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アーカイブ集(Meiのひろば:フロンティア)


08. 生態系への環境リスクを評価する(下)

田中 嘉成


2.生態系レベルの生態リスク: 生態系機能の低下

「生態系における物質循環」の図
図1 :生態系における物質循環[クリック拡大]

 個体群の絶滅が生態系にもたらす影響は、(1)希少種の種絶滅をもたらし、種多様性の恒久的な減少を招く、(2)生態系の働きにとって重要な種を消失させることによって生態系サービス機能(注5)の低下を招く、の2点があります。前者では、種絶滅と個体群の絶滅がほとんど同じ意味になる場合が多いので、絶滅リスクが生態リスクを正しく反映します。しかし、後者の場合、生態系を構成する種が減ったときに生態系の働きがどう減退するかがわからなければ、生態リスクを正しく反映するとはいえません。稀少な珍しい種であっても、生態系の働きにはあまり影響しないかもしれません。逆に、比較的多く生息する普通種が生態系の働きに無くてはならない役割を果たしている場合もあります。
 つまり、生態系保全のためには、生物多様性の保全と生態系機能の維持という2つの観点が必要となります。特に化学物質の生態リスクを評価する場合、化学物質の汚染が湖沼や河川、土壌の生物相をかく乱し、その機能をどの程度阻害するか明らかにする必要があります。したがって、希少種の絶滅リスクよりむしろ生態系機能の低減を評価基準とする必要が出てきます。国立環境研究所環境リスク研究プログラムにおける中核研究プロジェクトの1つ「生態学的な視点に基づく生態影響評価手法」では、生態系機能に着目した生態リスク評価手法の確立を目指した研究に取り組んでいます。(第2期中期計画 環境リスク研究プログラム 中核研究プロジェクト4)


「3栄養段階生態系モデルの概要」の図
図2 :3栄養段階生態系モデルの概要
(f:栄養塩の流入・流出率,u:藻類による栄養塩取り込み率,d:藻類の死亡率,l1:摂食率,l2:捕食率)
[クリック拡大]

 では、生態系の機能とは何でしょうか?それは、植物が無機物から有機物を作り出す1次生産、植物が作り出した有機物を「食う食われるの関係」によって生態ピラミッドの上位者に受け渡す栄養転換、生物の遺骸や排泄物を再利用可能な栄養に戻す分解(浄化)能力などがあります。この中でも、特に栄養転換に着目し、環境かく乱による生態系機能の低下を予測しうる解析的方法を開発しています。栄養転換を取り上げたのは、これが富栄養な生態系における物質循環を大きく左右するからです(図1参照)。人体でも、高脂血症や動脈硬化によって循環器系が損なわれれば甚大な健康被害に見舞われるように、生態系でも、物質循環が損なわれれば、高次生産性(注6)の低下、浄化能力の低下、種多様性の低下など多くの機能障害がもたらされます。湖の富栄養化によるアオコの発生や、海洋の温暖化によるカイアシ(動物プランクトン)類の変化とそれに伴う漁獲の減少(高次生産性の低下)はそのような現象と捉えることができます。


「1次消費者の最大摂食率と生態的効率の生態系栄養転換効率に与える影響」のグラフ
図3 :1次消費者の最大摂食率と生態的効率の生態系栄養転換効率に与える影響[クリック拡大]
「体長と生態的効率の関係」のグラフ
図4 :枝角類ミジンコおよびワムシ類種間における体長と生態的効率の関係[クリック拡大]

 私たちは、栄養転換の効率に何が最も影響を与えるかを、藻類(植物プランクトン)-ミジンコ類-魚類をモデルとした3栄養段階の簡単な生態系モデルによって調べました。これら3グループの変動パターンは、栄養塩(注7)の流入が多いか少ないか(富栄養もしくは貧栄養)、魚類の生息密度が高いか低いかによって異なるので、生態系の状態を4つ(富栄養‐魚高密度,富栄養‐魚低密度,貧栄養‐魚高密度,貧栄養‐魚低密度)に分類した上で、どの種群のどの性質(モデルパラメータ)が、栄養転換効率(単位時間当たり藻類生産量に対する魚類摂食量の比率)に最も影響を与えるかを調べました(図2)。


 その結果、ミジンコ類(1次消費者)の生態的効率(注8)がどの状態でも栄養転換効率に影響を及ぼす重要な要因であり、富栄養で魚類も多い富栄養湖のような条件では、摂食能力(ミジンコ類が単位時間に摂食できる最大値)も重要であることがわかります(図3)。生態毒性試験でも重視されている、生態的効率の高いミジンコ類(枝角類cladoceran特にミジンコ属Daphnia spp)は、生態系機能の面でも重要な種群と言うことができます。ミジンコ類の様々な種で実験的に推定された生態的効率の値と、体長との関係を調べると、体サイズの大きな種が生態的効率が高いことがわかります(図4)。つまり、魚の捕食やその他の環境変化によって大型のミジンコが減少して小型の動物プランクトンが優占すると、生態系機能は低下すると類推されます。化学物質汚染や富栄養化、温暖化などの環境因子によって、種の構成が変化し、それに伴って群集全体の生態的効率がどう変化するかを予測する方法を、数理生態学モデル(形質ベース群集モデル)をミジンコ類の機能形質(注9)データに応用することによって開発しています。  生態系機能にとって重要な種群の化学物質耐性値(毒性値)、環境要因(水温、pH、捕食圧など)、機能形質のデータを生態系モデルに適用して、環境かく乱要因の生態系機能への影響を定量化することを目指して研究が進んでいます。

注5  生態系サービス機能: 生態系が人類にもたらす、生活基盤(水や空気)、経済的便益(農林漁業など)、文化的恩恵(レクリエーションなど)のこと。国連ミレニアム生態系評価は、「資源の供給サービス」「調節的サービス」「文化的サービス」に分類している。

注6  高次生産性: 食物連鎖上位者におけるバイオマス生産性のこと。海洋における魚類生産がこれにあたる。

注7  栄養塩: 生物の生存に欠かせない必須元素で、生物に利用可能なイオンなどの状態にあるもの。窒素(硝酸イオン、アンモニウム)、リン(燐酸)など。

注8  生態的効率: 摂食した藻類バイオマスから、成長と繁殖によって自種個体群のバイオマス増加に転換する効率。体の小さな動物プランクトンは呼吸によってエネルギーが損失しやすく、生態的効率が低いと考えられている。

注9  機能形質: 植物の生産力(光合成能力)、微生物の分解能力など、生態系の機能を左右する種の適応的な特性のこと。


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