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地球環境保全に先導的役割を

論評

参議院議員 高桑 栄松

「公害」から「環境」の時代へ

 私が国立公害研究所副所長に就任したのは1980年2月である。就任して最初に思ったことは,研究所の名称であった。もともと私は「公害」という表現にこだわっていた。北大医学部の衛生学の講義でいつもふれていたことであるが,「公害」という表現は汚染者と被害者の関係を極めて曖昧なものにしている。「公」という言葉は公的・公平などと用いられるように,普遍的とか平均的,或いは広く認められているというようなイメージを与え,責任の所在がはっきりしないような印象を与える。行政側は「公害」の内容を法的に定義しているから特定されていると主張するが,この言葉のイメージからは汚染者責任の原則が薄められているように思われるのである。

 このような考えから研究所の人達との雑談の中で私の個人的な意見として“環境科学研究所”の名称の方がふさわしいのではないかなどと話をしていた。そして1990年7月1日に「国立環境研究所」として新発足することになったことは,本来的な意味で私は大いに歓迎している。ちなみに国立公害研究所の英語名称は最初からThe National Institute for Environmental Studies であるから先達の方々の慧眼に改めて敬意を表する次第である。

地方公害研究所との関わり

 都道府県及び政令指定都市には夫々公害研究所が設置されており,その所長は衛生研究所との兼務を含めて,私の友人知己が多い。ところで,地方研究所と国公研との交流は当時殆どないような状況であった。年に一度本庁主催で地方公害研究所長会議が開催され,それが唯一の意見交換の場であったといっても過言ではなかった。

 この会議に出席して地方研究所の国公研に寄せる期待の大きいことがよくわかり,当時の一色主任研究企画官らスタッフと相談をして,両者間の連絡会議を年1,2回持つこととした。そのために全国公害研協議会の幹部をこの連絡会議に出席してもらえるよう予算措置を講じた。このことは地方研究所に大変喜んでいただき,それが現在,地方公害研究所との定期的な交流シンポジウムを開くなど発展して継続されていることは,私も些かお役に立てたと喜んでいる。

 更にもし予算措置が出来れば,地方公害研究所とスクラムを組んで大気・水・土壌についての環境研究を日本列島縦断レベルで実施する構想を持っていた。しかし,その後私は急に参議院議員に転ずることとなり,この構想を実現することが出来なかったことを甚だ残念に思っている。

国際的リーダーシップを

 ここ数年来,地球環境の変化が急速に国際的に大きく取り上げられるようになった。このような事を私は予想したわけではなかったが,前述の日本列島縦断研究が継続的に実施されていたら,何等かの資料を提供出来たかも知れないと思われるのである。

 フロンガスによるオゾン層の破壊が注目されるようになり,オゾン層測定装置の設置が必須である事を受けて,私は参議院環境特別委員会で質問し,政府から前向きの答弁を引き出すことが出来た。そして1989年3月国公研にオゾン・レーザー・レーダーが設置(世界で五番目)された。その後参議院同委員会による研究所の視察があり,この新鋭測定器の説明を受けた時には,私は我が事のように嬉しかった。

 地球温暖化,酸性雨,海洋汚染,放射能汚染などいづれもその被害は地球的規模に拡大し,その解析,因果関係の解明などが現実の問題として提起されつつある。そのためには先ず国家の枠を越えての全世界的なモニタリングが必要であり,正確な資料に基づく対応策は,エコロジーの問題に留まらず,今や人類の生存をかけた重大課題として認識されるに至っている。この課題に関連して我国の求められている役割としては,先ずアジアを中心としたモニタリングシステムにおける技術的経済的援助が挙げられよう。

 我が国立環境研究所は蓄積された多くの資料,開発された優れた技術を有しており,これらは特に途上国への援助指導に充分な役割を果たすことが期待される。

 我が国の経済高度成長下においていわば地域的な公害研究を目的に設立された本研究所が,時代の要請に応えて,地球環境研究においてアジアのみならず世界をリードすることを確信し,そのために本研究所の人的物的な整備充実を目指して私も出来る限りの努力をしたいと考えている。

(付記)

 この度,私は第一次公明党・海外環境調査団の一員として5月下旬,ドイツ・スエーデン・オランダに派遣されることになった。この機会に欧州の環境汚染の実情並びに地球環境保全への取り組みを実地に見聞し,些かなりともお役に立ちたいと思っている。

(たかくわ えいまつ,元副所長)