国立研究開発法人 国立環境研究所
環境リスク・健康領域 Health and Environmental Risk Division
 

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リスクセンター四季報(2003-2006)より

Vol.1 No.2 (3)
シリーズ 化学物質リスク管理の新たな動き(第2回)
生態リスク管理の導入・強化に向けての動き(その1)


はじめに

 わが国における化学物質のリスク管理は,食用油の汚染が深刻な健康被害を発生させたPCBが底質や生物などから見つかったことをきっかけとして始まりました。このため,専ら人の健康に対する被害を防ぐ観点から,製造・使用等を規制したり,環境への排出を抑制するなどの対策が行われてきました。このような化学物質のリスク管理は世界に先駆けた取り組みでしたが,その後に諸外国で導入された制度は,人の健康だけでなく生物や生態系への影響も対象としました。このため,わが国の化学物質リスク管理は諸外国に比べて遅れたものになってしまいました。

 作物の生育阻害を防ぐ観点から農用地土壌の環境基準が設定されたり,農薬について魚類への影響を考慮した審査が行われるなど,一部では生態系に対するリスクも考慮されていましたが,わが国の化学物質のリスク管理は経済協力開発機構(OECD)からもこの面での遅れを指摘され,対応が求められていました。このような情況の下で,わが国の化学物質リスク管理が生態リスクの観点から多くの面で見直されています。まず,「化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律(化審法)」が改正され,製造・使用の事前審査で生態リスクの評価が行われることになりました。次に,水生生物保全のための水質目標が設定され,水質汚濁に係る施策を講ずる必要がある項目について水質環境基準が設定されました。また,農薬取締法の下で行われてきた農薬の審査でも,水生生物保全の観点からの評価の方法が見直されています。

生態リスクの観点からの化学物質の審査の導入

 化審法は化学物質の長期にわたる微量の曝露が人の健康に及ぼす悪影響を防ぐことを目的として1973年に制定され,環境中で分解しにくく,生物に蓄積しやすく,人の健康に悪影響を及ぼすおそれのある化学物質の製造・使用等を原則禁止しました。現在13物質が第1種特定化学物質に指定され,その製造・使用等が禁止されています。その後,1982年に環境庁の調査でトリクロロエチレンなどによる地下水汚染が見つかったことから,生物に蓄積しにくい化学物質についても,製造・使用等を制限できるように,1986年に化審法が改正され,現在までに23物質が第2種特定化学物質に指定されています。

 この改定でも健康影響を及ぼす化学物質のみを対象とする点は見直されませんでした。しかし,先進諸国の中で生態リスクの観点からの化学物質の審査を行っていない国はわが国だけであること,これまでに化審法で審査されてきた化学物質の中に,健康影響は大きくないが,特定の生物には毒性を示すものが見られること,化学物質の環境排出量の把握・届出を義務づけた「特定化学物質の環境への排出量の把握等及び管理の改善の促進に関する法律(化学物質排出把握管理促進法)」の対象物質が健康リスクに加え,生態リスクの観点からも選定されたことなどから,2003年になって生態リスクの観点からの審査の導入を柱とした化審法の改正が行われました。

 この改正では,まず法の目的に,人の健康を損なうおそれだけでなく,動植物の生息・生育に支障を及ぼすおそれのある化学物質による環境汚染の防止が加えられました。新たに化学物質を製造・輸入あるいは使用しようとする事業者は,従来から求められていた分解性試験,蓄積性試験及び人の健康に係るスクリーニング毒性試験の結果に加え,生態毒性試験の結果を添付して申請することとされました。

 分解性試験の結果,容易に分解する化学物質はそれ以上の試験は求められませんが,分解しにくい化学物質は次に生物に蓄積しやすいかどうかを見る試験を実施する必要があります。蓄積性試験の結果,生物に蓄積しにくい化学物質は,健康影響に加え新たに生態リスクに係る試験の実施を求められます。生態系は多様な生物で構成されており,それらの全てに対して毒性試験を行うことは現実的にはできません。そこで,生態系を構成する生物種の中から藻類,甲殻類及び魚類の3種類の水生生物を代表として毒性試験が求められています。この試験の結果,毒性が認められたものは第3種監視化学物質に指定され,製造・輸入数量等の届出が義務づけられ,必要に応じて製造・使用等について指導・助言が行われます。

 第3種監視化学物質については,被害のおそれが認められるレベルで環境中に存在する場合など,必要に応じてさらに詳細に動植物に対する有害性を調査します。この段階では全ての動植物が対象となるわけではなく,水産魚介類やその餌となる生物など,生活に関連を持つ動植物が対象となります。この調査の結果,有害性が確認され,かつ環境中での残留が認められる場合は,第2種特定化学物質に指定され,必要に応じて届出られた製造・輸入数量等の変更が命じられたり,表示義務などが課せられます。健康影響が懸念される化学物質は,同様にして第2種監視化学物質(従来の指定化学物質)を経て第2種特定化学物質に指定されます。

 一方,蓄積性が高いことが判明した化学物質は詳細な有害性調査を行い,有害性が確認されると,製造・輸入が許可制となり,事実上禁止されるとともに,使用が原則禁止されます。従来は人の健康に対する長期毒性の試験だけが求められてきましたが,今回の改正で高次捕食動物に対する毒性試験が求められることになりました。分解しにくく,生物に蓄積しやすい化学物質は食物連鎖を通じて哺乳動物や鳥類などの高次捕食動物に蓄積されていくため,高次捕食動物が試験の対象とされています。

 今回の改正では,生態リスクの観点からの審査の導入に加え,他の面でも制度の見直しが行われました。長期毒性試験を行うだけで数年にわたる時間と数億円の費用がかかるため,新規に申請を行う場合は,蓄積性試験で生物に蓄積しやすいことが分かると,製造・使用等を断念し,費用と時間のかかる毒性試験を行わないのが一般的です。しかし,化審法が制定された当時,既に製造・使用されていた既存化学物質の中には,生物に蓄積しやすいものも含まれています。現在,第1種特定化学物質として製造・使用等が禁止されている化学物質の大部分は既存化学物質です。既存化学物質についてはこれまで国が中心となって点検を行ってきましたが,毒性があると分かるまでは何らの規制も行われませんでした。しかし,分解性が低く,生物に蓄積しやすい化学物質はいったん環境を汚染するとなかなかきれいにならないため,今回の法改正によりこのような化学物質は有害性の有無が分からなくとも,第1種監視化学物質として製造・輸入数量等の届出がることになりました。

 これまでの審査は化学物質の有害性に着目して行われて来ましたが,有害性が高くても曝露されなければ被害をもたらす可能性は低くなります。そこで,例えば,化学物質を合成する途中で生成するもの,閉鎖された容器内だけで使われるもの,わが国では使われず全て輸出されるものなど,環境中に放出される可能性が低いものについては,これらの試験が免除されることになりました。環境に放出される可能性の低いことを事前に確認するとともに,報告の徴収や立入検査によって事後も確認することになっています。また,輸出されるものについては,輸出先の国で環境汚染を引き起こさないために,その国が同じような制度が設けている場合に限られます。また,製造・輸入業者が自分が扱う化学物質の有害性について新たな情報を入手した時にその報告が義務づけられることになりました。

(文責:中杉修身)

「図1:新たな化学物質の審査・規制制度の概要」のフロー図

 (「生態リスク管理の導入・強化に向けての動き」(全3回)では,今後「水生生物保全のための水質環境基準の設定」と「生態リスクの観点からの農薬の審査の見直し」について連載します。)


化学物質環境リスク研究センターの政策支援活動

 化学物質管理施策の企画立案及び実施において科学的な知見の果たす役割が重要であり,政策対応型調査・研究センターとして発足した本センターには,このような施策に対する科学的な支援も求められています。本センターがこのような分野についても中核となることにより,必要な資料の収集,科学的な信頼性の確保とともにそれらに基づくリスク評価が効率的になされるものと期待されており,これらに対応する政策支援型の調査研究を進めています。例えば,今回紹介した曝露評価研究室では,化学物質審査規制に関する施策の円滑な実施に向けて,環境中の化学物質の濃度予測に関する調査等に関して技術的支援などを行っています。また,評価に用いたデータの蓄積を図り,総合的なデータベースの作成などによりさまざまな要請に柔軟に応じられるような基盤作りを行っています。さらに本センターのメンバーは化学物質の審査・規制,評価対象物質の優先順位付け,環境基準,指針値の設定等,化学物質管理施策の検討の場面にも積極的に参画し,専門的知見をもとに科学的な貢献を行っています。

「国立環境研究所 全体配置図」を示す図

リスクセンター四季報 Vol.1 No.2 2004-03発行


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