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環境問題に向き合うスタンス

巻頭言

監事 小林 伸行

 いきなりこのようなことを書くのは少々ためらわれるのですが,私は,自分自身の環境問題に対するスタンスに関して,どうにも居心地の悪い気持ちをずっと持ち続けています。そこで,今回巻頭言を執筆する機会を与えられたのをきっかけとして,考えを整理する意味も含め,なぜ,自分自身のスタンスが定まらないかを考えてみたいと思います。素人の感覚で勝手なことを書き散らすのをご容赦ください。

 はじめに結論めいたことを言うと,私が悩ましさを感じている大きな理由は,環境問題を考えるときに自分の軸足をどこに置いたらいいのか見失ってしまいそうになるからではないかと思っています。問題を検討する過程のどこかで価値観や倫理観が絡んできて,絶対的な解決が得られないことに当惑してしまうのです。

 これまで,人間は自分たちの生活を快適にしようとしてエネルギーを消費したり,自分たちの生活圏を拡大しようとして自然に干渉したりしてきました。周辺の環境に対して積極的に働きかけることによって行われてきた快適な生活の追求や生活圏の拡大が,人類の「進歩」と考えられていたように思います。ところが,地球温暖化をはじめとして,現在環境問題として認識されていることのほとんどは,人間が活動していることそれ自体に原因があるようです。だとすれば,環境問題を考えるときの主体と客体の関係は,働きかけの主体としての人間とその対象としての自然環境という単純な二元論だけでは 整理できなくなってしまうように思います。科学は対象を客観的に見ることによって成立するのだとすれば,その前提は主体である人間と客体である自然界という関係だったはずです。この前提の上で,人間が自然をコントロールすることが人類の「進歩」を促してきたのでしょう。

 しかし,環境問題を考えるときには,人間は自然とは別の存在なのか,それとも,人間は自然の一部なのかという問題を改めて考える必要があるように感じます。人間の活動が環境問題を引き起こしているのであれば,その根本的な解決のためには人類全体の活動をコントロールする必要があるはずです。そしてここに価値観や倫理観の問題が入り込んできてしまうと思われるのです。

 例えば,私たちは自分たちにとって有害な生物を絶滅させようとする一方で,絶滅が危惧されるような生物を何とか生きながらえさせようとする活動を行っています。どの生物を絶滅させ,どの生物を保護するかという選択には,その生物が人間にとって快適かどうかという価値観が入り込んでいることになりますが,すべての人が同じ価値観を共有できるものだとは思えません。また,追加的な発電所の建設が環境に悪影響を与えるとわかっているとき,私たちのように安定的に電気が供給されるのが当たり前と感じている国の人が,電気の供給が不安定な国の人たちに対して,新しい発電所の建設をするな, ということには倫理的な問題があります。とはいっても,その解決策として私たちが享受している安定的な電気の供給を断念することができるのかといえば,それはかなり難しいでしょう。

 生じている環境問題を解決するに当たって,環境を現状のまま 「固定化」 するか,以前の状態に 「復帰」 させるというアプローチがとられると,ある意味では「進歩」 を止める選択をするということにつながり,価値観や倫理観の問題を避けて通ることができないような気がします。 「固定化」 でも 「復帰」 でもないまったく別のアプローチもありうるのだと思いますが,そのアプローチはもしかすると新たな問題を生んでしまうかもしれません。

 恥ずかしながら,私にはまだ快適な生活をあきらめるだけの覚悟ができていないので,居心地の悪い思いは当分続きそうです。しかし,悩みながらではあっても,できるだけ謙虚に問題に向き合っていこうと思っています。

(こばやし のぶゆき)

執筆者プロフィール

 2007年4月に監事に就任いたしました。公認会計士と大学の教員をしております。最近,空の青さや木々の緑などに心を動かされることが多くなってきました。もっと眺めていたいなぁと思いながらも,なかなか時間が作れないのが残念です。