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ヒト多能性幹細胞を用いた胎児期における化学物質の影響予測


曽根 秀子

図1:ヒト胚性幹(ES)細胞からの胚様体を経由した細胞・組織分化 iPS細胞も同じような分化段階を経て多種の成熟細胞になる。[クリック拡大]
「ヒト胚性幹(ES)細胞からの胚様体を経由した細胞・組織分化」図

 健康リスク評価のための有害性評価や、作用機構の研究においては、現在でも動物実験が中心的な手法です。しかし、多種類の化学物質の影響を迅速に評価するのには、経済性、実験にかかる時間など様々な制約があります。そこで、ヒトでの毒性を予測するための新しい手法の開発が必要になっています。

 ヒトへの化学物質の健康リスクを評価するには、ヒトのデータから行うことが望ましいのですが、ヒトに対する有害性のデータが得られている化学物質は極めて少数です。そこで、動物実験のデータから、ヒトで有害性を示さないと考えられる用量を予測することが一般的に行われています。その予測を正確に行うためには、有害性のヒトと実験動物の間の差異を定量的に明らかにしておく必要がありますが、その違いの原因は不明な場合が多く、差異の予測は最も解決困難な問題であるとされています。過去の事例では、メチル水銀(■注1)は哺乳類の間でも毒性の種間差が大きく、多くの実験動物において、ヒトと同様の曝露レベルでは、ヒトの水俣病のような中枢神経毒性はあまり発現しないことが報告されてきました。例えば、新生児ラット脳の水銀濃度は母親の約2倍で、その後、生後20日では出生時の10分の1以下まで急激に減少することが観察されています。一方、ヒトでは、60か月かかって半減するとの報告があります。すなわち、ヒトの脳においては、一旦脳に蓄積されたメチル水銀は容易に減少されないことが、ヒトの中枢神経に対する影響が強い原因となっていると考えられます。また、ダイオキシンの例では、ヒトで最も特徴的な毒性は、クロルアクネの発症ですが、実験動物への投与の結果では、ヒトと同じ霊長類のサルにおいてのみ同様な皮膚症状が確認できています。妊娠母体への曝露による胎仔の死亡率を指標に、LOAEL(最小毒性量)で比較すると、サルで111ng/kg/day、ラットで500ng/kg/dayとなり、両者には約5倍の差があります。マウスにいたっては、500ng/kg/dayでも胎仔の死亡率の有意な増加は観察されていません。このように、感受性が最も高かったヒトと最も低かったマウスでは30倍以上の開きがあるのです。

図2:ヒトのES細胞から神経細胞への分化におけるメチル水銀の影響 ES細胞から神経細胞への分化の過程にメチル水銀を曝露すると、マウスの場合と比べて神経細胞の数や突起長がより強く抑制された。
(Heら2012, Fig.3)■注2 [クリック拡大]
 
「ヒトのES細胞から神経細胞への分化におけるメチル水銀の影響」図

 最近、化学物質などの環境外的要因に曝されて健康の悪影響を引き起こす生体の応答経路すなわち「毒性経路」の撹乱を指標にして、毒性を評価し予測する新しい試みが、「21世紀の毒性試験」として提唱されています。それは、ヒト由来細胞を使ったin vitro 試験で毒性経路を解明し、量反応関係を求め、計算により用量を推定し、限定的なin vivo 試験(動物実験)による影響の検証を行うことにより、ヒトでの毒性メカニズムを予想しようとするものです。この新しい方式によって健康リスクを迅速に評価し、より良い予測を提供する事が期待できます。

 
図3:確率推論型アルゴリズム(ベイジアンネットワーク)手法によるメチル水銀曝露とES細胞から神経細胞への分化マーカー遺伝子発現との関係の推定 メチル水銀はヒト神経細胞では、NES, NODAL, HOXB4及びMTAP2遺伝子の発現を制御しているが、マウス神経細胞では、その関係が成立していないことが示された。 (Heら2012, Fig.5)■注2
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「確率推論型アルゴリズム(ベイジアンネットワーク)手法によるメチル水銀曝露とES細胞から神経細胞への分化マーカー遺伝子発現との関係の推定」図

 先述したように、発ガン、臓器毒性、生殖・発生毒性について、ヒトの生物学に基づいたさまざまな毒性メカニズムを提示する必要があります。その中で、発達期に影響を及ぼす化学物質のスクリーニングや影響を評価するには、発達が進むに従いどのように影響が変化するのか?という視点からの観察が不可欠です。分化・発達期では、一つの細胞が性質の異なる様々の細胞に分化していきます(図1)。この観察には、ヒトの脳の発達のような複雑系を反映する多細胞モデルが必要とされますが、そのためには、ESやiPS細胞などの多能性幹細胞を用いていくことが、最も適しているものと考えられます。そこで、ヒトES細胞(■注3)とマウスES細胞から分化した成熟神経細胞にメチル水銀を曝露して細胞の変化を調べ、さらに数理工学的手法を利用した解析方法を開発して、メチル水銀に対するヒトとマウスの感受性を比較しました。その結果、ヒトの神経細胞は、実験動物であるマウスの神経細胞より形態的(神経突起の長さ、数)に異常を起こしやすいことがわかりました(図2)。そして、11個の神経分化に係る遺伝子とメチル水銀の関係性を確率推論法の一つであるベイジアンネットワーク手法によって解析を行いました(図3)。ヒトでは、メチル水銀の作用により、細胞の多能性維持に働く遺伝子HOXB4、NODAL及びNESが活性化され、一方、神経細胞に発現する遺伝子MTAP2が抑制される関係となっていました。このことは、細胞の多能性が維持され、かつ神経発達が阻害されていることを示唆しています。さらに、この関係性は、メチル水銀が神経細胞の突起伸長を阻害することとよく一致しています。一方、マウスでは、多能性維持や神経発達に関連した遺伝子の間で、メチル水銀の作用により制御される関係性は導出されず、細胞毒性のような細胞自体の維持機構が攪乱されていることが示唆されました。
 この手法を利用して、メチル水銀のみならず他の化学物質や放射性物質などについても、ヒトにおける胎児期への影響を迅速に予測することを計画しています。近年、欧米諸国では、従来の健康リスクアセスメントの手法とは異なり、培養細胞を中心としたin vitro 毒性試験の組み合わせにより毒性を予測する手法を開発するプロジェクトが進行しています。今後、環境化学物質の生体影響、特に胎児や新生児などの発達の初期段階への影響を評価する上での基盤として役立つよう研究を進めたいと考えています。



■注1  メチル水銀 : 脂溶性の物質であるため生物濃縮をうけやすい典型的な毒物。水俣病の原因物質。

■注2  He X., Imanishi S., Sone H., Nagano R., Qin X.Y., Yoshinaga J., Akanuma H., Yamane J., Fujibuchi W., Ohsako S. (2012) Effects of methylmercury exposure on neuronal differentiation of mouse and human embryonic stem cells. Toxicology Letters, 212(1), 1-10 (http://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0378427412009411)より著者出典

■注3  ES(胚性幹)細胞 : 動物の発生初期の細胞から作られる細胞で、すべての組織に分化する分化多能性を保ち、無限に増殖させる事ができる。iPS(人工多能性幹)細胞は、遺伝子工学技術により人工的に作られた多能性細胞である。両者とも再生医療や安全性評価への応用が期待されている。


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