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今村 隆史

 「2,3日考えさせて下さい。」,男は答えた。この男の悪い癖である。完成予想図,調べたい項目,考える際のポイントなどを持ち合わせてもいないのに,すぐその様に答える。まるで「下手の考え休むに似たり」を熱望しているかのようだ。ならば度胸だけの勝負で良いのではないのかと思いたくなるが,そこまで腹の座った男ではなさそうである。

 「研究系の部長になるのだろ?」,「はいそうです」。男は領域長になることをかつての上司に話し,柄にも無くその心構えでも聞いたのだろう。かつての上司は一言,「だったら,一番研究する人になればよいだけのことだ」。明快である。男は,かつての上司が当時,正月三が日と夏のある週の土日以外の年360日,朝から夜中まで研究に向き合っていたことを思い出した。「壁は途方も無く厚いな」と感じたようだ。

 研究所の監事の小泉先生から「自分ができることは自分でやらない」の言葉が返ってきた時のこと。男は,「自分ができることは自分でやるが,自分のできないことは人に任す」ではないのか,と驚きを隠せない。男は研究所の内部監査の時に小泉先生に格好をつけてマネージメントのコツでも聞いたのだろう。余りの自らの浅はかさを思い知らされたようだ。

 男は男の尊敬する後輩の一人と食事をしていた。彼は男よりもはるかに研究能力はあるのだが,世の中は不思議なもので,環境研ほど研究環境に恵まれた場所には所属していない。彼曰く「40歳を過ぎると,結局のところは,これまでの積分値を振り回して勝負する以外に無い。○○さんや××さんに比べて自分の積分値は桁で小さい。勝負あった,と言うことか。」と。続けて曰く「しかし小さな積分値でも,それを丁寧に振り回すことは出来る。30歳代に戻れないのだから,せめて丁寧に振り回す勝負では負けないようにしなくては。」と。50歳に手が届きそうな男には辿り着けない心境に,自らの精神年齢の低さを痛感しているようだ。

 そんな男が4月から大気の領域長になった。ならばせめて,「下手の考え」は捨て,方針無く闇雲に何かをいじくることは止めて,じっくりと観察することからはじめよう。一歩一歩を積み重ねる部分からはじめよう。非常に変な例えだが,年に2報ずつ(この数は分りやすい例として出しただけで意味は無い)論文を発表すると目標を立てたが,残念ながら1報も論文を発表することが出来なかったとしよう。翌年はそれを取り返すために4報の目標を立てるかもしれない。しかし大気領域の人には4報の目標ではなく,むしろ1報の目標を立てることから始める。逆に2報の目標を達成できた人は,2報の内の1報はより質の高いものを目指してもらいたい。

 「環境研は環境研究の総本山である」あるいは「環境研究の総本山である環境研」と言う言葉を耳にし,また口にする。環境研を大気領域,環境研究を大気環境研究に置き換えれば,我々の領域に当てはまる。大きな誤解を生むことを覚悟して言えば,今「大気環境研究の総本山」であると言うことはたやすい。実際がいかであるかは想像に任せるが,仮に総本山たる状況にあるとすれば,それは10年前,20年前の人々の努力が現在にあらわれているだけのことである。一方,10年後,20年後に「総本山」であるかは,今をどれだけ苦労するかにかかっている。ならば,領域長の仕事とは,緊張感をもって沢山苦労してくれる人・苦労を続ける人に対し,それを可能にする状況・雰囲気を作ること・壊さないことではないかと思う。

 最近極めて身近な人から言われた。「学者とは,日々例え30分でも1時間でも難しいことをコツコツと勉強し,黙々と考えることのできる人なのだろうと思っていた。しかしあなたを見ていると,コツコツとした努力も呆れ返るほどの執念もある様には思えない」と言われた。隠しきれないショックと共に否応なく現実の姿と向き合わざるを得なかった。「大事だ」と称して様々なことへの対応や調整など「自分が出来る“易しい”こと」をやることに日々満足していたのではないのか。

 「反省だけならサルでも出来る」と言う言葉を聞いたことがある。分に見合った過負荷の状況を常に背負って進む,と言う数十年来出来なかったことに再チャレンジする機会を与えてもらったことに感謝をし,領域長を辞する時,「反省だけとは異なるレベルになったね」と言われたい。

 (いまむら たかし,大気圏環境研究領域長)

執筆者プロフィール:

東京工業大学大学院を修了後,分子科学研究所,姫路工業大学を経て1991年に入所。最近,「意志の弱さは筋金入り」ではないかと感じるようになった。また「寛容さがなくなってきた」とも思う。「踏ん切りが悪くなった」気もするし,「根が続かなくなった」様にも感じる。年のせいかな。友人に話をしたら「何も変わっていない!まだまだ若いよ」と言われた。喜ぶべきか前途多難を嘆くべきか。