国立研究開発法人 国立環境研究所
環境リスク・健康領域 Health and Environmental Risk Division
 

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リスクセンター四季報(2003-2006)より

Vol.2 No.2 (6)
シリーズ 化学物質リスク管理の新たな動き(第4回)
生態リスク管理の導入・強化に向けての動き(その3)

横浜国立大学客員教授(当時) 中杉 修身

生態リスクの観点からの農薬の審査の見直し

 農薬は本来,有害な生物を駆除することを目的として作られた化学物質であり,生物に対して何らかの影響を及ぼすおそれは高いと考えられます。このため,1948年に制定された農薬取締法でも,毒性の強さやそれが持続する期間からみて,その使用が水産動植物に著しい被害を生じるおそれがある場合は,農薬として登録が保留されるようになっています。未登録の農薬は製造,販売等が禁止されていますので,このような農薬は製造,販売等ができません。また,使用段階でも,使用者が守るべき基準が定められており,また,広い範囲でまとまって使用されるときに,水産動植物への被害や水の利用に伴う人畜への被害が生ずるおそれのある農薬は水質汚濁性農薬に指定され,一定地域では使用を許可制にするなどの措置を講じることができるとされています。さらに,農薬の登録申請の際には,魚類の急性毒性試験に加え,甲殻類のミジンコ類の急性遊泳阻害試験(水中での動きが阻害されるかどうかを見る試験)と繁殖試験及び藻類の成長阻害試験を提出が義務づけられており,その結果を踏まえて水産動植物に対する影響の程度に応じた注意事項を製品ラベル等に記載することとされています。

 このように基本的に生物に対する毒性を有すると考えられる農薬が水産動植物に及ぼす被害を防止するための一定の措置は講じられてきましたが,登録保留が,[1]比較的感受性の低いコイに対する毒性のみで判断されており,他の魚種や,甲殻類や藻類などの他の水生生物への影響は的確に考慮されていない,[2]使用方法や農薬の形(粉剤,粒剤,液剤など)によって異なる環境中での曝露量も十分に考慮されていない,[3]水田以外で使用される農薬については適用されていないなど,いくつかの問題点が指摘されるようになりました。そこで,これらの問題点を解消するため,農薬の登録保留基準が見直されました。

 水環境中の農薬の濃度は季節的に大きく変動し,散布時期に極端な高濃度になり,その時期の影響がとくに懸念されるため,化審法の審査や水質環境基準の場合とは異なり,急性毒性に着目しています。この点は従来の考え方を踏襲していますが,一定濃度の農薬が比較的長期間検出される場合もあることから,慢性影響についての考慮が今後の課題としてあげられています。一方,対象生物はコイから,藻類,甲殻類,魚類のそれぞれの代表種に拡張しています。曝露の考慮については,数学モデルを用いて予測した環境濃度(PEC)と急性影響試験から得られた毒性値(AEC)を比較し,リスク評価を行い,PECがAECを上回る場合に登録を保留することになります。また,PECがAECを下回る場合でも,必要に応じて使用方法や使用場所の制限などの注意事項のラベルへの表示,環境モニタリングなどが行われます。

 PECの推定は段階的により精度の高い方法で行っていきます。水田使用農薬については,第1段階はモデルを用いた数値計算を行い,第2段階は登録の届出の際に行う試験の結果を用い,第3段階は水田圃場での試験結果を用いてPECを算定します。水田以外で使用する農薬については,第1段階で数値計算を行い,第2段階で圃場における地表流出試験結果などを用いて算定します。早い段階の曝露評価の精度は必ずしも高いものではないが,安全側でのリスク評価を行い,その結果,生物への影響が懸念されるものについてさらに詳細な曝露評価を行っていきます。

 数値計算では,水田や畑地を配置したモデル流域内を想定して,使用に伴うモデル河川水中の値を算定します。排出源としては,従来対象とされてきた水田に加え,畑地や果樹園などの水田以外の農地での使用も対象とし,表面流出の他,散布時のドリフト(大気中への飛散)も考慮されています。また,ドリフトは地上での散布だけでなく,航空機を用いた空中散布についても,河川へのドリフトを考慮し,水田に施用する農薬についてはさらに排水路へのドリフトも考慮しています。現実には同一種類の農薬が全ての農地で一斉に使用されることは考えられないので,一定のシナリオを想定して算定を行います。

 一方,AECの算定は,水産動植物及びその餌生物に対する影響に着目して設定されます。魚類については死亡,甲殻類については遊泳阻害,藻類については生長阻害に関して試験生物の半数が影響を受ける濃度に着目し,必ずしも感受性が高い種が試験の対象とされているとは限らないこと,農薬の散布時期に繁殖期,孵化期,幼稚仔の生育期にあたる種が多いことなどから,不確実係数をそれぞれに適用します。試験で得られた半数が影響を受ける濃度を不確実係数で割った値を比較し,魚類,甲殻類及び藻類の中で最も低い値を基に登録を保留するかどうかを判断します。

おわりに

 今回の一連の法制度の見直し・強化によって化学物質による生態リスクの低減に向けて大きく前進したと言えます。しかし,まだ一歩を踏み出した段階で,いくつもの課題が残されています。

 既に,有害廃棄物の越境移動や廃棄物の海洋投入処分に関しても国際条約の中で生態リスクを管理するための方法の検討が進められています。また,今年土壌汚染対策法が制定された際にも土壌汚染がもたらす生態リスクの管理が将来的な課題としてあげられています。これまでは主に水生生物が保全の対象とされてきましたが,土壌汚染については水生生物よりも土壌微生物や陸上植物への影響が問題となります。OECDでは化学物質の生態毒性試験についてのガイドラインを作成していますが,水生生物だけでなく,多様な生物種についての試験法が検討されています。これらを活用して生態系を構成するより広範な生物種に対する化学物質の影響を見ていくことが今後の課題です。

 一方,水生生物保全の観点から設定された水質環境基準をどのようにして達成するかはまだ議論の途中です。環境基準を達成するためには,事業者や社会全体に何らかの負担を求めることになります。人の健康の保護については社会的合意が比較的得やすいと考えられますが,生態系の保全にどれだけの負担を求めるべきかの検討が必要と考えられます。これと同時に低コストで効率よく生態リスクを評価・管理していく手法の開発も重要な課題です。例えば,化学物質の構造や性質から生物への影響を推定する構造活性相関などもその1つです。またより多くの生物種に対して簡便な試験法を開発することも重要な課題です。化学物質環境リスク研究センターでは,これらの課題を含め,生態リスク評価・管理を効率よく,高精度で行うための方法論の開発に力を注いでもらいたいと考えています。

リスクセンター四季報 Vol.2 No.2 2004-09発行


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