室内環境中の化学物質、とくに揮発性有機化合物(VOCs)と体調不良の因果関係が注目を集めており、その解明が求められています。
現在の一般家庭における室内空気中の化学物質の濃度は、室内濃度指針値を超過する水準にはありません。しかしながら、そのように指針値より低い値であっても、何らかの要因で感受性が高いと、低濃度でも化学物質の影響を受けやすくなっている可能性が考えられています。
その要因としては、年齢、性別、遺伝的背景、何らかの病気に罹っていることなど生体内の要因と、育ってきた環境など生体外の要因が考えられますが、今回は、低年齢の要因に絞った研究の成果について報告します。
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成人に比べ、子供、特に妊娠期を含め胎児期、新生児期、乳児期は感受性が高いといわれています。実際に、発達期の生体防御機能に鉛、水銀などの重金属類、TCDDやDES(■注1)などの化学物質および医薬品が影響を及ぼすことが報告されています。しかしながら、VOCsの経気道曝露による発達期の生体防御機能に及ぼす影響についてはほとんど報告がみられません。生体内での恒常性に関わる、免疫、脳・神経、内分泌の系はそれぞれ調和をたもちながら発達していると考えられますが、発達期における化学物質の曝露は、この調和にも影響を与えかねません。
これまで、私たちは、成体(おとな)のマウスを用いて、記憶・学習に重要な働きをしている脳の海馬への低濃度トルエン曝露の影響を炎症反応に注目して明らかにしてきました。そこで、発達期において、トルエン曝露により海馬での炎症反応が誘導されるか、また成長後に曝露の影響が現れるか否かを調べるために、低濃度のトルエンを、胎仔期(妊娠14日目−18日目)、新生仔期(出生2日目−6日目)、乳仔期(出生8日目−12日目)にそれぞれ5日間曝露した後(図1)、生後21日目に炎症に関連した指標の変化を比較検討しました。 その結果、胎仔期、新生仔期に比べ、乳仔期にトルエン曝露したマウスの海馬で炎症を誘導する因子である腫瘍壊死因子TNF-αやケモカインCCL3(■注2)の遺伝子発現が有意に上昇しました。また、神経細胞の成長・分化にかかわる神経成長因子NGFや脳由来神経栄養因子BDNFの遺伝子発現も同様に上昇しました。海馬内で炎症反応に関与する細胞(炎症性細胞)であるアストロサイトとミクログリア細胞のマーカーGFAP(■注3)とIba1(■注4)の遺伝子発現を調べたところ、乳仔期でのトルエンの曝露により両者の発現上昇が観察されました。乳仔期にトルエン曝露したマウスの海馬内で炎症性細胞が活性化し、炎症を誘導する因子(TNF-αやCCL3)をより多く産生したと考えられます。
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では、何がこのような炎症の引き金になったのでしょうか。従来、VOCsの曝露により活性酸素の合成系が活発になることが報告されていましたので、抗酸化ストレスタンパク質であるヘムオキシゲナーゼー1の遺伝子発現を測定したところ、海馬においてこの遺伝子の発現が有意に増加していました。トルエン曝露が発達期のマウス脳内での酸化ストレスを誘導したことが炎症の引き金になったと推察できます。
炎症性サイトカインがヒトミクログリア細胞から神経成長因子NGFを誘導するときに、 核内転写因子(■注5)の一つであるNF-
Bを介することが報告されていますので、NF-
B遺伝子の発現を調べました。その結果、マウスでは乳仔期曝露でもっともNF-
B遺伝子の発現の増加が認められ(図2)、乳仔期曝露による神経成長因子NGFの発現増加には、ヒトと同様のNF-
Bを介したメカニズムが働いていることが推測されます。
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脳内での神経機能と防御機能の成熟のバランスにより正常な脳機能の発達が営まれていると考えられますが、私たちの研究により、胎仔期や新生仔期に比べ、乳仔期におけるトルエン曝露が、脳内、特に記憶・学習に重要な働きをしている海馬内での炎症の誘導や制止などに影響を与えていることが認められました。
このように生後21日目に海馬において炎症に関連する遺伝子レベルでの変化が観察されましたので、さらに
、成長後の行動(脳)に影響がみられるか否かについて検討しました。
乳仔期に低濃度トルエンを曝露したマウスを7週齢まで飼育し、モリス水迷路(■注6)という記憶にもとづく空間学習を探る方法によって脳への影響を調べました(図3)。その結果、対照群に比べトルエン曝露群のマウスにおいて空間機能学習の障害が認められました。
以上をまとめますと、今回の研究から、発達段階のうち特に乳仔期の低濃度トルエン曝露で、他の発達期にはみられない海馬への影響が認められたこと、さらに成長後にも行動に影響が見られることから年齢要因がトルエンの影響のうけやすさに大きくかかわることが明らかになりました。VOCsに対する感受性を解明するための新たなバイオマーカーの探索にむけた研究の展開に糸口が見えてきました。
■注1 DES: Diethylstilbestrol ジエチルスチルベストロール。流産の防止のためにつくられた合成女性ホルモンであるが、副作用がみられたために現在は使用禁止になっている。
■注2 CCL3: CC chemokines ligand 3 マクロファージ炎症蛋白―1アルファ。マクロファージの炎症部位への遊走をうながす因子の一つである。
■注3 GFAP: Glial Fibrillary Acidic Protein グリア線維性酸性タンパク質。アストログリア細胞に特異的に発現し、神経疾患で増加する蛋白質である。
■注4 Iba1: ionized calcium binding adaptor molecule 1 ミクログリア特異的カルシウム結合たんぱく質1。神経の栄養や保護作用を有するミクログリア細胞に特異的に発現している蛋白質である。
■注5 核内転写因子: 細胞の核内で遺伝子の発現量を調節するタンパク質。
■注6 モリス水迷路: 海馬に関係する空間学習機能を測定するための行動解析法。














B遺伝子の発現














