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環境リスクアセスメント/マネジメントと統合型データーベース

環境リスクシリーズ(2)

遠山 千春

 多くの人々が懸念している環境問題の一つは,長期にわたり複数の微量の化合物に暴露した場合に生じるかもしれない健康影響である。影響が疾病として顕在化して事態が深刻になる前に生理的変調をスクリーニングし,悪影響を未然に防ぐことは,環境汚染物質による環境リスクアセスメントの重要な課題の一つである。しかし,ほとんどの場合において,生理的変調を的確に反映する指標を選択して用いることが,技術の開発の面で,一朝一夕にはできないという意味で,この課題の遂行には非常な困難を伴う。それゆえ,別のアプローチとして,数量的リスクアセスメント手法を発展させ,現実の問題に適用することが重要な課題となる。この手法においては,動物実験および,疫学的知見から得た複数のパラメータに基づき,ある化学物質に暴露した場合の人間集団における特定の健康事象(例えば,発癌)の発生頻度,すなわちリスクを予測することが,理論上可能となる。

 環境リスクアセスメントにとって,様々な化学物質の毒性に関するデーターベースが不可欠である。データーベースは,数値,文献,情報源のそれぞれを主体としたものに大別できるが,今日までの毒性評価に関する多くのデータベースも,この例外ではなかった。この種のデータベースはもちろん不可欠のものであるが,上述の数量的リスクアセスメントの遂行にとっては,これらの3者を統合したものが求められていた。

 この統合型データベースとして代表的なものが,米国環境保護庁によって作られた Integrated Risk Information System(IRIS)である。本稿では,先に国公研と米国環境保護庁とのあいだで開催された,“1989 Japan NIES - U.S. EPA Joint Workshop: Environmental Risk Assessment/Risk Management”で紹介された内容に基づき,環境リスクアセスメントに関するIRIS等のデータベースについて以下に記したい。

 IRISにおいては,米国環境保護庁の有害化学物質に関するリスクアセスメント/マネジメントの基本的判断基準が集約されている。このデータベースを開発する契機となった理由は,廃棄物処理場,事故,および飲料水の汚染について,化学物資による環境汚染の健康に対するリスクの評価について多くの質問が寄せられたこと,ならびに環境保護庁としてのリスクアセスメント/マネジメントについての意思決定を継続的でかつ質を一定に保つことが必要とされたことによるという。リスクアセスメント/マネジメントにかかわる値は,常時新たな研究結果を取り入れるように配慮されている。このデータベースには,1989年9月1日現在,380種の化学物質が取り上げられている。IRISは,いわゆるパソコン通信により,米国の連邦・州政府,自治体関係者のみならず一般市民にも開放されており,わが国からも日本のアクセスポイントに接続することにより廉価で使用可能となっている。

 IRISは,ここの物質について,経口暴露の場合の慢性影響を引き起こさない摂取量,発癌性のユニットリスク値,飲料水安全勧告値,リスクマネジメントのまとめ(健康影響および生体(主として,水生生物)影響),及び補足資料から成り立っている。数値を算出した根拠となる文献名とその要約,ならびに算出式が記されており,発癌実験の場合はマルチステージモデルの根拠となった実験の量・反応関係の数値も示されている。さらに,注目に値する点は,リスクアセスメントのいわゆる科学的判断基準の値とリスクマネジメントの行政基準の値が別々に明記されていること,各物質の個々の項目ごとに取りまとめの担当者名と連絡先が記されており,質問・意見を述べる手だてが確立していることである。IRISには,今後,経気道暴露の場合の情報,生態系における食物連鎖を介した生体濃縮に関する情報,ならびに有害化学物質が生体内に取り込まれたときに様々な臓器に時間経過にともなってどのように代謝を受け分布をするかというファーマコカイネティクスに基づく情報などが加えられていく予定であるという。

 米国環境保護庁が保有するIRIS以外のデータベースとして,一定規模の工場において使用している化合物の種類と量,化学反応によって生じる物質,排出源の工場敷地内での位置,排出物の量などのデータに基づき地域の環境に排出される量を規制するための基礎となるデータベース,これらに気象・人工に関するパラメータを組み入れて,地域の環境中汚染物質の濃度を規制する目安とするためのデータベース,あるいは自治体の担当者などからの環境汚染に関する様々な質問内容に対して,誰がいつ,いかなる回答をしたかについて記録し,環境行政の質を一定水準に保つためのデータベースなどがある。

 数量的リスクアセスメントが,ある社会において幅広く受け入れられるようになるためには,単に学問的進展のみならず,リスク概念について,その社会に特有の社会・文化的問題の解析も避けて通ることはできないであろう。わが国においては,安全・有害の二者択一的論理からの脱却が必要であり,IRISに示されているような情報とその評価基準の公開は,そのための必要条件のひとつとしておおいに参考になるように思われる。

(とおやま ちはる,環境保健部人間生体研究室)