• ひろばHOME
  • アーカイブ集(Meiのひろば)
  • ひろば案内

アーカイブ集(Meiのひろば:フロンティア)


07. 生態系への環境リスクを評価する(上)

田中 嘉成


生態リスクとは何か: はじめに

 企業倒産、銀行・証券会社の破綻、証券の暴落、年金制度の破綻、医療・介護制度の崩壊、大量交通手段における大惨事 - これらの危険因子を看過せず、またこれらに過剰に反応するのでもなく、その危険度を定量的に評価した上で有効な対策を講じることをリスク管理と言います。
 地球温暖化、環境汚染、生物多様性の消失などを始め、多岐にわたる環境問題もこのようなリスク管理の対象と捉えることができます。マスコミなどにもしばしば耳にするようになった「リスク」という言葉の、より学問的な定義は、「誰しもが避けたいと望む事象(ハザード)が起こる確率」です。例えば、人命や人の健康を基準とするならば、死亡確率や発ガン率でリスクを表現することができます。


生態リスク評価はなぜ必要か: 背景

 このようなリスク解析の方法は、環境問題を整理し解決する糸口を探る上で特に有用だと言えます。なぜなら、環境かく乱要因は、地球温暖化、化学物質の汚染、生物多様性の減少など多様であるばかりでなく、たとえば化学物質の汚染のみを取り上げても既存化学物質で監視が必要なほど有害性の高いものだけでも数十あり、そのような多数かつ多様な要因の相対的な危険度を評価するためには、統一的な基準に基づくリスク評価の手法に頼らざるを得ないからです。
 環境リスクは、その影響が最終的に何に及ぶかによって、人の健康リスクと生態リスクに大別されます。生態リスクは、環境かく乱要因が生態系にとってどれくらい有害かを推定することを目指します。化学物質管理の実際的な分野では、生態リスクは、試験生物の毒性値(半数致死濃度(注1)など)と環境中の化学物質濃度の比(生態危険度指数 [ecological hazard quotient] )に基づいて推定するのが一般的です。
 しかし、生態リスク解析を発展させ高度化していく上では、さらに次の条件を考慮しなくてはなりません。(1)リスク算定の方法が生態学的に有効で、生態系への影響を反映すること。(2)算定されたリスクの相対的な大きさが、生態系へのインパクトの相対的な大きさに比例すること。(3)質的に異なったリスク要因(化学物質の汚染、生息地の破壊、富栄養化、外来種の侵入、温暖化など)を同じリスク指標で表現しうること。(4)算定されたリスクの不確実性を評価できること(確率的リスク評価)。
 環境リスク研究センターでは、生態リスクを、「生物集団(個体群)の絶滅」および「生態系機能の低下」の2つの基準で推定する解析法を研究しています。これらはそれぞれ、環境かく乱要因の個体群レベルの効果と生物群集レベルの効果に対応しています。これら2つのクライテリアを設けた理由は、どちらか一方だけでは把握できない生態リスクが存在すると考えられるからです。


1.生物の集団(個体群)レベルの生態リスク: 種の絶滅

 生物は、繁殖しないと存続できないので、多かれ少なかれ集団を作って生活しています。生物の繁殖集団のことを「個体群」といい、存続するためにはある程度以上の大きさ(個体数)が保たれている必要があります。生態系にとって、個体群の絶滅が重要なハザードであることは明らかです。もともと個体数の少ない希少種にとっては、種の絶滅をもたらしかねません。生態系の働きにとって欠かせない種が消失すれば、生態系のバランスと機能が損なわれてしまいます。
 個体群が絶滅するリスク(絶滅確率)は、個体群の大きさ(個体数)と増殖能力に左右されます。特に個体の繁殖によって個体群が増加するはやさが、環境汚染などの何らかの要因によって減少すると、絶滅リスクは急激に増大することが、多くの数学的な研究によって明らかになっています。餌などの生息環境が十分良好なとき、個体群が示す潜在的な増加率のことを内的自然増加率( r で示す)といいます。内的自然増加率と、平均絶滅時間(T  :個体群が絶滅するまでの時間の期待値)との関係は、近似的に次の式に従います。
 数式(画像)


ここで、K は環境収容力といい、ある環境に生息できる個体数(密度)の上限値、v は環境変動による内的自然増加率の変動(分散)です。個体群の増加率が低下すると、平均絶滅時間は幾何級数的に減少することがわかります。
 このような関数関係を利用すれば、化学物質の曝露によって個体の生存や繁殖が阻害され、その結果生じる内的自然増加率の減少がもたらす個体群の絶滅リスクを推定することができます。問題は、化学物質の影響によって内的自然増加率、つまり個体群の増殖能力が低下する量を正確に推定できるかということにあります。これは、実験室内でおこなわれた毒性試験の結果と、環境中で生物が曝される化学物質濃度の測定値から推定する他ありません。本研究では、化学物質の曝露試験条件下で、生物の生存と繁殖のスケジュールをまとめた生命表データから内的自然増加率に与える化学物質の影響を推定するデータ解析法を考案しました。


表1 :カブトミジンコ(Daphnia galeata) の生命表
LAS12(界面活性剤)の曝露濃度が2.5ppmの場合(右)
およびコントロール(左)
[クリック拡大]
「カブトミジンコの生命表」
表2 :ミジンコ類の急性毒性値と環境中最大曝露濃度
から試算した個体群絶滅リスク(注4)[クリック拡大]
「個体群絶滅リスク」の表

 「生命表」のことを英語では、”life table” と言います。ここで、”life” は、「生命」と言うよりは「生涯」もしくは「人生」と言った方が語感に合っているかもしれません。これは各年齢までの生存率とその齢における平均出産数を表の形にまとめたものです(表1)。単純な形の表でありながら、人がだいたいいつまで生き、何歳で何人ぐらいの子供を生むかが分かるのですから、まさに人生のエッセンスをまとめたものと言えるでしょう。生命表データがあれば、その集団について、増加しているのか減少しているのか、増加しているとすればその増加率はどれだけか、年齢構成が将来どう変わっていくか、ある年齢の人が平均あと何年生きるか(期待余命)など、いくつかの重要なことがわかります。生物個体群の内的自然増加率も、生命表データから計算することができます。
 しかし、生命表データにも欠点があります。それは、ミジンコのような短命な生物を試験生物として使用したとしても大変な時間と手間がかかってしまう点です。そこで、短期間の毒性試験から推定される半数致死濃度などの急性毒性値から、回帰式を使って内的自然増加率の減少分を推定します(注2)
 このようにして算出した絶滅リスクの試算結果を表2に示します(注3)
 リスクの相対的な大きさは、生態危険度指数に比べ、はるかによりリスクの高い物質に集中する傾向があります。ただし、これはあくまで甲殻類(ミジンコ類)のみを対象生物とし、曝露濃度が時間的に一定であるなどの仮定の上での算定値であることに注意しなくてはなりません。


 >生態系への環境リスクを評価する(下) に続く

注1  半数致死濃度 : 短期間(48時間、72時間など)に半数の試験生物が死亡する化学物質濃度(LD50)。

注2  既存の生命表毒性実験データに対する解析から、動植物プランクトンの内的自然増加率 r は、化学物質曝露濃度 x のべき関数 r = rmax { 1- ( x / α ) β }によって近似できることがわかっている。ここで、パラメータは、最大内的自然増加率 rmax 、閾値曝露濃度αr が 0 に低下する曝露濃度)、反応の線形性β の3つであり、特定の化学物質に対するαβ の値がわかっていれば、曝露濃度から内的自然増加率の減少率が予測できる。同じ化学物質と試験生物種で推定された急性毒性値と生命表毒性実験データに対する統計解析から、α 値のLD50値に対する回帰式:log(α)=0.843 log(LD50)+0.194 が得られた。β値に関しては、データの不確実性が大きく、有効な説明変数は見つからなかった。全データを基準化したメタ解析では、β値はおおむね1.84であり、この値を採用した。
Tanaka and Nakanishi (2001) Model selection and parameterization of the concentration-response functions for population-level effects. Environmental Toxicology and Chemistry 20: 1857-1865.

注3  Tanaka and Nakanishi (2000) Mean extinction time of populations under toxicant stress and ecological risk assessment. Environmental Toxicology and Chemistry 19:2856-2862.
Tanaka (2003) Ecological risk assessment of pollutant chemicals: extinction risk based on population-level effects. Chemosphere 53: 421-425.

注4  これらの算定値は、解析的手法の実行可能性を示すために、対象種をミジンコ類に限定し、環境中曝露濃度を定常と仮定した上で得られたものであり、生態リスクの大きさを包括的に示すものではない。


ページ
Top