の生活史特性が過去と比べてどのように変化したのかを知ることにより、それをもたらした原因に迫ることができないかと考えています。
 一例を挙げましょう。東京湾の底棲魚介類の代表種の一種であるシャコについて生活史特性を2004年から2008年まで調べ、過去のそれと比較したところ、いくつかの重要な事実が明らかとなりました(図3(*6)。それらは、(1)大型のシャコに由来する春生まれの稚シャコ(海底で生活を始めるシャコの子供)の着底が見られない、(2)小型のシャコに由来する夏生まれの稚シャコによって東京湾の現在のシャコ個体群が維持されている、(3)夏生まれの稚シャコの多寡は年によって異なる、(4)親シャコによる産卵量、孵化後の浮遊幼生(卵から孵化し、プランクトン生活を送るシャコの幼児)量及び着底した稚シャコの量を比べると、産卵量と幼生量には正相関があるが、幼生量と稚シャコ量との間には何ら相関がない、ということです。これらから、浮遊幼生が着底するまでの間に生残を左右する要因が存在し、それによって稚シャコの着底量(生残量)が大きく変動すると推察されます。私たちは、この重要な要因が貧酸素水塊であると考えました。また、貧酸素水塊と稚シャコの着底量に関する毎月の調査データ(図4(*6)から、(1)貧酸素水塊の発達が顕著な6月から9月までは稚シャコはほとんど見られない、(2)10月以降12月にかけて、貧酸素水塊の縁または発生していない定点で稚シャコが見られる、ということが見出され、貧酸素水塊が幼生の着底を規定(阻害)している可能性が示されました。そこで、貧酸素水塊の発生状況に関する実測データに基づいて、孵化したシャコの浮遊幼生が約1ヶ月間の浮遊期間を経て着底するまでの間に何回、貧酸素水塊と遭遇するかをコンピュータ・シミュレーションにより計算しました。その結果、DOが1.7 ml/L未満の貧酸素水塊に遭遇するのが(孵化の時期によって多少異なるものの)延べ10日~19日、1.1 ml/L未満という極度の貧酸素水塊に遭遇するのが5日~11日という計算結果が得られました。どのくらいDOが低下するとシャコ幼生が死んでしまうのかに関する知見(研究結果)はほとんどないため、カニの一種・ガザミの幼生及び稚ガニの貧酸素耐性に関する実験結果(例えば、ゾエア幼生ではDOが1.13 ml/L及び1.95 ml/Lの場合、72時間のうちに、それぞれ、100%及び87%が死んでしまう(*7))を参考に類推すると、貧酸素水塊がシャコの浮遊期から着底期にかけての生残に大きく影響することが強く示唆されました。すなわち、近年の東京湾におけるシャコの繁殖(増加)を阻害している“容疑者”は“貧酸素水塊”である可能性がきわめて高いと言えます。


「底棲魚介類の個体数空間分布の季節変化」の図
図5 :底棲魚介類の個体数空間分布
の季節変化[クリック拡大]

 一方、先述した東京湾20定点調査の結果から、貧酸素水塊が湾奥から湾中央部にかけて発達する夏季には、湾北部の定点では底棲魚介類がほとんど採集されない、いわば、無生物に近い状態となることが明らかとなっています(図5(*8)。すなわち、貧酸素水塊が大きく発達する夏季を中心とした時期には、底棲魚介類の生息域が湾南部に制限されます。これは、比較的遊泳力のある種・個体が湾北部から忌避(移動)した結果であるとも考えられますが、遊泳力の小さな種では多くの個体が死んでしまったと推察されます。実際に、底棲魚介類が貧酸素水塊からどの程度忌避して生き延びることができるのかは今後の研究により明らかにされねばなりませんが、私たちは現時点では、彼らはほとんど忌避できずに死んでしまうのではないかと想像しています。貧酸素水塊から忌避するためには、(1)貧酸素水塊が近づいてきたことを察知し、(2)どの方向に逃げれば酸素があるか(酸欠の危険を回避できるか)を認知し、(3)酸欠で死ぬ前に、あるいは動けなくなる前に酸素がある“安全地帯”に逃げる必要があります。この3つの条件を満たす(能力を併せ持つ)魚介類がどれほどいるでしょうか。貧酸素水塊から逃げ遅れた個体の末路は、酸欠による死ですから、悲惨であると想像します。実験での観察によると、貧酸素に遭遇した個体は、ほとんど動けなくなります。体をのけぞらせたり、弱々しく水槽の上下移動を繰り返し、やがて丸くなったり、痙攣したり、狂奔遊泳して、ついに息絶えます。そうした“地獄絵”のような光景が、毎年の貧酸素水塊の発生とともに、直接目に見えない水面下で繰り返されていることを、私たちは知る必要があると思います。


今後、何が必要か?

 貧酸素水塊が底棲魚介類に及ぼす負の影響を軽減し、取り除くためには、“貧酸素水塊の封じ込め対策”を取ることが、喫緊の課題として重要です。2010年3月、環境省は「閉鎖性海域中長期ビジョン」を策定し、新たな水質目標として底層DO及び透明度の目標値設定の必要性が指摘されました。中央環境審議会での審議を通して、今後3年以内に底層DO及び透明度の環境基準が設定される見通しです。魚介類の生息と繁殖を阻害しない適切な基準値の設定と施行、そしてその達成がきわめて重要です。
 ところで、東京湾の底棲魚介類の繁殖を阻害するものが貧酸素水塊のみであるかどうか、まだはっきりしていません。貧酸素水塊による影響が大きすぎて他の要因による影響がわかりづらくなっている可能性もあります。この点に留意して、貧酸素水塊以外の“共犯”がいないか、引き続き、慎重に調べる必要があります。
 また、これとは別に、1980年代末に複数の底棲魚介類の激減をもたらした“容疑者”探しと“犯行”の立証も必要です。このことは、今後に残された大きな課題の一つです。
 私たちが目指す究極のゴールは、「魚介類が多様で豊かな東京湾(を含む日本の沿岸生態系)を取り戻すためにどうすればよいか」に対する解を得て、実践し、そのような東京湾(と日本の沿岸生態系)を取り戻すことです。そのためにやるべきことは、研究はもちろんですが、それ以外にも国民の理解を得ることや行政や産業界等への働きかけを行うことなど、たくさんあります。

【参考資料】

*6  Kodama, K., Oyama, M., Lee, J.H., Akaba, Y., Tajima, Y., Shimizu, T., Shiraishi, H., Horiguchi, T.: Interannual variation in quantitative relationships among egg production and densities of larvae and juveniles of the Japanese mantis shrimp Oratosquilla oratoria in Tokyo Bay, Japan. Fish. Sci., 75: 875-886, 2009.

*7  姜柱賛・松田治・山本民次: 広島湾の貧酸素と硫化水素がガザミ幼生の初期発達段階に及ぼす影響. 生物生産学研究 広島大学生物生産学部紀要, 32(2): 61-70, 1993.

*8  Kodama, K., Oyama, M., Kume, G., Serizawa, S., Shiraishi, H., Shibata, Y., Shimizu, M., Horiguchi, T.: Impaired megabenthic community structure caused by summer hypoxia in a eutrophic coastal bay. Ecotoxicology, 19: 479-492, 2010.


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