ユーザー別ナビ |
  • 一般の方
  • 研究関係者の方
  • 環境問題に関心のある方

国立公害研究所から国立環境研究所に

論評

富山国際大学長 佐々 学

 先日つくばの国公研から不破前所長と浜田主任研究企画官がわざわざ富山に来訪されて,所の改組と名称変更の計画について詳しいご説明を戴いた。私もこの研究所に在任中の頃は時期尚早と考えて所名変更には不賛成であったが,今回はすでにその時期が充分に熟していると判断されるので,この企画には大賛成で,私なりにお手伝いもしたいと申し上げた。

 思いおこせば,国公研の創立からすでに十年あまりも経過して,その創立当初のいきさつを知っておられる所員も段々と少なくなりつつあるので,私なりに昔の思い出をとどめさせて戴こう。初代の所長は東京工業大学の学長もしておられた大山義年先生で,この見識深く,人望も高かった所長を戴いたことで,今日の国公研の主要な基礎が固められた。

 私は当時東京大学医科学研究所長をしており,かつ文部省科学研究費の環境科学特別研究という大型プロジェクトの代表者をしていたので,大学関係で環境科学のいろいろな分野ですぐれた研究をしておられる方々の実情をかなり把握していた。そんなことから大山先生の組閣計画にしばしばお手伝いをさせて戴いた。

 その頃,いわゆる大学紛争も一段落したので,私は任期途中で研究所長をやめさせて戴き,アメリカのNIHに移って人間のフィラリア病のモノグラフの完成に専念することとなった。1973年12月にこれがほぼ完成したころ,再び大山先生から航空便を戴いた。“国立公害研究所が1974年の3月に開所する予定のところ,医学・生物学分野を担当する副所長に適任者が見つからないので,君に来てもらえないか”とのご依頼があった。そこで,急遽在米予定を繰り上げて帰国し,この研究所の企画と新任所員の人選のお手伝いをすることになった。

 この研究所が開設されたのはちょうどオイルショックの最中で,建築計画にも大幅な支障をきたしたが,とにかく筑波の松林の中に管理棟だけ出来上がって3月に開所式を行うことができた。大山先生はたいてい環境庁のなかの一室で就務されており,筑波の現場は主として私と仲光佐直元主任研究企画官が担当することとなった。その頃は所長用の公用車もなく,私は何度も大山先生を私の車の助手席にお乗せして筑波から世田谷のお宅までお送りしたものだ。出がけにワンカップ2本をお渡しすると,おいしそうに飲み干されて,東京に車が入る頃にはいつもぐっすり眠っておられた。

 さて,その頃からすでに,この研究所の名称を国立環境研究所に変えようという考えの方も多く,なかでも大山先生はそのご意向が強かった。つまり,当初から直接に公害の研究をするのみでなく,もっと広い立場から環境科学のいろいろな分野を開拓していこうという主旨でこの研究所は発足したのである。しかし,このニュースの第7巻第1号で山川民夫氏も述べておられるように,わたしどもは東京大学伝染病研究所を医科学研究所に改名・改組した経験があり,その時には当時の所長や山本正,山川民夫らの諸氏が大変苦労をされたが,結果からすればこの改組により伝染病のみならず,がん,分子生物学などの新しい研究部も加えられて,近代化と機構改善に大きなメリットがあったものである。

 ところが,国公研ができたばかりのときに,もう改名をしようという動きには,私個人としては極力反対した。なぜならば,せっかく日本における公害問題の解決に役立てようと創られた研究所が,もうそれを忘れて環境科学に走るのかという非難は当然に受ける。私はまず公害研究所として充分な予算や人員をもらい,それが10年もたって軌道にのり,ほぼ完成した時点まで改名を延すべきだと主張したのである。研究所は公害対策ということで沢山予算をいただき,それでより広い意味の環境学をすすめればいいではないか。そして,改名・改組というのはそのための大きなメリットがあると判断される時期まで辛抱しようではないか,と考えた。

 もっともこの研究所の英名は初め,National Institute for Environmental Pollution Studiesという案が環境庁から出されたが,わたしどもは,それからPollutionという字を削除してしまった。だから今回の改組にあたっても英名はそのままでよい,いやそれを見越しての発足であった。

 さて,開設以来十余年を経て,単に局地的な公害の問題のみならず,いかに環境保全の科学が重要であるかが次第に認識され,さらに地球環境の保全,特に温暖化,オゾン層破壊,砂漠化,酸性雨などなど,グローバルなスケールでの新しい問題も起こってきた。ようやく,改名・改組をして大きな発展と展開をこの研究所に期待すべきタイミングがきたといえよう。

 改組にはいつも痛みが伴う。現役所員の皆様はこの痛みに耐えて今後の大いなる前進・発展をして戴きたい。

 私は国立公害研究所が国立環境研究所に改名・改組されることに心からおめでとうと申し上げたい。

(さっさ まなぶ,元所長)