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環境へのアプローチ

論評

千葉県立中央博物館館長 沼田 眞

 今や地球環境ばやりで、環境の時代ともいわれるが、我が国での環境という概念の使用の歴史は100年程に過ぎない。明治初期の百科事典には載っていないところから、明治中期以後に広く使われるようになったといえよう。その原語は媒体的な意味での milieu、外界的な意味での surroundings、circumstances、environmentなどがある。これらに相当するドイツ語は、Umgebung(客体的環境)であるのに対して主体的環境として Umweltを区別して使用することが多い(Buddenbrock 1931)。パブロフの条件反射の実験で有名な胃液を出すシグナルとしてのブザーは、条件付けられる前には犬にとっては外界としての客体的環境ではあっても、主体的環境に組み込まれてはいない。主体的環境の例としては、俗にいう腹時計に象徴されるような生物時間ないし生理時間、色盲で近視の犬から見た部屋と複眼のハエから見た同じ部屋は物理的には同じでも、主体的には異なった生物空間などがある。このような生物主体的な(biocentric)時間や空間については Uexkull(1921)や Du Nouy(1936)が論じている。特に Du Nouyは人間の場合、腫痘のような傷をつけて、それがなおるまでの癒傷時間を生物時間の尺度にしようとした。その癒傷時間で計った場合、若い人はなおりが早いから「少年老い易く学成りがたし」という詩のようになるかどうか。そのほかにも、生物時間や生物空間のものさしについていくつかの提案がある。

 我々は、照度や温度を計る時、よく環境を計るというが、それらは外界条件(Umgebung)ではあっても、環境(Umwelt)ではない。その条件が植物や動物の生にどう関与するかが明らかにされた時、初めて環境になる。関与する要因はいくつもあり、関与の程度もさまざまであるが、少なくとも生物の環境は生物主体的にとらえられねばならぬ。生物の側も、レベル的には、マクロの群集や個体群、メソの個体や行動学的レベル、ミクロの分子、細胞、機能的レベルなどになるので、環境のレベルもそれらに対応してとらえられねばならない(沼田 1979)。

 私は20年程前に都市生態系の研究班を作った時、研究を進めるためのステップを提案した。すなわち、

 1)人間活動によって作り出された都市の諸条件(大気、水、土壌など)が植物・動物・微生物にどのようなインパクトを与えるか。これは Clements(Clements and Shelford1939)の言葉を使えば環境作用(action)の解析である。研究班のメンバーはそれぞれの専門家であるので、第1ステップの要求には異論はなかった。MAB(ユネスコの人間と生物圏計画)のプロジェクトもほとんど環境作用の観点から構成されている。

 2)次のステップでは、これを180度転換して、植物主体的、動物主体的、微生物主体的に都市生態系の構造や機能をとらえること(Clements 流に言えば環境形成作用 reaction)を各メンバーに求めたが、これには大いに戸惑いが感じられた。私はいくつかの実例をあげて説明した。植物主体的な例としては遷移を一つとってみてもよい。1年草−多年草−陽樹−陰樹というような遷移系列は植物の論理の上に構成される。もちろん人間や動物がそこに介入することは可能であるが、本来各植物の持つ生態的特性に基づいて起こる。

 動物主体的アプローチとしては、野生動物から見た植生図をあげた。人工のスギ林は普通の植生図では一色になるが、ニホンザルの生活の上では林緑部と暗い林内とは利用度が違うので、色分けをする必要がある(沼田 1982)。

 人間主体的には土地利用図とか、自然保護上からみた植生の価値付け(植生自然度のようなものは一種の遷移度であって、価値評価の尺度ではない)のようなものがあげられる。

 3)都市には植物も動物も微生物も住むが、何といっても、人が密集して生活を営む場所であるので、第3ステップでは人間主体的アプローチをより強化した。意味微分法(semantic differential method、SD法ともいう)による植生の視覚的評価、音環境(soundscape)の導入など(品田 1987、Schafer 1977)。

 4)以上の間、各専門分野からの解析によって多際的(multidisciplinary)には大いに研究が進んだが、互いの間を関連させ(transdisciplinary)、学際的(interdisciplinary)に生態系としての全体像を総合的につかむ(integration)のは極めて困難であった。そこで私は、生態系の要因の中の水に着目して、生産に使われるポジティブな水と生産の経過に使われてエントロピーを増大させるネガティブな水(玉野井 1982)を軸とした water-oriented approach による生態系としての統合化をめざした。水文学(urban hydrology)の研究はたくさんあるが(Hengeveld and Vocht 1982)、それとは全く観点を異にする。これとの関連で、一般の水収支と区別された物流に伴う水収支(末石 1983)すなわち1トンの鉄を購入すれば、その生産に当たって使用された水(経過としての水 throughput を含む)が移動することになる。このようなアプローチによって都市生態系全体の理解を得ようとした。

 5)都市生態学は基礎生態学と技術的分野の架け橋としての応用生態学の一部(沼田 1954)であり、技術的分野としての都市の計画と管理を直接の目的とするものではない。しかしそうした技術(urban and rural planningとかlandscape architecture)の基礎としての都市生態学の位置付けをすることは重要であり、今回(8月)の第5回国際生態学会議でも「都市計画の基礎としての都市生態学」のシンポジウムが行われた。

 以上が今までたどってきた5つのステップであるが、人間主体(anthropocentric)的な生態系生態学をより意識的に打ち出したのが最近の景相生態学(landscape ecology 景観生態学とか景域生態学と訳されるが、相観 physiognomy からスタートした学問として景相生態学と呼びたい。)である。今回の国際生態学会ではこの分野に関して5つものシンポジウムが行われたが、これは人間主体的生態系(陸域、水域、視環境、音環境などを含む)の pattern and process を探求する科学といえよう。

 環境といっても使用法は多岐にわたるが、国際生態学会議に出ていながら、私の関係する分野から一言感想を述べた次第である。(横浜の会場にて、1990.8.30)

(ぬまた まこと)