国立研究開発法人 国立環境研究所
環境リスク・健康領域 Health and Environmental Risk Division
 

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リスクセンター四季報(2003-2006)より

Vol.2 No.3 (2)
研究活動紹介 健康リスク評価関連研究


研究概要

 人間の産業活動に伴って環境中には数多くの化学物質が絶えず放出されています。それら化学物質が人及び野生生物に対する健康影響の種類や確率・範囲を予測することは、化学物質を安全に使用・管理する上で是非とも必要な情報です。当センターでは、化学物質の健康リスク評価に関連する研究として、環境中の化学物質が人にどんな有害反応を起こすか(定性的評価)、どのくらいの危険性があるか(定量的評価)を評価し予測することを目指して、その方法論を開発しています。本号では、これら健康リスク評価の研究を紹介します。

 化学物質の複合曝露による発がんリスクの評価

 一般環境中に存在している有害物質に人が曝露されることによる健康影響を考える場合、実際には単一の有害物質の曝露という状況はあり得ません。健康リスクの評価には、それぞれの物質によるリスクの評価だけでなく、複数の物質の同時曝露によるリスク評価も必要です。しかし、一般環境における複数の物質の曝露(複合曝露)による健康リスクの評価は、これまでほとんど行われてきていません。
 私たちは複合曝露による健康リスク評価の簡便で分かりやすい一つの手法を提示するために、大気環境中の化学物質の複合曝露による発がんリスクの評価手法を検討しました。

 「特定化学物質の環境への排出量の把握等及び管理の改善の促進に関する法律(化審法)」に基づく環境汚染物質排出・移動登録(PRTR)制度により、354の化学物質の環境中への排出量が集計されています。PRTRはPollutant Release and Transfer Registerの略称で、有害性のある化学物質が、どの発生源からどれくらい環境に排出されたか、あるいは廃棄物に含まれて事業所の外に運び出されたかというデータを把握し、集計し、公表する仕組みです。対象の化学物質を製造したり使用している事業者は、環境に排出した量と、廃棄物として処理するために事業所の外へ移動させた量を自ら把握し、年に1回国に届けることになっており、国はそのデータを集計し、また、家庭や農地、自動車などから環境に排出されている対象化学物質の量を推計し、これらのデータを併せて公表します。毎年どんな化学物質が、どの発生源から、どれだけ排出されているかを知ることができます。PRTRは、化学物質の管理と環境保護のための仕組みであるといえます。私たちは、このPRTR制度において公表されているデータを利用して化学物質の大気中への排出量を集計し、排出量の多い物質を中心としてモデル物質を選択しました。

 複合曝露の健康影響を考える際、相乗効果のような単独の場合と異なる効果をどう考慮するべきかという問題があります。しかしこのような相互作用は、例えばこれまでに報告されている動物に対するトルエンとキシレンの複合曝露実験などの結果から推定すると、大気中の化学物質濃度の何十倍、何百倍といった非常に高濃度の曝露の場合にしか観察されないと考えられます。そこで今回の評価では、物質間の相互作用は考慮せず、各物質によるリスクの和が全体のリスクであると仮定して考えることにしました。各物質によるリスクは物質そのものによる毒性(ここでは発がん性)の強さと存在量に依存します。複合曝露によるリスクは、化学物質の発がんユニットリスク(注)と、その大気中の濃度の積の総和で表すことが可能です。

 私たちは多くの動物実験のデータや国際的な評価文書などを詳しく調べ、モデル物質の発がん性には閾値がないと仮定した上で、日本人の発がんユニットリスクを独自に算出しました。

 求めたユニットリスクの値を用いて複合発がんリスクを試算するために、環境省による平成14年度地方公共団体等における有害大気汚染物質モニタリング調査結果のデータを利用しました。この調査では19物質の測定が実施されていますが、選択したモデル物質のうち、大気中濃度が測定されていたジクロロメタン、ベンゼン、ホルムアルデヒド、トリクロロエチレン、テトラクロロエチレンの5物質による複合発がんリスクを、国内各都道府県の測定地点の平均濃度を用いて計算しました。測定地点の数は都道府県によって0から31とばらつきがあり、県内の測定地点での濃度の平均が各県を代表する値とは言い難い面もありますが、全国的な傾向を見るために描いたこのマップ(図)からは、人口の多い都府県とその周辺地域のリスクが高い傾向が示されました。

 PRTRデータと大気中の濃度およびリスクの関係を見ると、大気中への排出量の多い物質の濃度やリスクが必ずしも高いわけではないことが分かります。発生源や気象条件が異なれば、拡散の状況も異なるためです。PRTRデータから直接リスクを推定することは難しいですが、排出量データと実際の測定値より曝露濃度を推計する試みが行われています。

 上記のように平成14年度のモニタリングデータより求めた複合発がんリスクの推定値は、平成13年度のリスク推定値と比較すると、70%以上の都道府県で減少しており、事業者の自主的取組によるベンゼンなどの化学物質の排出削減やPRTR制度の開始に伴う化学物質の自主管理の結果によるものと考えられます。

 このように、化学物質の発がんユニットリスクを求めることができ、さらにその物質の大気中濃度の測定値があれば、複合曝露による発がんリスクを求めることができます。現時点での問題点は、ユニットリスクを求めるのに必要な疫学あるいは動物実験のデータの入手可能な物質が多くないこと、曝露量の推定に必要な大気中の濃度が測定されている物質が少ないことです。モニタリング調査結果をこのような目的に用いるためには測定地点の数や分布に関する検討も必要です。また排出量の多い化学物質には、大気中よりも室内における曝露量のほうが多いと推測される物質もあり、室内曝露と大気中の曝露のリスク評価を併せて考える必要もあると思われます。

健康リスク評価研究室(当時) 松本 理

 注)発がんユニットリスク:ある物質を単位濃度(大気中の化学物質の場合なら、例えば1立方メートルあたり1マイクログラム)で一生涯摂取したと仮定したときの、がんが生じる確率の増加分をいう。

「大気汚染物質の毒性定量化に関する研究」のイメージ挿絵

 発がんリスクの算出に用いた各物質のユニットリスクの値は松本らが求めた値を用いた。また、各物質の大気中濃度は平成14 年度地方公共団体等における有害大気汚染物質モニタリング調査結果を使用した。なおここに示したリスクの数字は、現在の濃度で人が一生涯(70 年)継続して曝露されると仮定したときに、がんが発症する確率であり、実際には年々減少しつつある。

(注:図中で*が付いている県ではホルムアルデヒドの測定値がないため、ホルムアルデヒド以外の4物質による発がんリスクを示した。そのため、発がんリスクが他の都道府県より低めの値となっている。)

★この研究の概要については、国立環境研究所ニュース Vol.23 No.1でも紹介しています。 http://www.nies.go.jp/kanko/news/23/23-1/23-1-04.html をご覧下さい。 また、より詳細な内容は研究論文(松本ら、日本リスク研究学会誌 vol15. p55-67, 2004)として発表しています。

リスクセンター四季報 Vol.2 No.3 2005-01発行


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