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生物の分布地図の読み方

環境問題基礎知識

椿 宜高

 生物多様性が人間活動の影響で次第に減少していくさまを示すには,何年かごとに生物種の分布地図を描いてその変化を見るのが分かりやすい。しかし,分布地図が伝えようとしている情報を正しく理解するには,どのような概念で地図が作られたかを知っておくのが望ましい。

 環境庁自然保護局(現環境省自然環境局)では,1973年から1998年までの間に5回の自然環境保全基礎調査を行っており,その一環として種の記載が比較的進んでいる維管束植物,鳥類,哺乳類,蝶類,トンボ類などについての全種にわたる分布調査(種の多様性調査)が実施されている。分布地を記録する単位は,国土地理院が採用しているメッシュシステムにおける基準地域メッシュ(3次メッシュとも言い,大きさは約1km2で,1/25,000地形図を10×10に分割したもの)である。そのメッシュの中のどこかで1回以上分布が報告されていれば生息メッシュとして色が塗られ,それ以外は分布確認のない(調査されていないか,生息しないのかは区別できない)メッシュとして扱われる。ただし,乱獲などの予防のため,公表されているのは2次メッシュ(大きさは約100km2)のデータである。

 生物種の分布地図に使われる単位は,メッシュだけではない。県や市町村を単位とする分布地図もしばしば使われるし,国を単位として生物分布の世界地図が作られる場合もある。たとえば,ある県の中のどこか1地点で分布が確認されれば県全体が生息地として色が塗られることになる。もっと大雑把な分布地図は,その種の生息が確認されている地点が全部含まれるように曲線で囲ったものである。

 メッシュを使った分布地図にはいくつかの利点がある。ひとつは単位面積がほぼ等しく,地理的な位置がはっきりするので,色々な解析がやりやすくなることである。これにくらべて,県や市町村は面積がバラバラであるし,市町村合併などで面積が時代とともに変化してしまうという欠点がある。もうひとつは細かいメッシュでの統計があれば,いくつかのメッシュをまとめる(たとえば100個の3次メッシュを1個の2次メッシュに統合する)ことが簡単なので,目的に応じて適切なメッシュサイズを使えることである。市町村が単位になっていると,何処と何処を統合するかを決めるだけでも頭が痛いことになる。

 さて,このようなメッシュで描いた生物分布地図からは,大きく分けて2種類の情報を得ることができる。ひとつはその種の分布範囲の輪郭(たとえば南限と北限),もうひとつは輪郭の内側に存在する生息メッシュの疎密である。輪郭はその種が現時点で生息しうる気候条件の範囲を表現しているだろうし,輪郭内の分布の疎密は地形や土地利用の影響を反映しているに違いない。そうであれば,生物分布の時間的変化が環境の時間的変化に平行して生じているかどうかを調べれば,環境変動が生物分布に及ぼす影響を推測できるはずである。

 はたして我々の入手しうる分布地図は,そのような解析に十分な情報量を含んでいるだろうか。今,私の手元には生物多様性調査・動物分布調査報告書(昆虫(トンボ)類)がある。この中に掲載されている分類群別調査状況の表を見ると,第5回目の調査で最も報告数の多いグループはチョウ類(報告種数は269種)であり,約10万件の報告があったことがわかる。トンボ類(報告種数は206種)はその次に報告の多いグループで,約5万5千件である。それに続く分類群は,陸産貝類,淡水魚類,甲虫類である。これだけの報告を集めるのにチョウ類では全国で551名,トンボ類では293名の調査員が動員されたと記録されており,その集計も大変な作業だったことは想像に難くない。しかし,それぞれの種の分布報告のあったメッシュを地図上で塗りつぶしてもなかなか分布パターンを表現できるものではない。

 まず,このような報告がどの程度日本全体をカバーしているかを考えてみよう。トンボ類の5万5千件(1件は1メッシュに相当)という数字はたしかに膨大なものである。しかし,日本全土の面積は約37万km2であるから,日本は37万個の3次メッシュで構成されている。つまり,トンボ全種で考えても日本全体の1/6以下の面積しかカバーできていないということになる。さらにきびしく見ると,一種あたり平均の報告メッシュ数は300程度である。平均的にいって,これだけの場所にしかトンボがいないとはちょっと考えにくいので,分布確認の無いメッシュの多くは,生息していないのではなく,生息しているかどうかが分からないメッシュなのだと推測される。

 もちろん,何度も調査を繰り返すことによって,次第に実際の分布を表現する地図に近づいていくだろうが,ある時点における完璧な地図をつくることは,現実には不可能である。トンボ類の報告書に描かれた種の分布図を見ると,「従来から知られている分布パターン」と調査結果が一致する場合,「分布パターンを表している」というコメントが付記されている。これはこれまでの報告を全部重ね合わせた生息メッシュの分布パターンが,その種について従来から知られている分布パターンと一致しているという意味である。このコメントがついた種は,第5回調査では前回(第4回調査)に比べて格段に増えている。つまり,5回の調査を重ねてようやくもっともらしい分布図が描けるようになったということになる。このような調査結果を得るには約30年を要しており,まだ未調査のメッシュも多いので,分布地図づくりは50年を要する大事業だと言うことかもしれない。このような地図は100年単位くらいの生物種の分布変化を見るには貴重な資料となるが,10年単位の変化を見るには適切でないようである。

 分布の短時間の変化を把握するには,未調査区画の分布を推定するしかない。それには気候変動や土地利用の変化が種の分布に与える影響を記述できるモデルを開発することが必要となる。たとえば,ミヤマカワトンボという渓流性のトンボについて,気候条件との関連性や森林依存性などを解析して,生息適地の地図を描いてみると,図1のようになる。図2は上記の報告書にあるこの種の分布地図を描いたものである。解析や作図の方法は省略するが,図1の緑のメッシュが推定した生息適地である。この図には赤色のメッシュも描かれているが,これらは適地とまでは言えないが,生息の可能性があるメッシュ(準生息適地)である。それ以外のメッシュは生息の可能性がほとんどない。この図から,西日本にはこの種の生息適地が多く,東北では準生息適地が多いことが分かり,東北や北海道ではこの種が比較的稀であることをよく反映している。さらに精度を高めるには,生息適地の連続性の影響や動物の移動能力を考慮する必要があるが,情報が不足しているので現段階ではそこまでは無理である。生物の分布への土地改変や気候変動の影響を理解するには,精度の限界を認識したうえでの生息適地の地図作りが重要であるし,地図を読む方もそれをしんしゃくして理解する必要がある。

生息適地の地図
図1 ミヤマカワトンボの推定生息適地
緑が生息適地,赤が準生息適地。白は不適地。
生息地の地図
図2 動物分布調査報告書(生物多様性センター,2002)に掲載されているミヤマカワトンボの生息報告メッシュ

(つばき よしたか,生物多様性研究プロジェクトプロジェクトリーダー)