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Ⅳ 平成20年度終了特別研究の事後評価
2.湿地生態系の時空間的不均一性と生物多様性の保全に関する研究

研究目的と実施内容

[研究目的]

本研究ではリモートセンシングと地上での調査を有機的に関連させ、踏査が困難な広い湿地で絶滅危惧植物・湿地性鳥類等の分布と存続の条件を推定するツールを提供する。湿地生態系は、水質浄化などの重要な機能を持つとともに、特有の生物相から構成され、生物多様性の観点からも価値が高い。しかしながら地球レベルでその減少や環境の悪化が進んでおり、湿地の保全は国際的な急務である。一般に生態系は不均一性をはらんでおり、その効果的な保全を進めるには、十分な解像度の時空間情報を得ることが不可欠である。本研究課題は、湿地を対象に、洪水や火入れなど定期的・確率的に生じる撹乱の効果も含め、地形・植生の時空間的な不均一性を効率的に把握すること、そしてそこに生育する生物の分布および存続に必要な条件を推定する統計モデルを開発することを目的とする。

[実施内容]

(全体計画)航空写真のデータから環境・植生の時空間的不均一性を抽出する。植物の季節変化を考慮して、適切なタイミングで撮影を行った。また、地上での植物および鳥類の調査を行った。これらを対応させ、生物の生息確率・分布密度を推定する統計モデルを作成した。また、植物の個体群の動態、鳥類の繁殖の調査をおこない、個体群の存続に必要な条件を推定した。これらの調査は本州で面積が最大の湿地である渡良瀬遊水池を対象とした。魚類に関しては、未発表の水生生物相調査データが使用可能な北海道猿払川支流を調査対象とした。本研究は、植物生態学、動物生態学(鳥類、魚類)およびリモートセンシングを専門とする研究者が連携して実施した。

(1)リモートセンシングによる植生と物理環境の時空間的不均一性の把握

低湿地は人為的改変の影響を受け、多数の絶滅危惧植物が生育している。絶滅危惧種の保全を行うためには、その分布および生態特性の把握が欠かせない。航空写真の情報を用いた分布予測モデルは、広域での分布把握に有効な手段と考えられるが、草本群落での有効性はまだ十分に検証されていない。また、生息確率推定モデルを構築する際に、空間的な相関構造(近い点同士は状態が似ていること)を考慮しなければ予測の精度や分布に影響を与える環境要因の推定にバイアスが生じることが知られている。本サブテーマでは、(1) 航空写真から得られる情報のうち、どのようなものが草本植物の分布予測に有効であるか、(2) 空間構造を考慮した手法を用いることでどれくらい予測精度や推定される環境要因の効果が変化するかを検証した。

調査地である植物種間の展葉時期の違いを利用するため、季節を変えて3年間で8回にわたり航空機による写真撮影を行った。撮影には、地表の可視・近赤外画像と地表面高をデジタルで取得可能なスリーラインスキャナと可視画像が撮影できるフィルムカメラを使用した。

航空写真の撮影と同期して、地上で植生高と葉群密度の垂直分布を測定した。3年分の航空写真を使用し、3月の火入れ後の植物の燃え残りと夏季の植生高の空間分布の推定、および植生のタイプ分け地図の作成を行った。植物の燃え残りと植生高は、火入れ後の地盤高と各撮影時期の地表面高の差から推定した。

635地点で地上踏査による植生調査を行った。出現頻度が比較的高い種および分布パターンや生態特性に特徴がある種について、分布予測のための統計モデルの推定を行った。統計モデルには、従来よく用いられているロジスティック回帰モデルと、空間構造の影響を考慮したConditional Autoregressive (CAR)モデルを用い、結果を比較した。

(2)植物群落の分布パターンと種個体群の存続メカニズムに関する研究

湿地をおもな生息地とする絶滅危惧植物などを対象に、種の生活史特性をふまえながら種個体群の存続に必要な条件を明らかにすることを試みた。

植物種の多様性の保全を行う際、指標となるような種の生態特性を明らかにし、その生育に必要な環境を保全することで同所的に生育する種の保全につなげるのが有効な方法である。渡良瀬遊水地には大きく分けてヨシまたはオギが優占する高茎草本群落と、チガヤ等が優占する丈の低い草本群落とがある。後者に特徴的に生育する2年生草本イヌセンブリを指標の候補とし、その生態特性を明らかにすることを目的として個体数動態調査等を行った。また、種子発芽特性を明らかにするための発芽実験、個体群存続性への遺伝的な要因の影響の有無を明らかにするための受粉実験、遺伝マーカーの開発を行った。

(3)動物相の形成と個体群の存続メカニズムに関する研究

湿地の植物群落をすみかとする鳥類を対象に、種の構成が湿地環境の時空間的パターン・撹乱要因とどのように関係しているのかを解析した。渡良瀬遊水地で繁殖期に生息している鳥類の密度を把握するため、全域をカバーするように91ケ所の調査地点を設置し、出現する鳥類の種類と個体数を記録した。

魚類等の水生生物については、生物相の未発表調査データが利用可能な北海道猿払村を流れる猿払川支流を対象に、相対的に水深が浅く流れの速い「瀬」と深く流れの遅い「淵」の分布を航空機撮影データから推定することを試みた。瀬と淵は河川の生物のミクロな分布パターンに大きく影響することから特に注目した。また、生物相のデータを利用し、リモートセンシングで取得可能な要素から生物相を推定する統計モデルを構築する可能性を検討した。

研究予算

(単位:千円)
  H18 H19 H20
リモートセンシングによる植生と物理環境の時空間的不均一性の把握 10,000 10,000 12,000
植物群落の分布パターンと種個体群の存続メカニズムに関する研究 4,000 4,000 4,000
動物相の形成と個体群の存続メカニズムに関する研究 6,000 6,000 4,000
合計 20,000 20,000 20,000
総額 60,000 千円

研究成果の概要

[研究目的・目標の達成度]

(サブテーマ1)

デジタル航空写真から、地上解像度50cmという高解像度で火入れによる攪乱の強度と面的な広がりや植生高の空間的な不均一性を広域推定する事に成功した(図1)。航空写真で推定した草本群落の植生高と、地上での群落構造の測定結果との対応関係を解析した結果、航空写真の立体視から求めた高さは、群落内で葉群がもっとも密な高さとよく一致することが明らかとなった。早春の野焼き後の群落高さから、火入れの燃え残りの範囲を知ることができるが、燃え残りの場所や面積は年ごとに変動することが明らかになった。

主要な植生タイプであるオギ群落、ヨシ群落および両種が混在した群落の空間的な分布を、地上解像度20cmで正答率73%(4種類の植生区分)で推定することができた。分類では夏期の植生高が特に有効な情報であることが判明した。

空撮画像から導かれた情報は、植物や鳥の分布予測モデルのパラメータとして有効であった。分布推定を行った12種の植物すべてで、単純なロジスティック回帰モデルに比べ、空間構造(なんらかの理由で近くの点での分布確率に正の相関があること)を考慮したCARモデルの予測精度は著しく高く、このモデルが分布予測のために有効な手法であることが明らかになった(図2)。また、すべての種で分布に影響を与える要因についての回帰係数の推定値がモデルによって変化し、空間構造を考慮することが、これらの推定にも重要であることが明らかになった。

分布推定をおこなった12種中、7種で群落高が種の分布予測に有効な情報であり、航空写真から求めた群落高が、草本種の分布推定に十分な推定精度を持っていると考えられた。また、3月に全域で行われる野焼き後の、春先の明るい環境を利用することで存続している植物種は、葉の展開が早い傾向があり、これらの分布の推定には5月の撮影画像ですでに緑になっているかどうかという情報が有効であった。

(サブテーマ2)

野外での継続調査の結果、絶滅危惧種イヌセンブリは体サイズに関わらず2年目に必ず開花し、厳密な二年草という稀な生活史を持っている可能性が高いことが明らかになった。また、発芽試験により、イヌセンブリは草丈の低い草地のように明るい環境で春先に発芽すること、遷移が進んで他種に被陰されるようになると種子は土壌中で休眠すること(シードバンクの形成)が示唆された。

調査地でのイヌセンブリの個体数は安定しており、遷移の進行によって衰退する傾向は認められなかった。しかし、過去には人為的な撹乱などによってより広い範囲でチガヤ草原があったことが示唆されており、ここを生育場所とするイヌセンブリにとって、生育可能な環境が徐々に狭まっている可能性がある。過去の航空写真などを用いて過去のチガヤ草原の面積の推移を推測すること、また、今後も数年間隔で航空写真による群落高マップの作成を行い、チガヤ草原の面積が減少傾向にないかどうかを把握することが、イヌセンブリのほかヒメナエ・タチスミレ等の希少種を含んだチガヤ群落の保全に必要と考えられる。

マイクロサテライトマーカーはまだ開発途中の段階であるが、厳密な二年草という生活史特性を持つイヌセンブリは、長い間撹乱がなかった場合には、異なる系統が隔年で繁殖し、時間的に遺伝的な分化が生じる可能性がある。これを利用して、過去に個体群が受けた撹乱の歴史を2年間にわたる遺伝構造の調査から推定できる可能性が明らかになった。

(サブテーマ3)

・鳥類
2006-2008年の5-6月の調査期間中に、サンカノゴイ、オオタカ、サシバ、オオセッカの4種の絶滅危惧種を含む43種類を確認した。繁殖している鳥種のうち、個体数が多かったのはオオヨシキリ、ムクドリ、ハシボソガラス、コヨシキリ、ヒバリ、ホオジロ、セッカなどであった。出現した種の分布パターンを解析したところ、草地種、ヨシ・灌木帯の種、林縁種などのグループ分けをすることができた。
遊水地内の種数を決める要因を解析するために、調査地点の周囲の環境条件を説明変数とする統計モデルを作成した。生物多様性センターが作成した自然環境GISの植生図から得た情報を説明変数として種数を推定する統計モデルを求めたところ、地盤高が低くて、起伏に富んでいて灌木林がある場所で繁殖鳥種数が多くなるという結果がえられた。これは、灌木が含まれることで林縁種が多くなることや、地盤高が低い場所は開水面に生息する種が多くなることなどを反映していると考えられる。 多くの調査地点で記録され、遊水地を特徴付けている湿地性鳥類(オオヨシキリ、コヨシキリ)、草原性鳥類(セッカ、ヒバリ)、灌木林性鳥類(ホオジロ、ウグイス)の6種の密度分布を予測する統計モデルを作成した(表1)。植生図から読み取った情報のほか、空撮データから得られた情報も組込んだ。いずれの種でも既存の植生図のみから得られる情報に群落高など航空写真から得られた情報を組み込むことで密度分布の推定が向上した。たとえば、.オオヨシキリ、コヨシキリ、セッカではヨシがあるかどうかが分布を決める要因になるので、湿地植生にオギ、ヨシのいずれが含まれているかの情報が密度分布を推定するのに重要となることを示している。また、コヨシキリでは空中写真から得られる情報だけでモデルが構築できることもわかった。さらに、オオヨシキリ以外の種では、野焼きの状態を変数として加えることでモデルの説明力が上昇した。

・河川の構造と水生生物相
緩流蛇行河川の典型例として、北海道北部の宗谷丘陵を蛇行して流れる狩別川本流とその5つの支流を選定した。現地調査では、河道特性(勾配と河道幅)を計測するとともに、相対的に水深が浅く流れの速い「瀬」と深く流れの遅い「淵」とを、その成因を考慮しながら特定した(図3)。
航空機観測では、測量用デジタルカメラを用いて地上分解能約10cmにて分光観測した。河道内の任意地点が、屈曲の外側(攻撃部)、内側(滑走部)およびそれらの移行部のどれに相当するかを求めた(図3)。このデータから屈曲を成因とした淵の存在を推定したところ、現地調査によって把握できた542個の淵のうち、42%では正しく推定でき、これらは屈曲を成因としたものと考えられる。このほか、倒流木に起因したものが36%、河床材の違いに由来したものが2%、成因が特定できなかったものが20%を占めていた。リモートセンシングデータに基づいて信頼性の高い瀬淵分布推定を行うためには、屈曲特性以外の特徴量にも着目する必要があると言える。
水生生物相を予測する統計モデルでは、リモートセンシングによって定量可能な変数である標高、河道屈曲率、河道外の倒流木、河畔林は、淡水魚類の14のモデルのうちわずか4つのモデル(29%)でしか採用されず、底生生物では66のモデルのうち9つのモデル(14%)とさらに採用される頻度は低かった。淡水魚類の分布予測モデルでもっとも採用される頻度の高かった変数は「支流名」であった。これは本研究で考慮されていない要因が支流ごとに異なり、それによって魚類の生息状況が規定されていた可能性を示唆する。

[社会・行政に対する貢献度、科学技術・学術に対する貢献度]

生物の分布予測における統計モデルの利用頻度は高い。統計モデルによる予測において、精度向上とバイアスのない環境要因の効果の推定を行うためには、空間構造の考慮が有効であることを示したことは、今後の国内での分布予測を行う際に参考事例となる。

野焼きは湿地のみにとどまらず草原の維持のために日本各地で行われておいる。秋吉台や久住高原など、希少種の多様性が高いことで著名な地区もそうした場所の例である。渡良瀬遊水地で行った群落高の推定と、展葉時期の違いを利用した撮影は、このような他の野焼きによって維持されている草原での希少種の分布予測にも応用可能である。

大面積での調査が現実的ではない生物や環境要素の分布確率を遠隔的に知る手法は、これまでいろいろ開発されてきた。本課題では、これまでもっぱら森林の林冠に対して用いられてきた高さ推定が、草本群落においても十分な精度で可能であり、これが希少植物および鳥類の分布の推定に有用であることを示した。「高さが推定できるツールの提供」に止まらず、それを使って生物の分布が推定できることまでを示したことの意義は大きい。空中写真等のデータを用いて面的なラフな個体群動態を把握することは、湿地性生物の保全に大いに寄与すると考えられる。